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August 1, 2004
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*[浦島タロ子記・2004年夏] 

母の経営する保育園。毎年夏休みには、園児だけでなく、小学生や中学生になった卒園児向けの行事もある。今年も恒例の一泊二日のキャンプ。帰国する1ヵ月も前から、いつの間にか引率のメンバーになっていた。

小学3年生から中学1年生まで17人が参加し、大阪北部、能勢郡の野外活動センターへ向かう。小学3.4年生の女子は母が、5,6年生の女子を私が担当。現在は保育園で働く私の弟が男子の参加者を担当した。

電車とバスを乗り継いで昼前にはセンターに到着。前日に台風が過ぎ去ったところで、お天気はいまひとつである。昼は持ってきたお弁当を食べ、夕食は飯ごうすいさんでカレーを作り、ご飯を炊いて食べる。小学5,6年生女子の班はさすがに手際よくカレーを作っていくが、3,4年生女子と男子の班は、食べられるものができあがったのが不思議なほど。

元ワンダーフォーゲル部の母は、火をおこして薪で火力を作るのがウマイ。私も小学生の頃からキャンプやらなんやらに行っていたから、飯ごうすいさんには慣れているが、火おこしは今もヘタクソであり、母の手際には舌を巻いた。

お天気が悪いので準備していた天体観測は中止し、センター内の体育館で遊び、夜は班ごとに3棟のロッジに分かれて眠る。私のいたロッジではもちろん30分超の盛大な“枕投げ”つき。5人の女の子たちプラス私で、部屋中に枕を投げ散らかして息が切れるほど枕投げをする。

翌朝は6時半に起きて散歩。部屋を片付けて朝食を食べた後、すぐ近くの山に登る。標高760mの山頂まで直登。山頂で、弟がかついであがったクーラーボックスに入れてあった冷たいオレンジジュースをみんなで飲み、オレンジを食べた後は下山して昼食。

昼食後は出発までの1時間半、全員でヘトヘトになるまで海賊ごっこをする。2チームに分かれて、宝物を攻守するこのゲーム。敵に“ビシ、バシ”と言いながら2回タッチされるとアウトで、味方にタッチしてもらえるまで復活できない。今回の場合、宝物は、男子チームはティッシュペーパーの小箱、女子チームはペットボトル。それぞれ、宝物をパス回しで守ったり、秘密の場所に隠したり、偽物をしつらえて、それらしく持って逃げたりと、各チーム知恵を尽くしてアレコレ作戦を立てる。

とにかく走り回らないといけないこのゲーム。子どもも、そして弟も私も、還暦を越えている母まで子どもと一緒にマジになって逃げたり追いかけたりと大騒ぎ。天気が良くなり暑くなっているにも拘らず、どの子も熱中して暑さも、普段の減らず口も忘れて走り回る。

2時前に荷物を持ってセンターを出発。バスに乗って電車に乗って、夕方、保育園まで帰りついた。

2日間“いまどきの子ども”と一緒に過ごして、なんとも考えさせられた。母や弟はプロの教育の専門家でも、私はプロではないのでエラソウなことはいえないが、母や弟が常々なげく、“考えることをしない”とはこういうことか、と驚いた。解決策を自分で考えてみることは、まずしない。どんなに簡単なことでも、初動は待ちの姿勢。

『センセイ、お茶ないー』
『センセイ、虫がおるー』
『センセイ、暑いー』
『センセイ、寒いー』

と訴えて、何かをしてもらうのを待つ。こう言ってただ待っているのが保育園児なら、まだわかる。学齢前では、自分が感じていること、直面していることを口に出して訴えることができる、というのも発達段階のひとつであり重要なステップではある。泣いたりごねたりして問題を訴えるという段階から次のステップである。しかし、今そうやってただ待ちの姿勢でいる彼らは小中学生なのだ。

オイオイ・・・と思う。彼らは、目の前にある問題を誰かが、ほぼ自動的に何とかしてくれることに慣れているのだ。彼ら彼女らの名誉のために付け加えれば、彼らは頭が悪いわけではない。知識もある。つまり考えるための素養がないわけではない。ただ、考えるトレーニングをしていないのだ。

