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カテゴリ:つれづれ
今日は「母の日」,であるが,私にはもう現世に母はいない。母が此の世を去ってからこの5月で丸6年,いわゆる七回忌の年に当たるのだが,残念ながら忌まわしきJinmping=Shinzo Virusのせいで帰省もかなわない状況であるので,当然法要には参加できなかった。
私が母から受けた影響というのはたくさんある。まず第一に小学生の頃に赤字に紺のCマークの野球帽を買い与えられなかったら,そもそも広島東洋カープなどという野球チームに興味を持つことはなかったに違いない。もちろん,広島在住でなかったにもかかわらずこれほどまでに子どものころからカープに傾倒したのは全く別の理由があったと言うべきだが,何事もきっかけというのは大事なのである。それはまあさておくとして。 母は私と違ってとにかく子どものころから才気が強く,かつ「女弁士」といわれたくらい口の立つ人だったらしい。なんでも母方の祖父が非常に弁の立つ人だったようなのでその血を引いているのかもしれないが,なんでもおかしいものはおかしいとはっきりと言う人だった。残念ながら私は口下手で弁が立たないけど,それだけは心したいと思っている。そうでないと,結局怪しげな「風」やら「空気」に流されるのが落ちである。そして,それをせめてこう言う場で言い続けることこそ,母から受けた恩を現世に返す精一杯のことだと思っている。 だから,私はしょせん一介のカープファンであるが,カープが強くなくていいとか強いチームを見たければよそのチームを応援しろと嘯くこととか,こともあろうに球団の代表取締役である人がそれに加担していることを,おかしいと言わずにはいられないのである。しょせん一介の元憲法学徒であるが,ほとんどファンタジーのような改憲論を「行政府の長」が流布させることを,おかしいと言わずにはいられないのである。いや,しょせん市井の一市民でしかないが,「行政府の長」が自分の立場を守るために自分のお友達を市民の生殺与奪権を握る検察官のトップに据えようとする企てには,Noといわざるを得ないのである。 そうじゃないと,母に受けた恩を,むざむざ自分で放り投げるのと一緒だ。私は生前に母に十分な恩返しをすることができなかったという忸怩たる思いがあるが,せめて今だからこそできることがあるだろうと思うのである。 私も而立から不惑を越えて,今や天命を知る年になり,母の生きた歳まであと20年しかない。母は結局最後は難病に冒されて十分な余命を生きることができなかった。もう私の後残された余命を勘定したほうが早い年齢となったが,それだけにその残る人生をのんべんだらりと生きていたら母に申し訳ないと思う。正直私になにができるかは分からないが,せめてどんなことにも素朴な疑問を持ち,おかしいものはおかしいと言い続けることがせめてもの母への恩返しだと思っている。 そういえば,母は非常に負けず嫌いな人でもあった。そう言う意味でも,「カープが強くなくてもいい」などと曰う自称カープファンなんて,きっと眉を顰めて見てるだろうな。 喧嘩に負けたら勝つまで帰ってくるなとよく言われた。 BlogPeopleSIGMA People お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/05/10 08:30:35 PM
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