「安積親王と葛城王」あとがき
「安積親王と葛城王」 あ と が き 安積親王という名に気がついてからこの作品に取り組んでみて、はじめて安積親王と葛城王との関係を知りました。葛城王は、のちに橘諸兄と名を変えますから、同一人物です。その上、安積という地名と郡山に伝わる采女伝説のなかの葛城王(橘諸兄)が、安積親王と深く関連する事実に驚かされました。 郡山で葛城王と言えば、『安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに』の歌が有名です。この小説は、私なりのこの歌の解釈が主題となりました。その結論は本文中に載せましたが、これはあくまでも推論であって、これが正しいとは主張しておりません。私見ということでご覧頂ければ幸いです。 これを書いていてさらに驚かされたことは、時代は下がるのですが、橘為仲の存在でした。彼が詠んだ歌、『陸奥の芳賀の芝原春くれば吹く風 いとどかほる山里』もまた、安積と微妙に関係していたのです。そこで郡山市や奥羽大学図書館で橘為仲に関係する書籍にあたりインターネットで調べましたが、何ら進展することがありませんでした。 橘為仲の話は、表題の『安積親王と葛城王』の付録のようなものとして書き綴ったのですが、むしろその調査は困難を極めました。苦しんだ末、思い切って私は自分のブログ『福島の歴史物語』に情報提供依頼のコメントを載せたのです。そして約三ヶ月、いささか諦めかけたころ、岩手県の白戸明氏よりブログ上に反応があったのです。 白戸氏は実に真摯に対応してくださっていました。国会図書館や岩手県立図書館に足を運び、月刊誌の『国語と国文学』『和歌文学研究』など私が知り得なかった文書を見つけ出して教えてくれたのです。結論から言えば、氏もまた『陸奥の芳賀の・・』の歌を見つけることは出来ませんでしたが、将来に望みをつなげる内容の文書を送ってくださったのです。その内容につきましては、『橘為仲』の稿にその要点を引用しましたが、実は白戸氏に助けられたのはこれが二度目でした。 最初は2006年に忠臣蔵の前後を書いた『大義の名分』を出版した直後でしたが、それは赤穂浪士・小野寺十内の養女の行動についてでした。一度ならず二度までもお世話になったことを、この場をお借りして心よりお礼を申し上げます。ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。