りぶらりだいあり

[好きな本・読んだ本] カテゴリの記事

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• 「手紙」東野圭吾を読んだ

  東野圭吾の”ミステリーではない作品”を読んだ。〇ストーリー父を亡くし，母に育てられた武島剛志と直貴兄弟は，その母も亡くしてしまう。直貴を大学に行かせるために，母の代わりに懸命に働く剛志だが，身体を痛め職を失ってしまう。魔が差し，田園調布の豪邸に空き巣に入った彼は，いないと思っていた家主の老婦人に見つけられ，パニックに陥り彼女を刺し殺してしまう。突然，殺人者の弟となってしまっい，自分で生活費をかせぐことが必要となった直貴は，高校だけは卒業したが，進学をあきらめリサイクル会社で働き始める。そんな彼に獄中の兄からは毎月手紙が届く。だが兄が殺人者ということで，直貴はミュージシャンになる夢，恋人との将来，せっかく就職した会社，結婚して生まれた娘の幸せな毎日，全ての場面で後ろ指を指されることになる。直貴はある決心をするのだが・・・－－－－－－－－－－－－読みながら，いつミステリー要素が始まるのかと期待していたが，そうしたことはほとんど起きず，ただ淡々と直貴の不幸な半生が描写される。ある見方をすれば，「殺人者の弟」ということで差別を受け，どんなに努力をしても次々と幸せを諦めなけれならない主人公を描いた胸くその悪い物語だ。恋人だった女性の許嫁だという男・嘉島孝文を除けば，とことん悪い人間というものは登場しない。基本的に自分，あるいは自分が大事に思う人々を守るために，武島直貴を区別して扱おうとする人々ばかりだ。そうしたスタンスって，下手をすると読者自身なので，それが分かってくると，あまり直貴の周りの人々を悪く言えなくなってしまう。この辺りの逆転のロジックについては，作者が狙っていた通りではっとさせられる。－－－－－－－－－－－－主人公・直貴が就職をした会社で，ある事件が起き，それがきっかけとして直貴の過去が暴かれ，彼は接客から倉庫へと異動となる。そこに会社の社長が現れ，直貴に励ましの言葉を掛けると思いきや，社長は「差別は当然なんだよ」と言い始める。この作品自体が東野圭吾が意図的に組み上げたメッセージなので，不幸の連続なのだが，ほとんどの場合，直貴の知人，隣人は「差別はいけないが，自分や自分の大事なものは守りたい」という意識だった。この社長はさらに新しいロジックだが，これはほとんど読者の意表を突くためだけだと感じてしまった。何回か直貴を気遣っている態度を見せる社長なのに，なぜか兄の罪と，それに付随する村八分的な差別は全力で肯定する。だったらすぐクビにするのが正しい選択だと思うのだが，ずっと直貴を働かせ，彼が辞職する際に「よく考えさせられたよ」と言っている。なんだよ，適当かよ。というか，これもまた不幸積み重ねパターンのための流れだった。－－－－－－－－－－－－「ミステリーではなかった」ということが自分にとっては一番の驚きだったが，強引な流れとは言え，ぐっと引き込まれて読み進めてしまうのは，東野圭吾マジックだと言える。直貴が最後まで曲がらずにきちんと生きているのも良かったし，不思議ちゃんとは言え，白石由美子と知り合いになれたことも良かった。純ブンガクには程遠いが，ミステリーの要素を除いても，読者を感動させることが出来るというのは，大した筆力だと思う。

  2017.10.03

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• 「満月の泥枕」道尾秀介を読んだ

  道尾秀介の半年ぶりの長編を読んだ。〇ストーリー姪と2人で暮らしている二美男は，近所の公園の池に沈む死体を探してほしいと頼まれる。地元の祭りを利用し，同じアパートの住人と計画を立てた彼だったが，池からは意外なものが出てくる。それは1年前の殺人に関わった人々も巻き込む。だが一方で彼らの願いとは？－－－－－－－－－－－ハードカバーで400ページ超えの大長編だ。道尾秀介の作品なので，事前に用意された小さな謎はきちんと回収され，ラストでは心を動かす展開が提示される。さすがは若手とは言え，直木賞を受賞し人気が持続している作家だ。単純に言うと，ツボを押さえている。手に取った時は分厚いと思ったし，主人公・二美男に多少の距離感を感じて困ったが，最初の数章の違和感を乗り越えて読み始めると，あとは一気に読めてしまった。相変わらずの，手馴れた道尾秀介作品だと思った。－－－－－－－－－－－ひじょうに有りがちな，”昔からのファンの愚痴”っぽくて，自分でも困るのだが，道尾秀介って〈ゼロ年代〉はともかく，〈2010年代〉は手抜きが目立つ気がする。もちろん文章も，人物造形もしっかりした作家であることは間違いないのだけれど，〈ゼロ年代〉以降は同じモチーフの使い回しのような印象は否めないと思う。テレビタレント，ミュージシャンとしても扱われているので，忙しい毎日だとは思うが，もう少しキッチリとこちらを向いて作品を書いてくれてもいいと感じる。まず戸惑うのが，学は無いけれど，勘は鋭いという主人公・二美男の造形だ。小学生の娘を亡くし，それが理由で自暴自棄となり，失職，離婚，夜逃げをしている。その彼の所に急死した兄の娘である姪が転がり込み，2人で貧乏生活をしている。そして二美男と一緒にある事件に巻き込まれて行くのは，同じアパートの貧乏だけれど，ある欠点があり，それでも善人の人々だ。まるで，フランス喜劇の人生模様なのか？と思うほど，登場人物が等しく欠点を抱え，それを今回の事件を通じて乗り越えていく。確かに物語としては美しいけれど，出来過ぎ過ぎて，そのわざとらしさに醒めてしまうのはこちらがひねくれているからだろうか？－－－－－－－－－－－若手世代を代表する作家という肩書のワリには，どうも物語の内容が昭和のドラマっぽくて，現実感が薄い。伏線の張り方も大声で宣言していて，読者の9割以上が「で，それで？」って訊きそうなぐらい露骨だ。どうしてミステリー畑の作家が，最初から最後までベタベタの長編を書いてしまったのだろうか？巻末のメモで，これが新聞での連載作品であったことを知り，少しだけ納得は出来た。物語の構成がきちんと制御できておらず，突然あるシークエンスで盛り上がるというのも，連載という形で作品を発表すればあるのだろう。ただそれを再構成しないで，そのまま単行本で作品として発表してしまうのは，プロ意識の薄さだろう。－－－－－－－－－－－主人公の仲間には突然超自然的に近い身体能力を発揮する人物が複数出てくる。そんなマンガ的な展開を読まされると，その後にリアルな展開を延々と描かれても，「なんとかなるでしょ」と思ってしまう。昭和のテレビドラマ的なのに，味方には戦闘能力Maxの仲間が隠れている・・・これでは緊張感を持続させることは無理だと思う。－－－－－－－－－－－貧乏とか，親族が死んだとか，小学生とか，”読者にアピールするキーワード”の全部を使用禁止にして，物語の面白さでもう一度勝負してもらいたい。道尾秀介作品プロダクションの一冊を読んでいるのかと思ってしまった。次，頑張りましょう。

  2017.09.20

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• 「さよなら月曜日」太田垣康男（おおたがきやすお）を読んだ

  マンガ家・太田垣康男が書いた絵本を読んだ。〇ストーリーテッドは息子のウィリー，犬のアーノルドと暮らしている。テッドには1年前に分かれた妻・キャサリンがおり，どうやら近々ウィリーが彼女の所に行くようだ。テッドは大学の研究職を辞め，港で貨物ローダーを運転し，貨物を船に積み込む仕事をしている。テッドは職場の女性ナンシーに食事に誘われるが，ウィリーと過ごす時間を優先して断る。なぜならば・・・－－－－－－－－－－－－アメリカの新聞日曜版に掲載されてそうな画風だ。デフォルメされ，線が少なくて，ポップで優しい印象を受ける。淡々と語られるのは，2人と1匹の静かな生活だ。妻に去られ，職場も変わり，と主人公・テッドは我々と同じような苦労をしていることが伝わる。このままアメリカかどこかの家族生活が描かれるのかと思っていたところ，テッドが運ぶ貨物はザクで，積み込む船はジオン軍の軍艦というシーンがあり，この作品が「機動戦士ガンダム」の世界であることが分かる。そして最後には涙が止まらない展開となり終わる。－－－－－－－－－－－－この作品はもともと「ガンダム サンダーボルト」の外伝コミックとして発表されたのだが，大評判となりコミック付録の絵本として出版された。僕自身は，今回のバージョンで初めて読んで，鳥肌が立つほどの感動を覚えた。「機動戦士ガンダム」は，主人公が乗っているのがスーパーロボットではないこと，弾切れをすること，そして敵も同じ人間であること，という驚きのリアリティで歴史的なアニメとなった。その後，続編や外伝が製作され，さらに別世界のガンダム作品も次々と生まれ，1つのジャンルとして成立している。アニメだけでなく，マンガ，小説など様々なメディアでも作品は発表され続け，この作品もその一環だと言える。けれども，パロディを除けば，ほとんどの作品がSFロボットアニメの枠組みに留まっていたのに対し，この作品のアプローチは全く異なる。－－－－－－－－－－－－テッドは研究者としては時代に取り残され，妻には去られ，さらに〇〇しなければならない。作品は彼の数日の生活を淡々と語っており，最初は「ガンダム世界」である必要性も感じられない。この作品が心に響くのは，1つには日常系のドラマという表現方法があると思う。だがもう1つは，35年前の「機動戦士ガンダム」でもこっそりと描かれていた，「兵士は普通の人間だ」というテーマが前面に出ているからだと思う。この作品の見事なストーリーテリングで，35年ぶりに「敵も人間だ」という驚きを思い出した。本編の様々な派手なシーンの裏に，いくつもの個人的な物語があったと考えると，どうしようもなく切ない気分になる。－－－－－－－－－－－－もちろん，この素晴らしい物語1つを取って，戦争反対とかそういう政治的なことを言うつもりはない。ファンの間では「機動戦士ガンダム」の宇宙世紀は正史となり，年表まで製作されているが，そうした大局の裏に，いつもの小さなエピソードがあるということだ。さりげない語り口で，戦争に巻き込まれた人の悲劇を描くのは，間違いなく「ガンダム」の伝統だ。35年経って，また感動の逸品を届けてくれるのは，この作品世界に深い奥行きがあるからだろう。手に入れることは困難だと思うが，ぜひ読んでもらいたい。オススメだ。

