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寝てるか、ベッドでTVを見ているかの一日。ムムム・・・贅沢。熱は下がらないが、食欲も出てきた。韓国人のルームメイトが教会へ出かける前に、『冷蔵庫のあなたの棚に、作っておいたものをちょっと入れておいたから、食欲が出たら食べなさいよ。栄養があるからね~』と声をかけてくれていた。
昼過ぎに目が覚めた時に、言われたように冷蔵庫をのぞいてみると、何やらマリネにした野菜と肉の袋があった。薬を飲まなきゃいけないし、焼いて食べてみることにする。温めたフライパンに袋の中身をあけると、ジュワワ~といい香りがたちこめる。効かない鼻でもわかるくらいだから相当なもの。ブルコギだぁ!急にお腹が空いてきた。白ご飯はまだきつそうだから、素麺を少し茹でて、いただきま~す。美味いよぉ。こんな自家製ブルコギを家で食べてていいのか?International Room Share Lifeに感謝感謝である。 *** Michael Mooreの『Fahrenheit 9/11』が今週末のチケット売り上げNo.1をとった。金曜日の全米公開日以来、メディアはその話で持ちきりである。たとえば今日だけでも、ネットワーク局NBC自慢の日曜朝の看板番組『Meet the Press』で、L.A. TimesのエディターとPBSの政治番組『Washington Week』のアンカーがこの映画をめぐって激論を繰り広げていたし、夜のCBSの看板ジャーナリズム番組『60minutes』でも、Mooreの特集を組んでいた。 その他にも、National Public Radioのトップページには特集ページへのリンクが設置されているし、The New York Timesもサイト上に特集ページを立ち上げている。The Washington Postは今週末、編集者と読者のLive Chatコーナーで3度にもわたってこの映画の話題を取り上げる、という具合。報道の論調は賛否両論入り混じり、見る人も、見ない人も、見た人も、絶対見ないと豪語する人も入り乱れ、えらい反響である。 前回この話題に触れた日に、Mooreとこの映画に対するカウンターがすごいと書いたが、いろいろな報道を追いかけていると、批判の主旨は大まかにいって以下のとおりである。 1、 Mooreが映画で主張していることは全部ウソである。 2、 Bush大統領は立派な仕事をしているのに、このような映画を作って公開するとは何事だ。大統領について、そのように言うべきではない。 3、 Mooreはこの映画がヒットすることによって金持ちになるだろう。9/11のような国家的惨事を利用して金儲けをしようとしているとは不届きだ。 4、 この映画は、ドキュメンタリー映画としてバランスを欠いている。フェアではない。 5、 MooreはBush政権を非難するためにこの映画を作ったに違いない。映画をそのように利用すべきではない。 6、 この映画は政治的プロパガンダだ。 ちなみに、Michael Moore自身が、この映画はBush大統領を再選させないために今年(大統領選挙年)に間に合わせて作ったと公言しているし、『プロパガンダだ』という指摘も『だからどうした』とあちこちで応じている。フェア議論については、『しばしば、(観ていて)最も正直でないと思うドキュメンタリー映画は、バランスがとられているものだ』、とドキュメンタリー作家のNick Bloomfieldがロイターで語っていたっけ。メディアの中でも、『これは報道ではなく、一ドキュメンタリー作家の意見である』という意見が多い。そりゃそうだ。 3の論調は話にならないとして(でも、結構この意見をマジに論じる人がいるのだけど)、1、2、については主に保守派の人々と団体から出てきている。これに対して、マジになってこの映画に反応しているの?たかだか映画じゃないか』という声も出る。もっともな指摘。私だって、まさかホワイトハウスや保守派が、あんなにマジになってこの映画をタタキにかかると思わなかったもの。 これに対するWashingtonpost.com・Chief Political CorrespondentのTerry Nealの見解は、『It was a blistering(痛烈な), polemic(議論的) attack on the president that was part documentary, part journalism, part satire, part commentary and big part Michael Moore. So yes, I can understand why he and people who support the president would be upset by it. 』 これだけの大騒ぎを作り出し、Mooreは本望だろうなぁ、と思う。 彼の前作『Bowling For Columbine』を観た時に、Mooreはできるだけ多くの人がこの映画を観て、そして考え始めることが大事だと思ってるんだろうなぁ、と感じたものだが、今回の映画もおそらく制作の根本の目的は何か人目に触れていない事実を“暴く”ことではなく、ある見解をPublic Agendaにぶちあげ、人がマジメに考え議論することなんじゃないのか、と思う。事実、彼が映画の中に持ち込んだ事象は、すべて既に公に発表されたり報じられたりしていることばかりだというのだから。 9/11以来、アメリカは感傷的な“愛国主義”に包み込まれて、政権非難も戦争非難もまるで“非愛国的”であるかのように扱われ、すっかり“Spiral of Silence”にハマッていた。大統領選挙年に入り、民主党の候補者選びを通してやっと、多少はいろんな見解が出てくるようになり、イラク戦争の長期化に重ねて、ようやくベトナム戦争終結時の国内の議論が呼び起こされ、ようやくアメリカの“Spiral of Silence”も取り払われたのかもしれない。やっと、“愛国心”と“政権への賛否”と“戦争賛否”と“犠牲者への悼み”は別物であると、たくさんの人が気づき始めたのかもしれない。アメリカ以外の国の人間はとっくに知っていたことだけれど、この国ではこれだけのことが整理されるのに時間がかかったのだ。 こういう時期がこなくたって、Mooreはこの映画を公開しただろう。しかし、奇しくもいいタイミングだったということのようだ。Terry Nealが指摘するように、保守派の人々は言われなくてもこの映画を観ることはないだろう。そして彼らはBushに投票する。が、Pew Research Center for the People and the Pressの最新調査によれば、40%がブッシュ、39%がケリーに投票すると答え、減っているとはいえまだ21%の浮動票が存在する。まだ決めかねている人はこの映画を観る可能性があり、観たなら思わず考えてしまうものがこの映画にはある、だからBushチームはこの映画を恐れるのだ、とNealは分析している。 選挙に影響を与える一石を投じることになるのか?たかだか一本の映画で大騒ぎになっているアメリカの政治も興味深いが、11月に何が起こるか、そちらはもっと興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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