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テーマ:~広島東洋CARP~(4355)
カテゴリ:今日のカープ
汚い。ほんとうにこの野球会社のやることは汚い。そう思わざるを得ない。
カープは今日昼前になって,佐々岡真司に次期監督のオファーをする旨,プレスを使って報じさせた。これには,単なる怒りとかなんとかいうのではなく。沸々と腹の奥底から沸き上がる怒りを感じている。 既に何故今佐々岡を監督にしてはいけないかということは書いたとおりである。本来佐々岡は今シーズンの不成績の責任を負うべき立場である。ならばそれでもなお佐々岡を監督に擬すると言うためには,かなり強い理由付けが必要なのである。しかし,今の佐々岡にはそれがない。だったら,そうしてはいけないのが道理なのである。 しかし,この野球会社のやり方は卑劣極まりない。おそらく最初から佐々岡を監督に擬するつもりだったのだろう。しかし,そうすると監督手形保持者たらい回しになるのが明々白々になるとみたか,いかにも白紙であるかのような芝居を打った。あたかも週明けまで何も動かないかのような鈴木清明の言質まで与えて。ほんとうに下手な猿芝居である。 おそらく,日にちをおけばファンの否定的反応は消えると高を括っていたのだろう。ところが,それは消えるどころか草原を焼き尽くす野火のようにじわじわと広がっている状況だ。そこでハジメは,これではいかんとばかりに強行突破を命じたと見ている。実に分かりやすい。それができるのは,もちろんハジメには親衛隊とでもいうべき暴力的手段をもってファンの批判を封じる手兵がいるからであることは,いうまでもない。 しかし,さしものハジメ信者たちも,佐々岡を積極的に監督に擬する論拠というのを持っていないようだ。結局のところ「やらせる前から批判するとはけしからん」という情緒論を抜け出していない。これは私はバカで思考力がありませんと言っているようなもので,論破にも値しない。 それでは何故今佐々岡を監督にしてはいけないか。理由はひとつ。今のカープに必要なのは「勝てる指揮官」だからである。指揮官として未知数の人に務まるほど今のカープの監督というのはお手軽な商売ではないのだ。もし監督にしたければ,数年でもいいからまさに勝たせるプロのような指揮官の下で修業させるべきなのである。 私は5年前,緒方くんが新監督になった直後,次のように指摘した。僭越ながらそれは当たっていたと思う。それはさておき,裏から言えば今まさに佐々岡がなっていけないという補強証拠になると思うので,敢えてここに引用して締めとする。 「この2点(引用註:前任者の負の遺産を一掃すべきことと参謀に必ず煙たい人材を置くこと)さえ自分で責任を持って(ここ重要。縮景園あたりからの顔をうかがってやってるようじゃ駄目)できれば,たとえ指導者としての経験が乏しくとも(そのいい例は落合博満),カープを優勝,日本一に導くことは不可能ではないと見る。なお,この際人間性は関係ない。だいたい野球選手は個人事業主だ。他の奴がなんだ,俺は俺だの気概がないとやっていけない稼業である。過去の名監督に名前を連ねる人を見ても,人間性が円満だったなどという人はほとんどいないと言ってよいくらいである。野村謙二郎があれだけ叩かれたのは,要するに結果が出せなかったからであって,身から出た錆以上でも以下でもないのである。」 とにかく今は佐々岡には荷が重い。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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