  2017.09.08

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• 「間取りと妄想」大竹昭子を読んだ

  建物の間取りを元に小説を書いた，という変わった短編集を読んだ。〇ストーリー母の実家は，伯父が継ぎ，漢方薬局を営んでいた。その伯父が交通事故で急死し家を処分することになる。肝心の花が外国で暮らしているために，その片付けは仲子が行うことになってしまった。最初は憂鬱に思っていた仲子だが，自分のペースで出来る作業と，伯父の思い出に触れることに喜びを感じ始める。そして最後の部屋で見つかったものとは？－－－－－－－－－－－タイトルページの次に間取り図があり，物語が始まる。11編の短編は当然，その間取りを舞台にしている。二次元の間取り図の中に自分が入り込んでいくようで実に楽しい。アイディア勝負の面白い短編集だと思う。ただし，どれも話が広がる前に終わってしまうので，面白いのかそうでないのか，判断がしにくい。－－－－－－－－－－－デザインのプロの視点からすると間取りの欠点も気になる。とくに最初の方の間取りが非現実的で，実に使い勝手が悪そうなものが多い。学校だったら評価されるけれど，社会では落第点を付けられそうなものが並ぶ。この作家の特徴として，玄関が狭い，WCの扉が外側に開く，というのも良くない。女性らしくないなあ。またマニア的には北方向をきちんと上に配置してもらいたかった。－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「船の舳先にいるような」：川沿いの三角形の土地に夢の家を建てた〈私〉は，土地を貸してくれた老人を家に招待する。窓の外には川が流れ・・・間取りが好きだった女性が，家を建ててしまう，という辺り，作者のことなのかと想像してしまう。短くて，起承転結の承で終わってしまうのだが，いろいろとこの連作短編集を象徴している短編だ。間取りは違法じゃないかと思う。「隣人」：伯母の家を一時的に借りて住んでいるアサミは，隣にある閉鎖的な家が気になる。あるきっかけでアサミと哲也はその家を訪ねることになるが，そこで見たのは？・・・少しミステリー風の悲しい短編だ。間取りは隣人の家のものだが，不便そうだ。「四角い窓はない」：週末の別荘は，1階がデッキ，2階が寝室の最低限の小さな建物だった。・・・短い，エロイ。間取りは1階がすべてオープンでそこにキッチンって，ないと思う。「仕込み部屋」：三橋葉子は叔父が住んでいた小さな家を相続して住んでいる。彼女がそのある部屋で行っていることとは？・・・うーん，主人公の変身に期待したのに，変な流れだった。間取りは〈あの部屋〉が魅力的だけれど，この本では普通。「ふたごの家」：ふたごの海男と河男は中学生になってもつかず離れずだった。2人を自立させようと両親は2人の個室を与えるのだが・・・心配して損した幸せな話。間取りはシンプル過ぎて驚いた。「カウンターは偉大」：世界一周から帰ってきたミツコは，家を借りて自宅で中高生を対象にした学習教室を開く。セミオープンのカウンターを挟むことで，ミツコの妄想はなんとか抑えられる。・・・うーん，まあいいけれど，事件にならないことを祈る。間取りはオモテとウラが発揮していなくて，使いにくそう。「どちらのドアが先？」：クミはミワの愚痴を聞くために，彼女のマンションに行く。大きなベランダの一角にはテントが張ってあり，ミワの恋人・ヒデが寝床を移していた。・・・ある意味ほのぼのなのだけれど，主人公の心の闇が少しだけ覗いている。間取りは実際にありそうなほど普通。「浴室と柿の木」：昌之はセミリタイアし，息子家族と二世帯住宅に住んでいた。上品で物分かりの良い舅のはずが・・・アルツハイマーになって素性がばれなくて良かった。間取りはこれも使い勝手が悪そうだし，家を2軒建てるよりもコストがかかりそうで，現実的じゃない。「巻貝」：マサルは失恋をして，アパートのロフトに引き籠る。・・・間取りも物語も面白みがない。「家のなかに町がある」：伝説の編集者・咲山さんは，昭和の大作家の思い出を語る。大作家の家は，銀座の細長い3階建ての古い家屋で，まるで町のような複雑さだった。・・・古き良き銀座が見えて面白い。これだけ複雑な間取りなので，もっと話が膨らむかと思ったが，あっさり終わった。間取りは，これだけで妄想が広がる傑作。「カメラのように」：母の実家には，漢方医をしていた大人しい伯父が住んでいた。外国で過ごしている母から，その家の片付けを頼まれた仲子は，ゆっくりとその作業を進める。そして一番奥の半地下の部屋には・・・ありきたりだが悲しいドラマに心が動く。そして建物全体がカメラのように機能する偶然が見事。間取りは現実的だし住んでみたい。「月を吸う」：〈わたし〉はふらりと旅に出てしまった恋人のサトルのことを怒っていた。だが隣の敷地の工事を見ながら彼を思い出し，気持ちがほぐれていくのだった。・・・こういう恋人関係って小説ではよく出て来るけれど，若者の憧れなんだろうか？自由なのはいいとは思うけれどね。間取りは中間に和室があって，その先が洋室って，あり得ないなあ。「夢に見ました」：〈わたし〉は間取りの夢を見る。・・・自伝あるいはエッセイ風の短編だ。単行本のための書き下ろしなのだけれど，あとがきで十分な内容だった。間取りは？？？

  2017.08.01

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• 「恩田陸と25年間の本たち」恩田商会女子部を読んだ

  恩田陸の直木賞と本屋大賞の受賞を記念して刊行された特集本を読んだ。〇内容恩田陸の作品をX-Yチャートで一覧にし，どの作品がどのような傾向にあるかを表示。様々な文学賞受賞作品を紹介し，それと同じタイプの作品を紹介。恩田陸がインスパイアされた作品と，その影響を受けた作品は何か？恩田陸の本棚を紹介。恩田陸作品年表。－－－－－－－－－－書店に行ったら恩田陸を特集した冊子があり，無料配布ということでもらってきた。確認してみると講談社で出版しているのだが，出版社の関係なく恩田陸の作品を紹介しているという，ひじょうに太っ腹な冊子だ。タイトルの通り，1992年から25年間もプロである作家だと，出版社の編集者たちも仲良くなって協力体制が出来るのだろうか？・・・まあ，それは半分ファンタジーとして，受賞によって恩田陸を読もうと思った人たちが25年間の作品の多さに圧倒されて委縮してしまうのを避けるためのガイド本だろう。現代でもかろうじてミステリーのランキング本，解説本などはあるが，かつてはSFやファンタジーをいろんなレベルで紹介する特集本があり，それを購入するという時代があった。この恩田陸特集冊子は，その時代を思い出させてくれた。－－－－－－－－－－調べてみると，講談社の200円冊子（かつては100円のワンコインだった）『In Pocket』の特集記事をベースにしているらしい。恩田陸と講談社の結びつきも強いので，責任を感じて（？）特集冊子を無料配布したというところだろうか？きちんとした1,000円のムック本を出版しろよ，とも思うが，昨年の2016年夏の直木賞受賞後に5冊も作品が刊行される現役作家なので，全体像を捉え続けることは不可能なのかも知れない。－－－－－－－－－－年表の最期は「錆びた太陽」で終わっているけれど，当然これからも作品が追加されていく。それにしてもエッセイなど一部を除き，全作品を読破している自分がちょっと怖い。無くなり次第消滅だろうから，ファンは今のうちに入手をオススメする。

  2017.07.29

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• 「空を見上げる古い歌を口ずさむ」小路幸也を読んだ

  小路幸也のデビュー作品を読んだ。〇ストーリー〈僕〉の息子はひとの顔が”のっぺらぼう”のように空白に見えるようになってしまった。それを知った〈僕〉の兄は，すぐさま現れ，長い長い物語を語り始める。それは30年前，子供だった〈僕〉たちが暮らしていた〈パルプ町〉で発生した事件の物語だった。幼い〈僕〉が知らない間に，〈パルプ町〉で起きていたこととは？－－－－－－－－－－物語は大きく3つの部分で構成されている。1つ目はごく短い導入部で，語り手・凌一の息子・彰が”のっぺらぼう”症候群を起こす。ここからは，凌一の兄・恭一が語る30年前の〈パルプ町〉の物語となる。これが本編なので，全体の9割以上を占めている。2つ目は，昭和30年代の〈パルプ町〉を舞台にした小学生の日常が描かれる。クワガタを採り，社宅の同級生たちと秘密基地で遊び，学校の怪談に怯え，バスで大きな市の百貨店に行く。そして3つ目は，”のっぺらぼう”症候群を起こしていた恭一が体験する殺人事件だ。実態は自殺や病死なのだが，人間の心や身体の弱さを利用して，それを引き起こしている謎の人物がいる。恭一は新しく出会った仲間と共に，その存在と対峙する。－－－－－－－－－－レトロで懐かしさを呼び起こす2つ目の要素は，細かいディテールを書き込んでいるし，恭一の回想録という手法もあり，ひじょうによく出来ている。それと比べると，3つ目のダークファンタジー的な要素は，未消化で上手く伝わってこない。暗い虚無感にとらわれた人間は〈違い者（タガイモノ）〉になり，それを見つけて厚生あるいは駆除するのが〈解す者（ゲスモノ）〉らしい。だが恭一は，どちらとも異なる〈観察者〉になったらしい。〈違い者〉と〈解す者〉だけであれば二元の対立構造で単純なのだが，〈観察者〉の存在がきちんと伝わってこないので，もやもやしたまま終わる。しかも導入部の息子・彰も〈観察者〉となるワケで，最初の謎かけが分からないまで終わる。－－－－－－－－－－物語の舞台を現代においていたら，ただのラノベファンタジーになってしまっただろうから，そこを30年前に設定したのは正しい判断だと思う。おかげでしっかりした存在感のある空間が生れ，ファンタジー要素が入り込んできても，作品が薄っぺらくならなかった。悪しきものの正体が，人間に憑依する悪意のかたまり，という部分は，村上春樹の「羊をめぐる冒険」の影響もあるような気がした。あちらは1970年代がノスタルジーの対象だが，こちらはさらに過去となっている。－－－－－－－－－－ミステリーだと思っていたら，ロジカルな説明も無しに犯人が判明し，結局動機も手順も不明なまま終わる。森博嗣を読みなれていなければ怒り出すところだ。（褒めてないけど）さすがはメフィスト賞受賞作品だ。（褒めてないけど）小路幸也がこうした作品でデビューしたということを知ることが出来たのが収穫かな？

  2017.06.28

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• 「怪笑小説」東野圭吾を読んだ

  ベストセラー作家・東野圭吾のブラックユーモア短編集を読んだ。〇ストーリー大型客船から無人島に漂着した人々は，助けが来るまでその島で暮らすことになる。だが島には電気もなく全く娯楽がなかった。たまたま彼らの中には過去の大相撲の取り組みのラジオ放送を全て記憶していて再生してくれる老人がいた。人々は老人が語る大相撲の放送に夢中になり，そして・・・－－－－－－－－－－以前，東野圭吾の「あの頃の誰か」という短編集を読んだが，マジメで有名なこの人が短編ではしばしば脱力系の小説を書いていることを知って少し驚いた。「浪花少年探偵団」のイキのいい大阪弁から分かるように，東野圭吾は大阪出身だ。チカラの入った長編ばかりを書いていると，どこかで息抜きをしたくなるに違いない。ただし「〇笑小説」と銘打って，すべてユーモア小説だという設定も，なんだか逆に疲れる気がする。同じ大阪出身の本格ミステリーのエース・有栖川有栖も，よく脱力するユーモアを作品に混ぜるのだが，通常のミステリーでそれを投げ込んでくるのは一枚上だと感じた。シリアスかユーモアなのか，最後まで読まないと分からない方が，個人的には面白いと思う。この「〇笑小説」は4冊刊行されているので，人気はあるのだろうけれど，どういう人がターゲットなのか，もう1つよく分からない。－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「鬱積電車」：通勤通学の人々で混雑する電車の中は，人々の不満と我慢が溜まりに溜まっていた。爆発寸前のその空間に・・・僕も電車通学通勤を何十年も続けているが，日本のラッシュアワーは本当に非人道的だ。ただ，それを小説で追体験したいとは思わないけれど。「おっかけバアさん」：倹約して暮らしていた勝田シゲ子は，譲り受けたチケットで，役者の杉平健太郎の公演に行き，その別世界に夢中になってしまう。シゲ子の公演通いはエスカレートし・・・うーん，リアル過ぎて笑えないと思うな。「一徹おやじ」：一徹な父は，息子・ユウマをプロ野球選手にするために，小学校前からウサギ跳び，鉄下駄，プロ野球選手養成ギプスで鍛え上げる。努力が実り中学，高校，そして大学と有名選手となるユウマだが・・・「巨人の星」のパロディは大量にあるので，だから何，という感じ。「逆転同窓会」：巣春高校は学区の変更がきっかけで優秀な生徒が集中した十五期という時代があった。面倒見がよい人がいた関係もあり，その時の担任たちは同窓会を続けていた。ある時，せっかくだから生徒たちを呼ぶことになったのだが・・・この短編はワンアイディアだけなのだけれど，ちゃっかりブラック視点で面白いと思った。「超たぬき理論」：少年の頃，和歌山の田舎に行った若山一平は，タヌキが空を飛ぶのを見る。その体験をベースに，彼は一生をかけて超常現象のすべてをタヌキに関連付けて体系化する。・・・東野圭吾は理系ですなあ。「無人島大相撲中継」：大型客船から無人島に漂着した人々は，電気も本もなく何日も過ごすことになる。だがたまたま彼らの中には過去の大相撲の取り組みのラジオ放送を全て記憶していて再生してくれる，徳俵という老人がいた。徳俵の相撲放送は大人気となり・・・これもキレイにブラックな落ちがついて良い。「しかばね台分譲住宅」：しろかね台では価格の下落が住民たちの悩みの種となっていた。そんな中，その真ん中で刺殺死体が発見されてしまう。そこで住民たちが決定したこととは？・・・ブラックではあるのだけれど，使い古されたネタで先も読めてしまうのが残念。あと長い。「あるジーサンに線香を」：身内がおらず孤独に生きていた老人は，医者に協力を乞われ，ある実験に協力する。その驚きの実験とは？・・・笑えないし，ブラックでもない。パロディとしては三流だ。「動物家族」：中学2年生の肇は，家族も級友たちもすべてが動物に見える。タヌキの父，スピッツの母，ハイエナの兄，猫の姉。肇のストレスは溜まり，ついに・・・もう一捻りが欲しかった。

