カテゴリ:文学(小説)
大阪生まれの大阪育ちであるが、居たのは19歳までだった。後は富山・金沢に6年、岐阜に2年、東京30年である。東京といっても、都内に住んでいたのが10年、川崎18年、横浜に引っ越してきて2年余り。
大阪も住んでいた西成・浪速、学校のあった住吉・阿倍野、友人や親戚が住んでいた東住吉、自転車でよく行った大正・港は知っているが後は分らない。 一心寺は天王寺区にある。道路を渡ったところに安居神社があり、真田幸村が夏の陣で戦死した場所だという。その看板につられて石碑を見たが詳しい年代は確認しなかった。 松屋町筋に出る。北に向かって歩く。目的地は「生魂国(いくたま)神社」である。母がよく話していたことだが、7月大阪は夏祭りで、この生魂国神社から始まり、8月1日住吉大社で終わる。毎日、大阪のどこかの神社でお祭りをやっているわけだ。 娘時代の母は毎夕、浴衣に着替えて、お祭りに行くのを楽しみにしていたという。 <まっちゃまち>と発音していた。おもちゃの問屋街と聞いていたが、バイクの問屋さんが続く。お店の店長さんの言葉使いは丁寧だ。船場の言葉である。 お寺が並んでいる。皆、浄土宗。大きな墓標に「渋谷天外」とある。道路から塀越しに手を合わせる。 お葬式の準備をしているお寺もあった。片岡仁左衛門、氷川きよし、杉良太郎という名前が並んでいる。松島家とあった。 大阪府立天王寺高等学校発祥に地という石碑があるお寺もあった。この寺には吉本芸人塚がある。 大きな鳥居があり、右に折れてその鳥居をくぐる。坂を上れば生魂国神社、広い境内である。中には入らないで、谷町筋にでる。歩道橋を渡って、上町筋方面へ。上六に出た。「来真」という中華屋に入り皿うどん。 湧き水の公園がある。大阪の水は質が悪い。しかし、この上町台は例外でおいしい水の井戸があったという。 道路傍の地図に夕陽丘高等学校とあった。小田実がこの高校の卒業生である。彼は天王寺旧制中学に入学して夕陽丘新制高校を卒業した。戦後、直ぐの学制改革と同時に大阪の場合、男女共学になり、中学と女学校の生徒と先生を足して二で割った。 細い道を右に左にまがり、天王寺図書館がある。左手に大正湯という風呂屋の煙突を見ながら、『細雪』の主人公達が今にも出てきそうな京風の木造二階建てが残る住宅街に、石垣の上に御所風のコンクリート壁に囲まれて、いにしえの女学校はあった。 帰り、大阪市立天王寺図書館に入る。満席である。新幹線の自由席も満席だった。前日よく眠れなかった。新幹線で寝ようという当てが外れ、図書館でも眠れそうにない。しかたなく書庫で田口ランデイ『縁切り神社』を読む。 図書館を出て、もう一度、「大阪市立天王寺図書館」という字を確認しながら、「どうして、大阪・天王寺に来て、田口ランディの縁切り神社を読むのか?」と一人突っ込みを入れては見たものの、深くは考えないことにする。 ここまで来ると、鶴橋は近い。展望が開けて、生駒山が見える。 鶴橋でブック・オフ。鳥居哲男『エル・アマネセール』を買う。この鳥居哲男という人は私が参加している同人誌の編集長・ボスである。そういえば、本を出したと言っていたなーと思い出しながら、「どうして、大阪・鶴橋まで来て・・・」と、また、一人突っ込みである。 駅のたち喰いソバで「きつね・たぬき」の名称を確認して、梅田に向かう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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