門前の小僧なりに母の教育理念がしみついている私も、そして今は母の横で働く弟も、ただ子どもが訴えたその問題を解決してやる、ということは基本的に、そして決してしない。まずは

『ほな、どうすんねん。考えてみぃ』

と返す。そうすると、基本的には性が良く頭のいい彼ら彼女らは、そう返されて目を白黒させながらも考えるのである。そして自信なさげに小声で

『うーん・・・○○する・・・』

と言う。

『そうやん。そうしたらエエやんか。わかってンねんやん』

と答えると、にまぁ、としている。成長期にかかるか、かからないかの彼ら彼女らはまだ素直だということはあるが、どの子も、問われれば基本的にまじめに考えて、たいてい解決策を自分で考え出せていた。

この状態は、非常に簡単なことでも同じなのである。たとえば、食事の時のお茶は、食堂に備えられた大きな急須に、常備されているお茶パックを入れ、給湯器からお湯を注いで自分たちで準備する、と全員が説明を聞いていた。食事の後には、みんながそのお茶を自分の水筒にも注いで、部屋で飲んでもいいことになっていた。

ある男の子が(仮にAくん)、一番最後に食べ終わった。自分の水筒にお茶を入れようとしたら、自分の目の前にあった急須はもう空っぽになっていた。

『センセイ、お茶ない~』

食事の片付けをしていた私に彼が苛立った声で訴える。

『あ、ホンマ。ほな、どうする?』

決して、キミのために用意してなくて悪かったとも、お茶がなくて可哀そうに、なんて態度も声も見せない。当たり前のことだが、これがまた、彼らにとっては稀なことなのである。Aくんも、私の返事にキョトン、としながら考え始める。何拍か考えさせた後、

『他の急須にはあるかもよ』

とヒントを出す。これでも助け過ぎなのだが、普段そういう訓練をしていない子たちには、いきなりたどりつけない発想もいろいろあるから、仕方がない。

Aくん、あ、そっか、という顔をして、他のテーブルの急須を持ってくる。しかし、彼には気の毒に、問題はここでは解決しなかった。どの急須ももうほぼ空っぽだったのだ。今度は半泣き声になって

『センセイ、ない~』

そんな半泣き声には動じず、テーブルの上を拭き続けながら、

『ほな、どうすんねん。考えてみ』

とやる。さらに数拍待ってからAくんの顔を見て、

『Aくん、急須の中に何が入ってんの?』

と聞く。えー?といいながら、急須の蓋を開けてみて、Aくん

A『お茶パック』

『ほな、あそこの大きな機械、何をする機械やったっけ?』

A『お湯の出る機械やった』

『そやろ。ほんならな、そのお茶パックの入った急須にお湯入れたら何になんの?』

A『・・・お茶や!』

『な。その急須をひとつ持っていって、気をつけてお湯を淹れてきてみ』

冗談のような会話だが、マジである。短絡的な発想と他力本願な解決策に慣れてしまっている彼らは、せっかくの頭脳がありながら要素をつなげて考えることを非常に苦手にしているようだ。

Aくん、ウキウキとその大きな急須を持って行き、おっかなびっくりお湯を注ぎいれ、ソロソロと戻ってきた。危険もあるから注意して見守りはするが、直接手を出して手伝うことはしない。小学4年で、はしっこいAくんなら、問題なくできるはずのことである。

Aくん、自分で淹れたお茶をソロソロと自分の水筒に注ぐ。その前の食事の時には熱いお茶は嫌だなどと文句を言っていたAくんだが、自分で淹れたお茶だから文句も言わず慎重に水筒に入れ終わり、嬉しそうに水筒をかかえて食堂を出て行った。

自分で考えさせるために問い返すこと、できる限り自分でさせることが、本当に大切なのだと思う。彼らは自分で考える力も自分で何かをする能力も持ってはいるのだ。それを実践する訓練が足りていないだけだ。だが、彼ら彼女らに問い返し、自分たちで何かをするのを手伝わずに見守っているのは、大人が手を下して解決してしまうよりも時間がかかることだ。きっと忙しすぎる家庭生活、学校生活のなかで、その何拍かを彼ら彼女らに与えつきあっていくことが、とても難しいのだろうなぁと思う。






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最終更新日  August 9, 2004 08:05:17 PM
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