  2017.06.23

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• 「仁義なき宅配」横田増生を読んだ

  今とてもホットな話題となりつつある宅配便業界についてのレポートを読んだ。〇内容宅配便の生みの親・ヤマト運輸，運送業の全国統一を最初に成し遂げた佐川急便，ペリカン便の吸収合併を果たし第3勢力の日本郵便。日本の流通を左右する大手三社の成り立ちと今後の戦略は？そして各社の業績を乱高下させるネット通販の巨人アマゾンの次の手は？歴史と分析だけでなく，宅配ドライバー，路線トラック，物流センターに入り込み，実際に働くという身体を張ったルポも備えている。今や貴重なインフラとなっている宅配便について深く考えさせる一冊だ。－－－－－－－－－－－同僚に薦められて面白そうだったので手に取ってみた。僕が小説以外を読むのは数年に一度くらいなので，よほど気になったということだ。後から知ったが，筆者の横田増生は，アマゾンやユニクロの現場で実際に働いてレポートを書く，という日本のライターとしてはなかなか硬派の仕事人のようだ。－－－－－－－－－－－冒頭のヤマト運輸配送車，佐川急便路線トラックに同乗する”横乗り”レポートは，ごく普通のレベルだった。むしろその後に始まった，佐川急便，ヤマト運輸，日本郵便の成り立ちと現状を述べる中盤の部分の方が面白かったくらいだ。以前から気になっていた佐川とヤマトの社風の違い，会社戦略の差が，2社の成り立ちでよく理解できる。企業に媚びず，分かりやすくまとまっていて，スッキリと納得できた。－－－－－－－－－－－圧巻は，後半のヤマトの羽田クロノゲートでのアルバイトレポートと，各社のドライバーが過労であえいでいるという実情のインタビューだろう。ここで一気に普通の雑誌や新聞で読むことの出来る内容からレベルアップし，いろいろと差し障りの出る内容へとシフトしている。ただしこの筆者が偉いのは，職場で体験したことを問題と改善策を含めて語っていることと，それよりもそうした状況を生んでしまう顧客のニーズと過当競争にもきちんと目を向けていることだろう。企業が行ったミスをあげつらったり，内情を暴露するのは，朝日新聞や2ちゃんねる，そして総会屋でも出来ることだ。自分の体験をベースにして問題を浮き彫りにして，より大きな視点でその打開策を考えるとは，プロ意識を感じた。－－－－－－－－－－－3年がむしゃらに頑張れば家が建つ佐川急便，論理派で行政にも怯まない正しい企業ヤマト運輸・・・有名な企業イメージで，決して企業カラーと異なっていないけれど，今の時代実情はもう違うということは驚きだった。頑張っても報われない社会，にはなってもらいたくないなあ。送料無料のところで購入するのをやめようかなあ？ま，たぶんやめないけど。

  2017.05.29

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• 「向田理髪店」奥田英朗を読んだ

  北海道の経済的に破綻した街を舞台にした奥田英朗の連作短編集を読んだ。〇ストーリーかつて炭鉱で栄えた苫沢町だが，さまざまな計画を経て財政破たんをするという不名誉な状況となってる。その街が久々に盛り上がったのは，ここを舞台にした映画が撮影されるということだった。全国的に有名な女優も出演し，撮影による特需で街は盛り上がるが，その利権の分配で人々は争う。その一方で撮影は進み・・・－－－－－－－－－－－相変わらず大人気の奥田英朗作品を読んだ。今回の舞台は夕張市を連想させる，北海道の旧炭鉱町だ。主人公は一度は東京に出て会社勤めをした後に，親の理髪店を継いだ向田康彦，53才だ。街に2つしかない理髪店だが，このまま自分の代で終わらせようと思っていたところ，札幌で就職していた長男が戻って店を継ぐと言い出したことで，街の将来についてこれまでとは異なり真剣に考え始める。とは言え奥田英朗作品なので，道の駅，森林浴レストラン，生産者の顔が見える野菜，キャンプ場などが成功するわけではない。全国で何万という人々が必死に町興しをしていて，なかなか成功しないのが実情だ。ちょっとしたサクセスや思い付きで，地方都市がよみがえるワケではない。奥田英朗小説が描くのは，そこではない，ということだろう。－－－－－－－－－－－では，この作品で描かれるのは何か？舞台は破綻をすでに経験し，自主的な再建は無理と宣言されたに等しい苫沢町だ。また主人公の向田康彦も，東京に出て挫折を経験し，苫沢町に出戻った人物だ。住人たちにも，このまま消えゆくと思われていた街が，少しずつ小さなきっかけで活気づく。それぞれは街の再生につながるほどのモノではないのだが，それによる街の人々の盛り上がり具合は驚くほどだ。とは言え，それで街がマジックのように再生するワケではない。少しずつ努力をして，あまり成功をしなくても，あるいはそもそも努力をしなくても，故郷の街に生きる人々ののんびりしているように見える。その一方で，人間関係に追われて気ぜわしく，そしてちょっとした変化に浮かれる軽薄で，それでも利益はきちんと得ようとするちゃっかりしている，という地方の人々ゆえの生き方を，コミカルかつシニカル，そして全体的には好意的に語っているのがこの作品だと思う。－－－－－－－－－－－とは言え，普通の作家としては十分面白い作品なのだが，奥田英朗の作品と考えると物足りない。どの短編も苫沢町べったりだし，それ以上のヒネリはほぼナシだし，登場人物の意外な過去や運命が浮かび上がってワケでもない。一言で言えば，これ以上の広がりが感じられない作品だった。失礼ながら，それがそのまま地方都市の限界なのかも知れない。部分は魅力的だけれど，そうではない部分もあり，キュッとフォーカスするまでの価値は感じられない，というのが正直な気もだと思う。向田康彦視点で語られる苫沢町の過去と現在は，さすがに面白いが，もうこれ以上は要らないという気持ちになった。－－－－－－－－－－－「向田理髪店」：ハコモノ行政や，イベント行政が過ぎ去った後，故郷の苫沢町に残ったのは，借金と財政破綻だけだった。だが向田の息子はこの街に戻ってくると言い・・・自分だけはちゃっかりと東京の生活を体験した主人公で，街の行く末には悲観的というのがズルい。自分は実家に逃げ帰って来ておいて，他人には批判的な視点だ。ズルい。「祭りのあと」：ご近所の父親が倒れる。息子は毎週帰省するが，完全介護の病院が見つかり，足が遠のく。だがその母親が考えていたことは？・・・うわっ，色んな部分がリアルで怖い。自分の親が倒れたら，あるいは自分が倒れたら，それを考えさせつつ，それでもしたたかに生きる人々を描写するのがさすがだ「中国からの花嫁」：かつては若者のリーダーだった大輔が，中国人の嫁をもらってきた。街はその話題で持ちきりとなり。・・・大輔の性格も大げさだと思うが，これを一大イベントとしてしまう街には，さすがにドン引きしてしまう。中国人嫁のおおらかさが免罪符となっているとは言え，これは無い。ここでは生きていけないと個人的には思った。「小さなスナック」：札幌から苫沢町に戻った娘がいて，街に2軒目のスナックが開かれた。男たちは，魅力的なママにぞっこんとなり。・・・ディテールが細かくてやたらとリアルな短編だった。街の男たちが浮かれる中，主人公だけが冷静な理由は何なんだろう？「赤い雪」：苫沢町を舞台に，映画が撮影されることになる。有名女優も来ることになり，撮影による特需もあり，街は一気にお祭り騒ぎとなる。向田の母も映画に出演することになり・・・リアリティがない短編なので，逆に素直に楽しめた。撮影に浮かれる街の人々は可愛いし，利権を奪い合うのもご愛敬だ。「逃亡者」：街の出身者が全国的な詐欺事件を起こした。苫沢町は一時的に全国の注目を浴び，マスコミのスタッフも押し掛ける。向田たちは，この事件をなんとか穏便にまとめようとするのだが・・・苫沢町は全国的に注目を浴びることが多すぎて，本当に過疎地なのかと思ってしまう。正直，設定の地味さと物語の派手さがマッチしていない気がする。いろいろな人情噺はいいと思うのだけれど，あまりにも事件起き過ぎなので，せっかくの細かい描写があるのに，リアリティが感じられないという状況になってしまっている。図書館ではあれほどにも人気なのに，内容がない。・・・残念だ

  2017.04.06

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• 「ニセモノの妻」三崎亜記を読んだ

  日常と非現実の境い目が見えなくなる世界を描く三崎亜記の短編集を読んだ。○ストーリー〈僕〉の妻は，ある時から自分のことを”ニセモノ”だと言い出した。〈僕〉と距離を置き，懸命に”ホンモノ”を探そうとする妻に，〈僕〉は呆れつつも協力をする。そして〈僕〉たちは，多くの”ニセモノ”が暮らすという街へ，”ホンモノ”の妻を探しに行く。そこで彼らはある団体の秘密を探ることになり，トラブルに巻き込まれる。そして？－－－－－－－－－－－－”すぐ隣にある非現実”を細かいディテールを駆使して描く三崎亜記の作品で，4つの短編で構成されている。今回の作品がこれまでと異なるのは，すべての短編の主人公が夫婦であることだ。孤独な人物を主人公とするのが常だった三崎亜記が，夫婦を主人公にするということは，作風が変わったのか？大丈夫。結婚していても，主人公はいつも通り孤独だ。－－－－－－－－－－－－元々，人の心の動きを描写するのが得意な作家ではないので，不器用な独り者を主人公にする方が向いているのは間違いない。この作品では4組の夫婦が描かれているが，どれもあまりリアリティは感じられない。ある意味，新しい挑戦だったのだろうけれど，結果はあまりかんばしくはないと思う。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「終の筈の住処」：〈私〉と妻は，運良く高層マンションを購入することが出来た。だが完売し，他にも引っ越しがされていたはずのマンションには，他の住民の姿は見えなかった。そして〈私〉が隣町に住んでいる同僚の家に遊びに行くと，そこでは〈私〉のマンション反対運動が熱狂的に行われていた。ここで起きていることは？・・・多くの謎は明かされないまま終わるが，隣町の2匹の犬をめぐるエピソードが記憶に残った。そうした小さな不気味さが見事に積み重なって独特の味わいの短編を構成している。「ニセモノの妻」：外見も記憶も全て同じコピー人間，通称”ニセモノ”が現れるという現象が起きていた。〈僕〉の妻はある朝目覚めると，「自分はニセモノだ」と言い出した。〈僕〉にはその差が分からないので，彼女を受け入れようとするのだが，彼女は律儀に〈僕〉との距離を保つ。そして〈僕〉たちは，多くの”ニセモノ”が暮らすという街へ，”ホンモノ”の妻を探しに行く。だがそこでは？・・・三崎亜記作品にしては珍しく激しい展開となる短編だ。その分，その辺りの不慣れな印象は隠せない。ただし夫婦の関係について様々なことを問いかけるという意味では，さすがは表題作だ。どちらともとれる終わり方も良いと思った。「坂」：〈私〉の家は小さな坂に面していたが，世の中の〈坂ブーム〉の影響で生まれた〈坂愛好家〉の団体にそこが占拠されてしまう。住人達は市役所に解決を求めるが，”坂の定義”とお役所のセクショナリズムにより処理をしてもらえない。さらに〈私〉の妻までも愛好家に加わってしまった。そこに現れたのは？・・・細かいディテール，変わったロジック。どちらかと言うと，これまでの三崎亜記らしい短編だし，一応のハッピーエンドであり，どこかほっとした。「断層」：ある住宅街で，複数の家が〈断層〉に引き裂かれてしまった。その被害者である〈僕〉は，妻との時間を思い出しながら孤独な日々を過ごす。だがその毎日にも終わりが見えてきて・・・この短編は2つのパートに分かれており，1つには主人公の切ない気持ちがつづられていて強い印象を与えるのだが，もう1つが台無しにしている。なぜこの安っぽい作風にしてしまったのか？

  2017.03.22

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• 「蜜蜂と遠雷」恩田陸を読んだ

  恩田陸が直木賞を受賞した音楽青春小説を読んだ。〇ストーリー芳ヶ江市で3年に一度開催される国際ピアノコンクールが始まった。主に若いピアニストが出場するこの大会では，新しい才能が上位に入賞し，そのまま世界最高峰のコンクールでも好成績を収めるととして大注目されていた。そして今回も，巨匠ホフマンが遺したたった1人の弟子と言われる15才の流浪の少年・風間塵，ジュニアコンクールで優勝し，プロとして演奏をしていたのに13才でステージをキャンセルして引退をしていた伝説の元天才少女，現在20才の音大生の栄伝あや，楽器店勤務で妻子持ちの28才のサラリーマン・高島明石，そして王族のような容姿とオーラで圧倒するジュリアード音楽院の19才のエース・レヴィ・アナトール。様々な運命を背負った天才たちが出会い，競い合い，到達した領域とは？そして芳ヶ江ピアノコンクールの優勝の栄冠は誰のものとなるのか？－－－－－－－－－－－ようやく恩田陸の直木賞受賞作を読むことが出来た。受賞作にひじょうに相応しい華やかで祝祭感にあふれ，しかもしっかりと読み応えのある作品に仕上がっていた。先に読んだ，姉も姪も口をそろえて同じ感想を述べていた。とにかくひじょうに読みやすい。また驚くほど巧みに読者を主人公に共感させてしまう。電車の車内や会社の休憩時間に読んでいて，それでも涙したり笑ったりしてしまった。何回も書いているが，僕は恩田陸の大ファンで，全作品を読んでいる。今回の作品はベスト1にはならなかったが，ベスト3には入ってくると思う。これまでの作風とかなり違うので，逆に言えば恩田陸が初めてという人でも全く問題ない。ぜひ読んでもらいたい。－－－－－－－－－－－今回の作品はハードカバー2段組みで600ページというボリュームだが，章立ては「エントリー」「第一次予選」「第二次予選」・・・とコンクールと同じ構成になっている。作品の冒頭にも，推薦状，課題曲，演奏プログラムが提示してあり，読者は審査員，観客，そしてコンテスタント（コンクール参戦者）と様々な立場で，この芳ヶ江国際ピアノコンクールを追体験出来るようになっている。別にそれ以外で，ミステリーやサスペンスが起きているわけではない。純粋に音楽コンクールが始まり終わるまでを描いている。それでここまでドラマチックな物語が描けるとは，さすがは映像の魔術師・恩田陸だ。音楽をエンターテインメント作品の中に取り込むのが得意な作家には中山七里もいて，この人の作品も全部読んでいるが，音楽の描き方が彼とは異なる方向性だった。中山七里は曲想や曲の展開が，愛情たっぷりに丁寧に語られている。それに対して恩田陸は曲を基本的には映像（具象的だったり抽象的だったり）に変換して，そこで奥行きを語るという表現方法だった。どちらも音楽の楽しみ方ではないかと思う。－－－－－－－－－－－これも以前にも書いたが，恩田陸作品の特徴の1つがオープンエンドだ。うまく作用して印象深く終わる場合もあるのだが，「で？どうなったの？」とモヤモヤが残ることもある。「本選」が始まった時にすでに450ページで，果たしてきちんと終わってくれるのだろうか？またオープンエンドで投げられてしまうのではないか？と不安になった。結果は？・・・読んでみてのお楽しみだ。－－－－－－－－－－－恩田陸作品で多少鼻についた，登場人物の出身学校や所属組織など経歴をずらずらと並べて見せるバブル時代の化石っぽいクセは，抑えられていた。むしろこれまでの恩田陸作品では登場しなかった普通の人代表としてお父さんコンテスタント・高島明石がいることを評価したい。おそらくこの人も実は才能にあふれた雲の上の人なんだろうけれど，他が人間を超えた天才たちなので，この人も親しみが持ててしまう。何よりも本人に「自分は平凡だ」という認識があるのが恩田陸作品としては珍しい。他にもある少女マンガっぽいキャラクターのネーミングセンスは，残念ながら隠し切れなかったようだ。巨匠ホフマンの名前が，ユウジ・フォン・ホフマン，ジュリアードの天才青年の名前が，マサル・カルロス・レヴィ・アナトール，って，ユウジとマサルかよ？？？これはさすがに不自然過ぎるので変えた方が良かったよなあ。－－－－－－－－－－－と，ちょっと批判をしたけれど，あくまでも些末なことだ。極上の読書体験が待っている。自信をもってオススメだ。

  2017.03.01

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• 「巨船ベラス・レトラス」筒井康隆を読んだ

  何年振り以上の間隔を空けて筒井康隆を手に取って読んでみた。〇ストーリー前衛的な文学誌を目指した〈ベラス・レトラス〉が，どうやら廃刊になってしまうらしい。執筆の常連たちは，その情報を畏れつつ，現代の文学の状況について愚痴を言い合う。一方で，そうした彼らを妬む純ブンガク同人誌の執筆者からのテロ攻撃もあり，彼らはいつの間にか〈巨船ベラス・レトラス〉に集められる。そこではメタフィクション的に，彼らの作品の登場人物たちも集められ，さらに・・・－－－－－－－－－－－－僕は現在エンジニアとして仕事をしていることから分かるように，大学では理工系の学部だった。けれどもいろんな理由で，大学では所属をしていたサークルの1つが文学系サークルだった。当時はサブカルチャーブームが起きている頃で，文学の世界も分化が進んでいた。それでも文豪たちの文学，芥川賞作家たちが進める純文学，大衆文学としての歴史小説，というものが存在していて，さらにその下にSF冒険小説，ミステリー小説，児童小説があるという，まだまだ前時代的な世界観で覆われていた。そこにちょうど村上春樹，村上龍が登場して，この人たちは純文学なのか，SF冒険小説なのか？と世間がおろおろしている，今思えばひじょうに牧歌的な状況だったのだと思う。－－－－－－－－－－－－この作品は，10年前に刊行されているが，文学の世界では僕が大学生だった30年前のヒエラルキーがまだ生きていたことを知り，懐かしく思い，また呆れてしまう。〈ベラス・レトラス〉という前衛的な小説を掲載することを目論んだ雑誌があったのだが，結局，執筆している作家たちも方向性を失っていて，雑誌は赤字を続け，廃刊を余儀されなくなる。それを知らされた執筆者たちは，少しずつ自分たちの現実が，〈巨船ベラス・レトラス〉に乗船しているという状況に浸食されていることに気付く。彼らが文学の未来に対して考察をすればするほど，〈巨船〉にいる時間が多くなるのだった。さらにその船には，彼らの作品の登場人物たちも姿を現し，作品はメタ的な様相を呈していく。－－－－－－－－－－－－この作品では，ライトノベルやネット小説の内容の薄さ，文学賞を話題性を狙って若い人に与えること，書店員たちが新しい賞を企画すること，ネットで作品が勝手に公開されてしまうこと，など，様々な今の問題が語られている。こうした問題が小説の中で扱われるのはあまりないし，新聞でも雑誌でも避けられている気がする。逆にネットの中でこそ，問題は語られている気がした。ただ先週末，書店の雑誌コーナーで夫婦で堂々と，旅行ムックのページを撮影している人がいたのには驚いたことを思い出した。誰かがそれをおかしいと言い出さない限り，すべての行動は経済原理に流されて，利益率だけをモノサシに淘汰されてしまう。筒井康隆は，そこに対して一言述べたかっただろう。－－－－－－－－－－－－同人誌出身で，SF小説出身の筒井康隆が，文学を，そしてその前衛を語る，というのも時代を感じてしまうが，もうそんなことを覚えている人も少ないんだろう。いろんな意味で，文学とブンガクの没落が実感できた。そうした今日，批評家などは存在する意義もないということもわかる。重要なのは，文学に関してはこうした現状批判的な作品が残るが，音楽，ドラマ，演劇，映画などは，作品として成立しづらいということだろう。さすが筒井康隆なので，ツヤがあって飽きさせない，それでいてここまで読者を考えさせる。まるで大学生に戻ったみたいな気分になって楽しめた。これが10年前で，いまだにこのヒエラルキーというところには驚いてしまうが，なかなか面白いと思う。

  2017.02.02

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• 「相田家のグッドバイ」森博嗣を読んだ

  森博嗣の描く家族の伝記を読んだ。〇ストーリー相田家で育った紀彦は，最初は当たり前だと思っていた自分の家の常識が，世間の常識とは大きくずれているということをある時から気付き始める。父・秋雄は工務店を経営していたが，無口で趣味が多く，飽きっぽい性格。母・紗江子は，専業主婦だが驚異的な整理収納の情念を持ち，燃えるごみ以外を捨てず，キレイに伸ばして畳み，サイズや材質ごとにしまい込むのだった。それぞれに変わっていて，それぞれに理屈っぽい両親に紀彦と妹・英美子は育てられた。やがて彼らも学校を卒業し，就職，家を離れた。そして・・・－－－－－－－－－－－－「すべてがFになる」で鮮烈にデビューをし，その後の膨大な作品で大ベストセラー作家となった森博嗣。この人の一番の特徴は，ブームとなった「理系的」な登場人物たちが語り合う，論理的思考で構築された世界観だ。常識からは外れているのに，論理的に説明されるとこちらの方が正しそうだ，真理に近そうだ，というものの見方が面白くて，世の中の平凡な小市民たちに熱狂的に愛された。ミステリー作家としてデビューした森博嗣だが，いつの間にかそこからは離れ，SF，ファンタジーへとジャンルを変遷している。この作品はある家族の伝記なので，森博嗣としても新しいジャンルだと思う。自伝かどうかは僕にはわからない。－－－－－－－－－－－－作品は相田紀彦という男性の視点で描かれる。時代は言及されていないが1960年頃，紀彦が物心がついた時から始まる。一家はその時点から核家族で，一戸建てに住んでいた。伝記小説風なのに，紀彦についてはあまり描写されない。あっという間に大学生になり，智紘という女性と結婚し，独立をする。紀彦の妹・英美子も5年後に結婚し家を出る。長々と描写されるのは両親2人の生活だ。やがて両親も病気がちとなり，ついに2人とも亡くなってしまう。そこで紀彦たちのとった決断がまたかなり現代的だ。ある場所に生まれた核家族「相田家」がやがて消えるまで，を描いた作品だ。－－－－－－－－－－－－森博嗣の作品としても，最近は老いが語られることがある。この作品はそれを中心に据えたものだ。たださすがは森博嗣，老いや死についても，まったく臆することなくドライに割り切っている。相田家の両親が森博嗣の両親なのかどうかは分からないが，彼らは自分が生きたいように生き，そして淡々と死んでいく。その割り切り具合には，ぞっとする孤独感もあるが，一方ですがすがしさも感じる。まあ聖書にもあったが，天国には現世の財を背負って持ち込むことは出来ないのだ。平凡なようで，禅の心理のような，フレーズが続く。－－－－－－－－－－－－面白かったり，知的好奇心が満たされたりするワケではないが，かつて〈理系世界のかっこいい主人公たち〉に憧れを抱いた人は，その頃と同じように〈禅僧のように枯れた夫婦〉とでも称したものに似た感想を抱くと思う。

  2017.01.18

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• 「東京會舘とわたし（下）新館」辻村深月を読んだ

  東京丸の内にある東京會舘の歴史を描いた辻村深月の連作短編集を読んだ。○ストーリー2011年3月，60前後の女性たち4人が，東京會舘を目指す。かつて20代の頃，ここでクッキングスクールに通っていた彼女たちを，會舘は温かく迎えてくれた。そして翌朝，そのうちの1人，三科文佳が帰宅した時，夫がしたこととは？－－－－－－－－－－－辻村深月が（たぶん）初めて歴史小説，あるいはセミ・ノンフィクション小説として発表した，上下巻，全10章の連作短編集を読み終えた。共通する舞台は，皇居お濠沿いにある東京會舘だ。上巻では大正から戦前，戦中，そして東京オリンピックの時代までが描かれた，下巻では昭和そしてごく最近の時代が描かれる。時代からの影響が濃かった上巻と比較して，下巻は個人が焦点へと移りつつある。例外的でチカラがあるのは東日本大震災の際の東京會舘を描いた第八章だが，それ以外はかなり小粒の，個人の思い出のようなスケール感となっているのが残念だ。－－－－－－－－－－－また上巻では多かった會舘に勤務する人の視点で語られた短編は，下巻では第七章の1編に留まる。ただそれもインタビューを継ぎ接ぎしたようだし，展開も予想できてしまい小説としては魅力に乏しい。全編を通じて繰り返される「東京會舘素晴らしい」は伝わってくるし，共感もするのだけれど，さすがにここまで続けられると，だいぶ食傷気味になるのは否めない。冷めてしまった視点で見ると，この作品が語ろうとしていることは何なのか？辻村深月が自分がここで結婚披露宴をして，直木賞も取った，という自慢以外に何が残るのか？などとつき詰めて考えると，なかなかに苦しいものがある。－－－－－－－－－－－辻村深月の東京會舘への敬愛は表現されていると思うが，それが単純な礼賛で終わってしまっている。様々なエピソードも，東京會舘のサイトで公開されている思い出や，内部スタッフから聞いた逸話以上には広がっておらず，社史のような偏った物語でしかない。まだ上巻は年表的な読み方が出来たが，下巻は個人の思い出が並んでいるだけという印象で，あまり戦後の東京會舘が伝わってこない。東京會舘の90年の歴史に挑んだものの，あまり消化し切れなかった，というのが印象だ。－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「第六章　金環のお祝い」：茂木芽衣子は習い事の新年会をきっかけに，亡夫と通っていた東京會舘を訪ねる。残念ながら建物は建て替えられており，どこも刷新されていて芽衣子は戸惑う。だが従業員に教えられ，彼女はかつての建物から受け継がれた意匠デザインを少しずつ再発見する。・・・穏やかに伝わるよい短編なのだが，肝心の照明器具〈金環〉の描写が伝わらない。ネットで画像を検索して，どういうものがようやく理解できた。「第七章　星と虎の夕べ」：裏方から接客へと異動となった志塚徹平は，越路吹雪のディナーショーの担当となる。彼は〈虎〉をしてもらうために，彼女のマネージャーを探しに行く。・・・これまで東京會舘に勤務している人の視点での短編では，會舘のお仕事が語られたのだが，この短編では越路吹雪の物語になってしまっている。で，またまた礼賛と。「第八章　あの日の一夜に寄せて」：銀座の呉服屋を訪ねていた三科文佳たち4人は，東日本大震災に罹災し，東京會舘で一晩を過ごさせてもらう。そこはかつて彼女たちが20代の頃，クッキングスクールに通った場所だった。そして翌朝，文佳を迎えに来た夫がしたこととは？・・・東京會舘のサイトでも公開されている実話をベースに，クッキングスクールの歴史を盛り込んだ短編だ。どちらを主体に描いているかがぶれるのが残念だが，短編としては一番優れていると思う。「第九章　煉瓦の壁を背に」：作家・小椋真護は候補となって5回目で，ようやく直木賞を受賞する。その受賞会見と受賞式の会場となるのは，彼にとって苦い思い出が刻まれた東京會舘だった。・・・いつもの辻村深月らしい青春や親子の確執を描いた短編で，一番滑らかで，一番エモーショナルだ。ただ，東京會舘とそこの人々を描いてきたこれまでの短編と異なり，突然主人公，あるいは作者個人の物語となっている。作品としては悪くないのに，連作短編集の中で他と違和感があるので評価できない。「第十章　また会う春まで」：第三章で戦時中に東京會舘で結婚式を挙げた水川静子の曾孫が，ここで挙式をする。その後，東京會舘は建て替えとなることが決まっていた。・・・短くてひじょうに散漫な短編だ。上巻はプロローグで始まったことだし，これは第十章とせず，エピローグで良かったと思う。どうせならこれまでの登場人物総出演というサービスがあっても良かった。

  2016.12.14

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• 「東京會舘とわたし（上）旧館」辻村深月を読んだ

  実在する東京會舘のエピソードを用いた辻村深月の連作短編集を読んだ。○ストーリー都落ちをして沈んだ気持ちになっていた寺井は，帝国劇場のヴァイオリン演奏会を聴くために，夜行列車で東京に出る。再会した知人が語る東京の最新事情も，彼の耳には違う国の物語のようだった。疎外感を抱きつつ，帝国劇場に向かった彼らが目にしたのは，帝劇の隣に建つ新しい豪華な建物だった。それは東京會舘と名付けられたレストランおよび宴会場だった。この建物にまつわる数奇な運命の物語はここから始まる。－－－－－－－－－－－東京の丸の内，皇居のお濠沿い馬場先門の目の前にある宴会場・東京會舘の歴史を，大正から昭和，そして平成へと流れる10編の短編でつづったのがこの作品だ。辻村深月としては初だと思うが，人の情念よりも東京會舘という場の空気（あるいはそれを築き上げている人々）を描いている。さらに実話に基づいた歴史小説というのも初のはずだ。辻村深月は，デビューから何回も作風や描く世界が変わってきている。同人誌のような作品から始まったが，情念に満ちたミステリーを書き，そして最近では堂々とした人間や家族の物語を発表している。この作品はさらにこれまでの作風とは異なり，だいぶ地味で大人向けの作品となっているように感じた。－－－－－－－－－－－この作品を読んで知ったが，東京會舘は戦前は大政翼賛会に接収され，戦後は占領軍GHQに接収される，という歴史の波に翻弄された過去があったとのこと。短編はそうした歴史のイベントをうまく選択しながら進んでいく。上巻の5編のうち，3編では語り手は會舘に勤務する人物だ。そうした裏方の視点から，変わるもの，変わらないものが描写される。連作短編であり，同じ場所を舞台にしているので，前の短編に登場した人物が成長して別の短編でも登場する。どれだけの人が実在して，どの人が作者によって創造されたキャラクターなのかは分からないが，そうした仕掛けのおかげもあり，少しだけ自分が東京會舘の常連客になったような錯覚を持てるのがうれしい。－－－－－－－－－－－さて勤務する人物が語り手の短編が半分以上であるので，この作品は”お仕事小説”的な味わいも持っている。客のために研鑽を怠らず，一方で自分を曲げなかった人たちだけが到達できる喜び，とでも言ったものがいくつも描かれている。上巻を読んだ限りでは，NHKのドラマを観ているような気分になった。マジメ過ぎる。－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「第一章　クライスラーの演奏会」：家を継ぐために大学を中退し故郷に帰った寺井は，あこがれのヴァイオリニスト，フリッツ・クライスラーの演奏会のために久々に東京に出る。会場の帝国劇場の隣には東京會館という名の新しい建物が出来ていた。演奏会を満喫した寺井は，東京を去りがたく，この新しい建物に足を踏み入れる。そして奇跡は起きた。それにより寺井も・・・東京を離れ，作家になる夢を諦めかけていた若者・寺井が語り手の短編だ。最初の短編なのに，主人公はずっと鬱屈していて，東京會館そのものにも当初は批判的という，謎のマイナススタートとなっている。なかなか読みづらい。「第二章　最後のお客様」：太平洋戦争の直前，東京會館は大政翼賛会に接収されることになる。厳しい運命を迎える朝，責任者の佐山が會館で目にしたのは，建物をベストの状態に保つためいつものように清掃をしている従業員たちの姿だった。だがやがて・・・現代の視点からは理解は出来ないが，民間施設が政治団体に取り上げられるという状況を描いていて，自分の子供を取り上げられるような主人公たちの静かな悲しみが伝わってくる。けれどもひたすらウンチク話が多くて，小説としては魅力が薄い。最後まで佐山が支配人なのか社長なのかよく分からなかった。「第三章　灯火管制の下で」：太平洋戦争の終盤，関谷静子は親戚の勧めに従い，水川健治という男性の元に嫁ぐ。彼女が唯一こだわったのは，自分で用意をしたドレスを着ることだった。式場はかつて静子も来たことのある東京會館で，今は大東亜会館と呼ばれていた。水川に馴染めなかった静子だが・・・語り手は新婦・関谷静子だが，第一章の語り手と同様にずっとうつうつしている。設定ではお転婆娘ということなのだが，呆れるほど自己完結的に空回りしている。大丈夫なんだろうか，この人？あとこの時期に洋装で三々九度ってのも大丈夫なんだろうか？「第四章　グッドモーニング、フィズ」：敗戦となり進駐軍の支配下に置かれた東京では，数々の建物がGHQに接収された。東京會館もその一つとなり，〈アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー〉として高級将校のための宿舎とクラブと生まれ変わった。満州から復員した桝野は，知り合いの伝手で東京會館に勤めることが叶い，そのまま〈アメリカン・クラブ〉のバーで下働きとなる。そこで出会った先輩の今井と共に，彼はバーテンダーを目指す。だが米国人のマネージャーは・・・再び華やかな光に満ちた東京會館が描かれるのだが，バーテンダーの世界なので，お仕事小説としては今一つ共感できるものがない。バラックと闇市との対比でもあればより面白い短編になったと思う。「第五章　しあわせな味の記憶」：東京オリンピックが開催され，日本の家庭にもさまざまな洋風文化が入り込んで来た。東京會舘の製菓部の長・勝目は，社長と事業部長に，大人気の泉屋に対抗するため土産用の菓子を作るように依頼される。だが勝目は自分の菓子の品質を守るために一度は断る。その決心を翻させたのは，事業部長の熱い説得と，製パン課長からの意外な申し出だった。そして・・・東京會舘に勤務する人だけでなく，客として訪れた人の視点も取り入れたおかげで，上巻のラストにふさわしい短編となっている。パティシエのお仕事小説としても読み応えがあるし，これまでのキャラクターも登場しているので豪華な気分になることが出来た。

  2016.12.10

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• 「街の博物誌」河野典生を読んだ

  若竹七海の作品の中で紹介されていたSF幻想小説を読んだ。○ストーリー自転車に乗っていた父子は，彼らの前を横切る恐竜の姿に驚く。やがて彼らの住む新興住宅地に，多くのトリケラトプスが現れ，現実と重なり合って住み始めた。2つの世界のゆるやかな共生を父子は喜んでいた。だがそうした日々は，ティラノサウルスの群れの出現により終わりを告げた。－－－－－－－－－－－－河野典生は，1960年代から20年ほど「宝石」「SFマガジン」などで作品を発表し，直木賞候補にまでなった作家らしいが，これまで読んだことがない。ハードボイルド小説と幻想小説を書いていた，という経歴のようだ。僕もどちらのジャンルにも手を出しているが，自分でも一貫性がないと思っているので，両方を得意としていた作家がいたことに驚いた。－－－－－－－－－－－－この連作短編集は，都会的なテイストのSF幻想小説で，レイ・ブラッドベリの作風を思い出させて懐かしかった。この作品が刊行されたのは1974年で，ちょうど〈東京ゴミ戦争〉〈光化学スモッグ〉の頃で，輝かしい未来は既に失われつつあったはずだ。それでも格調高い文章とレトロな雰囲気で全体を上品にまとめ上げたのは素晴らしいと思う。稲垣足穂の後継者がこんなところにいたとは？！なぜ大学生の時に知ることが無かったのだろう。残念でならない。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「序曲 ある日、ぼくは聞いた」：・・・散文の序曲で，若々しさにあふれている。恥ずかしくなるほど前向きだ。「1 メタセコイア」：東京の歩行者天国の中心で，ある家族は毎週ピクニックを行う。微笑ましいとも愚かとも思われていた彼らは，誰の目にも見えない古代からの樹木を目にしていた。・・・ある人々にだけ見えるもう1つの世界というのはまさにブラッドベリ的な世界観でぐっと引き込まれた。「2 ベゾアール・ゴート」：郊外の分譲地でヤギの無殺菌乳を訪問販売する男が現れた。男が健康的にたくましくなるに連れて，ヤギ乳の人気も上がる。だが不思議な事件も発生し？・・・ディテールが細かい部分とロシア幻想小説のような展開とのバランスが面白い。「3 マッシュルーム」：幼い1人娘がふさぎ込み，キノコの絵を描き始めた。夫婦は娘がそれを食べているのではないかと心配するが，事件は別の場所で起きていた・・・これはかなり怖い。「4 直立猿人」：〈僕〉は恋人の桃子から距離を置かれてしまった。そんな〈僕〉は自分に短い尻尾が生えていることに気付く。そして・・・これまたロシアの短編小説のような味わいなのだが，最後は別の方向へと進む。「5 ネオンムラサキ」：仕事場まで長時間をかけて通勤をしている男は，自分の上に青く美しい蝶が飛んでいることに気付く。やがて蝶は，多くの通勤者の上にも現れ・・・美しい短編だ。「間奏曲 プレリードッグ」：住居を空へと伸ばせ続けようとする人間がいる世界の裏で，巣を地中に深く掘り続けようとするプレリードッグがいた。・・・よくわからなかった。「6 空についての7つの断章」：・・・散文でまとめた短編。立原道造かと思った。「7 ザルツブルグの小枝」：雑木林の中の別荘で暮らしているおれたちは，別の空間が重なり，家のすぐそばに海や〈ザルツブルグの小枝〉が現れるのを見る。・・・超常現象が起きてやがて去っていく，という平和的なパターンの短編だ。ただ主人公がヒッピー家族。「8 ニッポンカサドリ」：郊外の分譲住宅地の真ん中に残った古い家で，春日部は書道塾を開いていた。だが彼の古式の指導法は受け入れられず・・・うーん，いつの時代の物語なんだろう？シュールだ。「9 トリケラトプス」：新興住宅地に住む父子の前にトリケラトプスは現れ，やがてそれは群れとして現実世界に重なって存在する。平和な日々はティラノサウルスの群れの襲撃によって終わりを告げた。・・・繰り返し用いられているモチーフだが，超常現象を父と息子が一緒に体験しているという部分が新しく，優しい世界になっている。「10 クリスタル・ルージュ」：人が死ぬときに身体から空へと伸びて行く赤い結晶。それを信じてくれた男に少年はついていく。そして最後に・・・圧倒的なビジュアルに驚いた。アジア的な世界観だなあ。「終曲 さあ、どこへ行こうか」：・・・最後も散文だ。ここでも前向き（笑）。

  2016.11.10

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• 「小太郎の左腕」和田竜を読んだ

  「のぼうの城」「村上海賊の娘」の和田竜の歴史物語を読んだ。○ストーリーまだ戦国時代が続いていた頃，隣接する戸沢家と児玉家の一党は，互いに相手の領地を奪い取ろうとしていた。戸沢家には林半衛門，児玉家には花房喜兵衛がおり，互いを認め合いつつ戦場で命の奪い合いをしていた。だが戦術を誤った戸沢家は2,000の兵で籠城し，児玉の7,000の兵に包囲されてしまう。徐々に疲弊し，兵糧も焼かれ，絶体絶命となった城を救うために，半衛門は，雑賀衆の少年・小太郎をだまして連れてくる。この少年の左腕に隠された能力とは？－－－－－－－－－－－－主人公は小太郎少年ではなく，戸沢家の侍大将・林半衛門だ。半衛門とその従者，そしてライバル役である児玉家の花房喜兵衛がメインで描かれる。和田竜作品でおなじみの，からりと豪快な武者たちが，友情を感じつつも平気で命の奪い合いをする，という江戸以前の侍の姿をまた楽しむことが出来る。まあ，今回の主人公はちょっと悩んでしまうのだけれど。－－－－－－－－－－－－登場人物は他の作品に比べて少なく，物語もシンプルで分かりやすい。また例によって映像が目の当たりに浮かぶような描写力なので，するすると読むことが出来る。だが，とくにソフトカバー上下巻だった「村上海賊の娘」を読んだ後だと，だいぶ物足りない気がしてしまう。また山田風太郎の忍法帖に出てくるような伊賀忍者が登場して，だいぶ作品の質を落としている気がした。－－－－－－－－－－－－和田竜の作品は，かなりエンターテインメントの色が濃くて楽しめるが，途中の引用や巻末の参考文献を見ると，この部分は史実なんだと驚かされることが多い。この作品は，時代は明確に記されているが，土地については現代の広島，岡山の辺りというくらいであまり特定されていない。そういうことから，史実に縛られずに自由に物語を構成したのではないかと思われる。リアリティあるいは史実への準拠の度合いで並べると；「のぼうの城」＞「村上海賊の娘」＞＞「忍びの国」＞＞「小太郎の左腕」ではないかと思う。ここでどうせならばもっと楽しめるものに仕上げれば良いのに，どこか真面目に踏みとどまってしまっているのが残念だ。－－－－－－－－－－－－なんか不完全燃焼な作品だ。

  2016.10.19

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• 「やなりいなり（しゃばけ10）」畠中恵を読んだ

  畠中恵の江戸ファンタジー〈しゃばけシリーズ〉の第10巻を読んだ。○ストーリー長崎屋の当主で，一太郎の父親・藤兵衛が行方不明になって3日が経った。藤兵衛が最後に見られた場所，会話を元に，長崎屋の離れで一太郎と仲間の妖怪たちで謎解きが試みられる。様々な意見が出る一方で，長崎屋には股別の不思議なことが起きていたのだが？－－－－－－－－－－－－平和な江戸の大店で，若だんなの一太郎と妖怪たちが謎解きや冒険に挑む〈しゃばけシリーズ〉の10冊目を読んだ。今回も連作短編集となっており，安心して読むことが出来る。第8巻の「ころころろ」，第9巻の「ゆんでみて」が，連作短編でありながら，1冊を通じた謎解きがあったので，どうしてもこちらもそうした仕掛けを期待してしまう。「やなりいなり」では，短編の冒頭に毎回料理レシピが載せられており，それがストーリーの中でも登場する，という趣向があったが，それ以上でもそれ以下でもなく，全体を通した謎は存在しなかった。そのため，最後のページまで読み終えた時に，「え？これだけ？」という物足りなさを感じてしまった。同じように感じた人は多かったらしく，書評のページでも評判がひじょうに低い。これは畠中恵が8巻，9巻と作品の質をどんどん上げてしまったのが理由だと思う。ベストセラー作家も大変だ。－－－－－－－－－－－－「こいしくて」：長崎屋がある通町では恋の病が蔓延していた。そんな中，若だんな・一太郎のところには，病の神たちが次々と訪れる。一太郎を守る妖怪である佐助と仁吉は，神たちさえも押さえ込み，そして通町で起きている異変の真相が語られる。果たしてその解決策とは？・・・たたり神が首を揃えて長崎屋で説教をされているのがおかしい。けれども古今東西，役割を私的な理由で怠って混乱を起こした者は，罰を受けるというのが，物語のロジックだ。死なないということから，人間とは異なる気持ちを持つはずの神たちが，あまりにも愚かなのは，どうもしっくり来ない。前作「ゆんでみて」とリンクがある部分があって，これが最後にきれいにまとまるのだと思ってしまった。京橋，日本橋とひじょうに具体的な地名が語られ，長崎屋の場所が目に見えてくるのが楽しい。「やなりいなり」：長崎屋に突然幽霊が現れる。熊八と名付けられた幽霊は，生前の記憶を無くしており，妖たちは熊八の過去を探る。一方で，駿府から乱暴な盗賊団が江戸へと下ってきていた。2つの物語はやがて1つにつながり，そして？・・・ラストの甘ったるさは相変わらずだが，中盤までの流れは面白かった。熊八くらいの図々しい性格でないと，〈しゃばけ〉の妖たちと渡り合えないよなあ。熊八の記憶はどうなっているんだっけ？「からかみなり」：長崎屋の当主・藤兵衛が3日も戻ってこない。体調の優れない若だんなの離れで，藤兵衛の行方不明の謎解きが，次々に試みられる。・・・登場人物たちがそれぞれ謎解きを発表し合う，というのはミステリーでは見られる展開なので，〈しゃばけ〉で取り入れられても違和感はない。ただ，それなりにシリアスな状況なのに，のんびりくっちゃべってるって，やはり妖の感覚は人間と異なるようだ。一太郎もだけれど。「長崎屋のたまご」：夕暮れ時，青空から不思議な玉が長崎屋に落ちてきた。一部の鳴家鬼（やなりおに）は，弾み続ける玉を追いかけるが，長崎屋には天空から数人の魔が降りてきた。果たしてたまごのような玉の正体とは？・・・なぜ怪獣は日本を目指すのか？そしてなぜ，妖怪だけでなく，神も魔も長崎屋を目指すのか？神や龍との出会いは，これまでは1冊を費やして描かれていたが，もうキャラクターインフレが進んでしまって，当たり前のようにそうしたレベルの方々が並ぶ。うーん，何が言いたいのか分からない。中途半端に最初の短編とのリンクも出てくるし？？？「あましょう」：幼馴染の菓子職人・栄吉が修行に出ている店へ買出しにきた若だんなは，そこに買い物に来ていた2人の若者・新六と五一の喧嘩に巻き込まれる。・・・人情噺を目指したのは分かるけれども，設定の無理が多過ぎて入っていけない。なんだか女性に平気で失礼なことしているのはお咎めなしかよ？前巻からの因縁も，この作品での大黒様のさばきも忘れ去られているみたい。うーん，何が言いたいのか，さっぱり分からない。

  2016.10.17

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• 「紙つなげ！彼らが本の紙を造っている」佐々涼子を読んだ

  東北大震災で壊滅した日本製紙石巻工場の奇跡の物語を読んだ。○内容2011年3月11日宮城県石巻は津波に襲われた。奇跡的に従業員は無事だったものの，日本製紙の石巻工場は瓦礫の山に覆い尽くされた。廃業が語られる中，工場長は半年での業務再開を宣言する。電気，水道などインフラも途絶え，食料さえ不足している中，従業員たちはどのように動いたか？工場，設備，営業，組合，野球部，近隣の人々，それぞれの立場の物語が語られる。－－－－－－－－－－－－2014年に出版された当時は話題になっていたノンフィクションを読んだ。〈8号〉と呼ばれる巨大な製紙マシンの前に，従業員たちが整列している写真の表紙にインパクトがある。写真では男性と女性は別々のユニフォームを着ており，きちんと分かれて並んでいる。この工場は石巻市にとっても重要な産業となっているらしく，工場の周辺に社宅群，セミナーハウス，運動場などもある。執筆者は書いてはいないが，いろんな意味で古い体質の企業であることがうかがえる。ただしこの物語の場合，そうした要素が上手く作用した。トップは無茶な計画を立て，各チームは休みを返上して実現のために動き，その努力は町中から応援された。－－－－－－－－－－－－タイトルにもある製紙に関わる人々の努力については知らないことが多くて，本当にためになった。紙の種類，光沢，強さ，コシ，カサについて，そこそこページが割かれていて，作者が執筆者として感銘を受けていることはよく伝わってきた。ただ，それはそれ。あらゆる製品に，いろんな人々の努力が注がれているのだから，紙を特別視する必要はない。僕はそれなりに本を読むので，各出版社の文庫本の紙の色が違うと言われれば分かるけれど，それから先は内容を重視する。日本製紙の方々の復興にかけた超人的な努力には深く感動を覚えた。けれども製紙についてはなるほど，というレベルに留まった。作者はやや肩入れし過ぎだと感じた。－－－－－－－－－－－－実は，2011年9月に石巻に行き，この工場の構内に水を吸った紙ロールが大量にあるのを目撃している。当時はまだまだ町中，そして道路沿いに瓦礫の山があり，その裏で，こんなことが起きていたとはまったく知らなかった。そして震災後の数日の描写，マスコミには報道されない強奪事件の数々を読み，電車の中でも人目をはばからず涙が止まらなかった。当時のやるせない気持ち，行き場の無い怒りがまざまざと思い出された。－－－－－－－－－－－－エンジニアの身としては，不可能を可能とした技術的なエピソードをもっと紹介してもらいたかったが，「頑張った」「モーターを煮た」以外はあまり描写されていないのが残念だった。あの町，あの企業，この人々ではないと実現出来なかった偉業なのかも知れないが，前に向こうとする気持ちの重大さが伝わる。全ての登場人物，そして作者にご苦労様と言いたい。オススメだ。

  2016.09.22

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• 「手のひらの幻獣」三崎亜記を読んだ

  現実とファンタジーの境い目を巧みに描く三崎亜記の作品を読んだ。○ストーリー長いこと派遣されてくる芸人のような扱いを受けていた〈表出者〉は，政府によって軍事利用されることになった。大戦の頃に〈表出〉され，そのまま実体化して凍結されていた怪物・ナナイロ・ウツツオボエが開放された時，事故は起きた。暴走するチカラを止めるには？－－－－－－－－－－－－読み始めてから奥付の出版日や，三崎亜紀の作品リストを調べてしまった。妙な既視感があったからだ。ヒントは巻末の〈三崎亜記の本〉というページにあった。この作品は「研究所」「遊園地」の2つの中編で構成されており，日野原柚月という女性が主人公の連作となっている。同じ人物を主人公にした「動物園」が短編集「バスジャック」に，「図書館」が短編集「廃墟建築士」に収録されている。既視感の理由は，最初の中編「研究所」の出だしが，「動物園」のそれに良く似ていたからだ。三崎亜記の作品には独特の空気間があり，作品同士がつながっているのではないかと言われている。けれどもこの一連の〈表出者〉が登場する作品群ほど，明確にシリーズとなっているのは珍しい。－－－－－－－－－－－－さて登場人物がほとんど重なるシリーズなのだが，これまでの2編と今回の2編では雰囲気がだいぶ異なる。過去の2編，とくに「遊園地」は，人生に疲れてはいるけれど，他人をふっと喜ばせることの出来るチカラを持つ，という主人公の孤独が印象的だった。また「遊園地」「図書館」ともに，誰でも知っている空間なのに，ひょっとしたら〈表出者〉が出入りしているかも知れない，と想像すると，現実の向こうにファンタジーが透けて見える楽しさがあった。今回の2編は，〈表出者〉という能力者の歴史を語り，またそれが政府により軍事利用される，という展開となっている。これには違和感を感じてしまった。「ターミナルタウン」も似たような空気があったが，あれはそれをベースに作品が作られているからよいと思う。地方巡業の孤独な主人公を描いていたシリーズが，超能力バトルSFになってしまった。僕が読みたいのはそんな三崎亜記じゃない。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「研究所」：イメージを現実世界に投影する能力を持つ〈表出者〉の日野原柚月は，彼女の勤務先が政府と協力して行う〈表出〉のチカラの軍事利用の実験に立ち会う。だがライバル会社の妨害工作のため，〈表出〉した実体は暴走を始める。それを止めるために立ちはだかったのは？・・・「動物園」かと勘違いさせられた懐かしい導入部から，驚きのスケールアップだ。柚月の再登場はうれしかったけれど，世界観が違い過ぎないか？「遊園地」：幼い心と強いチカラを持つタクヤと組んで全国で〈表出〉を続けている日野原柚月は，ある地方都市の遊園地の近くを通る。タクヤがそこから〈表出者〉の助けを求める声を聞き付けたため，彼らは休日に遊園地を調査に行くことにする。だがそこでは，秘密の計画が進められていた。・・・またもや国家レベルの陰謀で，げっそりする。スケールが大きいワリに，登場人物が毎回同じって，タイムボカンみたいだよな。

  2016.09.21

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• 「お引っ越し」真梨幸子を読んだ

  〈イヤミスの旗手〉真梨幸子の引っ越しをテーマにした連作短編集を読んだ。○ストーリー引っ越し前の片付けと荷造りが終わったと思っていたナオコは，玄関の上の棚にまだ荷物が残っていたことに気付く。そこから出てきたのは，前回の引っ越しの際にも，整理し切れずに押し込んだものだった。その荷物はナオコの思い出であり，隠したい過去でもあった。やがて・・・－－－－－－－－－－－ミステリーやサスペンスというよりはホラーのカラーが強い連作短編集だ。面白いのは引っ越しをキーワードとしていることだ。住んでいる場所を移る時には，他人をプライベート空間に入れる必要があったり，過去のしがらみが浮き上がってきたりして，妙に無防備にならざるを得ない状況が生まれる。そうした揺らぎを切り口としているのはさすがだと思う。残念なのは真梨幸子の持ち味である濃厚な人間関係のひずみが，この短編集では発揮できていないことだ。わずかに「箱」でその〈イヤミス〉っぽさが出ているが，多くの短編がネット掲示板で読むことのできる都市伝説レベルに留まっている。次回作に期待しよう。－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「扉」：引っ越し先の候補のマンションに管理人に頼んで入れてもらったキヨコは，間取りの中に不思議なスペースを見つける。玄関扉の隣にあった避難口を確認しようとした彼女は？・・・いきなりのホラー展開だが，主人公が恐れていることと，実際に陥ってしまうことに関連が無く，小説としての膨らみが少ないのが残念だ。「棚」：荷造りが終わったはずのナオコは，玄関の上の棚が残っていたことに気付く。前回の引っ越しの際にも，ここに未整理のものと押し込んだのだった。そこから出てきた彼女の過去の思い出に，思わず時間を忘れるのだが・・・表現されていない部分を想像させて怖さを引き出す手法は上品で良い。意外と長い時間が経っていたのね。「机」：体調がすぐれない夫を持つ妻は，引っ越し会社の事務所で電話番を始めた。この会社はだいぶ乱暴な経営をしているらしく，毎日のようにクレーム電話がある。さらに彼女は事務所のデスクの引き出しの奥から，ある告発文を見つけてしまい・・・短編としては丁寧で一番面白い仕上がりになっている。これは読んでのお楽しみ。「箱」：会社で部署をまたいだ大きな席替えが計画された。だが若い女性社員は，お局の派遣社員の意地悪のために自分の荷物が届かない。彼女は会社ビルの外で自分の段ボールを持った男を見かけて追うのだが？・・・イヤミスっぽい展開で，真梨幸子の本領が発揮されている。主人公がここまで嫌われる理由は何かあったのかな？「壁」：マンションの隣からの騒音で睡眠不足になってしまった男は，その音が暴力にまでエスカレートしていることに気付く。警察に通報することで，事件は未然に防がれたはずだったが，男の前に現れたのは？・・・短編としてはあまり怖くないのだが，リアルにこの状況に直面した際にどうすれば良いのか考えると怖くなってくる。「紐」：インターネットのストリートビューを用いて，自分のマンションを見ていた〈私〉は，自分の玄関の前に不思議な黒い紐が出ているのに気付く。そして玄関を開けてみると・・・ホラーとしてはありがちなことと，最初の短編に戻っても新しい展開にならないことで，不満な出来の短編だ。これで終わりかと思っていたら。「解説」：〈私〉は引っ越しをテーマにした連作短編集の解説を頼まれるが・・・解説でありながら，エクストラの短編という仕掛けだ。

  2016.08.26

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• 「凪の司祭」石持浅海を読んだ

  自分勝手な論理で大量殺人を計画する主人公の物語を読んだ。○ストーリーあるコーヒー専門店の常連たち5人は，恋人を亡くした篠崎百代を立ち直らせるために，彼女の復讐計画に協力をする。 そして百代は，週末の汐留の複合施設に計画を実行するために向かった。だが，ある事件が起きたため，常連たち〈5人委員会〉は複合施設へと向かう。百代の計画を止めさせようとする彼らは間に合うのか？－－－－－－－－－－－始めに現実に事件が発生している状況下で，この感想を書いていることを謝罪する。これは意図したことではなく，たまたまこうしたタイミングで本を読んだだけだ。僕自身は，テロや大量殺人に対しては強く反対の立場だ。 －－－－－－－－－－－この作品のジャンルは何なのだろう？冒頭から既に計画の実行日で，章と章の間に挿入される過去の逸話を通じて，篠崎百代が計画実行に至るまでが語られる。だが，そこには謎解き要素は無いのでミステリーとは言えない。計画の遂行を通じて篠崎百代が過去のトラウマや失態を克服する，ということもないので冒険小説とも言えない。主人公が機械的に復讐を繰り広げるという意味では犯罪小説なのかも知れないが，犯人ゆえのあせりや，予定が狂ったためのハラハラなどもない。石持浅海作品の登場人物たちは，ストーリーを成立させるためだけの言動しかせず心が感じられない，という批判があるが，今回はそれを究極まで押し進めたような印象だ。この作品はただただあらすじを描写しているだけのような仕上がりとなっている。 －－－－－－－－－－－例によって，犯人の動機が読者にはちっとも伝わってこないロジックで成立している。通常のミステリーでは，動機は小説を前に進めるための道具でしかなく，謎解きがきちんと展開されればそれで良い，ということが多い。だが，この作品ではそれはダメだろう。ある発言をもとに，篠崎百代は復讐を思い立つのだが，それはあまりにも根拠薄弱だ。また彼女1人が失意から立ち直るために，大量殺人が赦されるという破綻したロジックで作品が構成されている。 今回ばっかりは中2病的な動機は大きな問題だ。出版社もよくこれを許可したと思う。 －－－－－－－－－－－せめて実行される計画にリアリティがあればまだ読むに耐えたのだが，これがまたご都合主義のかたまりで，犯人のやることが全て上手く行ってしまう。 一流のショッピングモールが舞台なのだが，そこには何ヶ所もロッカースペースがあって，何日もそこに荷物を置いておくことが出来る？出来ないでしょ？来た時に通路にゴミ袋を置いておいて，それが通行人に蹴飛ばされて中身が宙に浮く。確率低いし，片付けられるだろ？何百人にも接近しても，誰からも意図的あるいは偶然でも反撃されない。これもありえない。実際に登場人物の中では，被害者につかまれたり，抱きつかれたりして，二次被害にあっている人が描写されている。 容疑者の即時射殺を命じられた警察官が，スマホで撮影されるのが怖くて，命令を実行しない。いつの時代だよ？911以降だろ？－－－－－－－－－－－まだ〈5人委員会〉が犯人を止めに行く理由が，犯人の動機を根底から覆す新事実の発見などであれば，物語にサスペンスが生まれたと思う。けれど，〈5人委員会〉の我が身可愛さだけの行動なので，そこにも人間的な心情はない。主人公側にも，助かった側にも，少しも共感が湧かないというまれに見る読後感の悪い作品だった。〈イヤミス〉ではない，ただの「嫌な本」だ。     

  2016.07.29

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• 「我が家のヒミツ」奥田英朗を読んだ

  「家日和」「我が家の問題」に続く，奥田英朗の家庭をテーマにした短編集を読んだ。○ストーリーアンナが12才になったとき，実の父親が別にいることを両親から教わった。16才になったアンナは，母親に頼み，その実の父に会いに行くことにする。出会ってみた実父は著名な演出家で，アンナと友人たちは勝手に盛り上がる。アンナは1年間海外留学をしたいのだが，スーパーの雇われ店長の育ての父には，そんなお金はない。そこでアンナは？？？－－－－－－－－－－－－－最初に「家日和」を読んだ時は，奥田英朗が堕落をしたような印象を勝手に持ったものだ。けれども今となれば，誰にとっても身近な世界を活き活きと描き，事件とも呼べそうも無い小さなきっかけを通じての夫婦，親子の絆の再確認を小説にする，ということが，とても繊細で難しいことが分かる。今ではこのシリーズが一番安心して読むことが出来る。奥田英朗，ごめんなさい。－－－－－－－－－－－－－巻末には恒例の〈N木賞作家・大塚康夫〉を主人公にした短編が収録されている。この中で，「かつて人気だったシリーズの再開を打診されたが断ったら冷たくされた」「事件に巻き込まれておかしくなっていく人々を描いた作品が不人気だった」といったことが語られていた。これは〈伊良部シリーズ〉や，「ナオミとカナコ」か「無理」のことか，など，いろいろ想像してしまったけれど，かつてほど人気が無くなってしまって気落ちしている様子がうかがえた。僕の区の図書館では大人気で，予約待ちの人数は500人を超えたりする，と教えてあげたい！本当の応援は本を買うことなんだろうけどね。－－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「虫歯とピアニスト」：子供ができないため時間を持て余した敦美は，近所の歯科医院で受付のアルバイトをしている。そこに以前からファンだったピアニストの大西が患者として現れ，敦美は大西の日常のちょと間抜けなプライベートな部分を知ることに喜ぶ。姑から不妊治療を勧められそうになっていた敦美は，落ち込んでいたのだが・・・生活も安定していて何も不足はないのだけれど子供ができない。どうしても妊娠と出産を意識してしまう普通の妻の日常がさらりと描かれている。ここにかつて「尖って」いたけれど，今では無色透明な演奏をするピアニストが現れ。けれども昼ドラ的な展開は無く，温かい短編に仕上がっている。「正雄の秋」：メーカーの営業部長の正雄は，営業局長のポストを同期で競争相手の河島に取られてしまった。50才を超え，それなりの役職にいたため，正雄は総務部部長か子会社の専務への異動を決断するように内示される。頭では理解しても，心では納得出来ていないため，河島と一言も口をきかないまま有給休暇に入り，妻と四国旅行をしている彼のもとに，ある連絡を入る・・・さすがに50才で挨拶もしないのは偏屈過ぎる（笑）。これじゃあサラリーマンとして上手く行かないよ，と自分のことを棚に上げて思ってしまった。けれども，最後は肩のチカラが抜けたようになって良かった。「アンナの十二月」：16才になったアンナは，母親に頼み，顔も知らない実の父と連絡を取り，会いに行くことにする。実父は著名な演出家で，稽古場ではテレビで観るような俳優たちを指導しており，代官山のマンションで1人暮らしをしていた。アンナは舞い上がり，スーパーの雇われ店長の育ての父と比較をしてしまう。そしてついに・・・アンナの親友2人は最初は一緒になって喜ぶだけだが，本人より先に冷静になっていさめる立場になってくれる。まっとうな子供たちで安心した。アンナはかなりのおバカなので，この2人の友人は今後も必要なんじゃないかと思った。「手紙に乗せて」：亨の母は脳溢血で急死してしまった。それ以来，がっくりと気落ちをしてしまった父が心配で，亨は近くのマンションを引き払い，父・亨・妹の3人で暮らしている。亨は広告代理店の若手社員だが，同期や若い先輩は，あっと言う間に母の訃報のことを忘れ，上司や部長職の人ほど気遣ってくれるのだった。ある上司に父の状況を説明したところ，その人は父宛てに封書を書いて手渡してきた。それを読んだ父は・・・うーん，深い短編だ。いろいろ考えるし，いろいろ反省させられる。亨の一家は，一足先に成長出来たから良かったじゃない。「妊婦と隣人」：産休中のため，日中はマンションで1人きりの葉子は，隣に越して来た夫婦のことが気になって仕方が無い。壁に耳をあてて音を聞き，1階の集合郵便受けを監視し，管理人とも噂をし，ついに○○に○○してしまう。とうとう夫に叱られてしまう葉子だったが，さらに・・・これはいくらなんでもやり過ぎだろう。妊娠中で精神的におかしい人の短編じゃないのか？「妻と選挙」：N木賞作家の大塚康夫は，自分の中では終わっているかつての人気シリーズの再開を打診され，断ると編集者が冷たい態度を取るようになった。出版業界の不況と自分の人気の凋落を感じた康夫だが，妻・里美が市議会議員に立候補をすると聞き驚いてしまう。だが落ち込んでいる自分と異なり，活き活きとする彼女を見て，その後押しをする気持ちになる。だが公示から本格的な選挙活動が始まると・・・「家日和」の短編「妻と玄米御飯」，「我が家の問題」の短編「妻とマラソン」に続き，N木賞作家・大塚康夫のミニシリーズ第3編だ。これまでは奥田英朗の実録小説かと思っていたけれど，さすがに今回はあるあるじゃ済まされない内容になってきた。さりげなく妻のことを「美人」だとほめたり，選挙がきっかけで息子たちと一緒になって久々に盛り上がったりと，ほほえましいのは毎回のこと。それにしても冒頭の部分は本当なんだろうか？心配だ。

  2016.06.18

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• 「忍びの国」和田竜を読んだ

  新しい感覚のスピーディで分かりやすい歴史物語が人気の和田竜の作品を読んだ。○ストーリー織田信長の息子で伊勢に養子に行っていた信雄は，自分の判断で伊賀を攻めることにする。だがそこは戦国武将たちよりもはるかに合理主義が徹底した異次元の人々が暮らす〈忍びの国〉だった。情けの心を持つ武士たちと，驚異的な能力を持ちつつも銭でしか動かない忍びたち，その間で揺れ動く，伊賀一の忍・無門が見た歴史とは？－－－－－－－－－－－－「のぼうの城」でも見られた和田竜の技量が遺憾なく発揮されている。　－個性的な登場人物を敵味方ともに設定している　－その人々の活躍する場面を巧みに配置している　－歴史物語として史実に則り，ファンタジーとはなっていない　－誰もが知っている大きな事件，の隣にある小さな事件を舞台にしているこの人の作品で上手いと思うのが，歴史小説の範疇に留まりつつ，現代の読者が好む派手さを取り入れたということだろう。まあ，山田風太郎が40年前に実施済みのテクニックではあるのだけれど。－－－－－－－－－－－－伊勢の国の登場人物は，織田信長の次男・信雄（のぶかつ）だ。彼に仕えるのが，巨漢で豪放だが古いタイプの武将である日置大膳，小兵だが武勇に優れた武将の長野左京亮の2人だ。異なるタイプの武将を登場させ，その言動，友情を対比させるのはビジュアル的にも分かりやすい。戦国時代の武将としては型破りじゃないのか？と思わせるのも全く「のぼうの城」と同じだ。－－－－－－－－－－－－さて「のぼう」では，秀吉の軍勢と坂東武者の対比だったが，この作品の対比は武士と伊賀の忍びだ。これには多分に和田竜の解釈が加わっていて，対比は現代のサラリーマンとフリーターを意識したような，生き方そのものから異なる，ということになっている。ただし伊賀の国のフリーターたちは，いざ本気を出せば武士の数倍の戦闘力を持っているスーパーフリーターだ。この立場逆転の展開は，単純に数での対比で負けていた「のぼう」とは異なる身分の違いも関わるので，読者によってはとても感情が入ると思う。僕自身はサラリーマンだし中年だし，スーパーフリーターにあまり共感は出来ない。そうした読者層を意識しているらしく，織田信雄の武将たちがきっちりした側の人々として活躍し続ける。この辺りも，上手く出来た作品だ。－－－－－－－－－－－－「のぼうの城」以上に登場人物が多いのだけれど，残念ながら多くの人物が出ただけで終わっている。現代的なスピーディで分かりやすい歴史小説を目指しているのは間違いないのだろうけれど，以外と忍の無門の日常の描写に費やされていて，他がおろそかになっている気がした。ちょうどスーパーアイドルグループのリーダーを主演として映像化されるというニュースが流れてきた。なかなかキャスティングが難しい作品なので，ヒットさせるのは難しいと思うけれど，頑張れとしか言えない。

  2016.06.10

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• 「盤上の夜」宮内悠介を読んだ

  直木賞候補とまでなったSF作家のデビュー短編集を読んだ。○ストーリー彼女は四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった──若き女流棋士の栄光をつづり、第１回創元ＳＦ短編賞で山田正紀賞を贈られた表題作にはじまる全６編。同じジャーナリストを語り手にして紡がれる、盤上遊戯、卓上遊技をめぐる数々の奇蹟の物語。囲碁、チェッカー、麻雀、古代チェス、将棋……対局の果てに、人知を超えたものが現出する。２０１０年代を牽引する新しい波。－－－－－－－－－－－日本SF大賞を受賞し，直木賞の候補に選ばれたという，高いレベルの評価を得ている作品だ。読んでみると，文章はストイックで洗練されているし，テーマは人間の知性の限界についてだし，ひじょうに文学的だ。高いレベルのSFは純文学と共振することが出来るという実例となっているらしい。－－－－－－－－－－－個人的にはより話題となった「ヨハネスブルグの天使たち」を先に読んだ。こちらの作品は，南アフリカ，アフガニスタン，中近東などを舞台にした，〈歌姫〉と呼ばれるアンドロイドをめぐる物語だった。誰もが行きたがらないような紛争地帯を体験を元に描いた作品群は，同人誌的な他人の知識を元に書かれたひ弱な作品とは確実に迫ってくるリアリティの次元が異なっていた。その次に読むことになったこのデビュー作は，ある意味よりハードルの高いものだった。ゲームあるいはギャンブルというものをテーマにしているし，多くの部分で抽象的な思考を描写しているし，また必然的にゲームに魅入られた社会的視点からは相容れない行動を取るキャラクターがほとんどとなっている。それでも否定できない魅力と引力がこの作品にはある。－－－－－－－－－－－読む前は，棋譜やら雀譜やらが大量に挿入されている作品だと思っていたが，手を取ってみると，それ以上に奇妙なプレイヤー列伝となっているし，ほぼ全部の短編で文章描写だけでゲームの立会いを表現しているので，素人にはハードルの高い棋譜などはほぼ不要となっている。それ以外にも煙に撒かれる要素は充分ある。安心して翻弄されるといい。－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。｢盤上の夜」：中国で四肢を失い，その代わり囲碁の盤面と自分を擬似的に繋ぐことで生き延び，そして日本に帰国した少女・灰原由宇。日本では棋士とペアのような形で打つことで初の女性本因坊となったものの，数年で精神的に病み引退することとなった。彼女が目指していた極北の囲碁とは？・・・身体感覚，あるいは感性が盤面と直結することで，余人を寄せ付けないゲームの強さを得る，という部分は多分にSF的で面白い。灰原の過去も，SFとしてはかなり過酷な内容なので，とくに男性の読者にはアピールすると思う。とは言え，異形への妄信のようでもあり不気味だ。｢人間の王」：チェッカーの世界チャンピオンとコンピュータソフトとの対決の真相は？チャンピオン・ティンズリーの生い立ち，ソフトプログラマが彼のファンであったことを示しつつ，究極の知性と究極のプログラミングが対決した際の地平が描かれる。・・・ゲームとは何か，人々はなぜそれに熱中するか，その最果ては何か，というテーマにおいて，この短編がもっとも明確に答えをくれると思う。ドライかも知れないけれど，テーマを突き詰めた短編が存在することは重要だと思う。｢清められた卓」：ある年の麻雀王位・白鳳位戦は歴史から抹消され雀譜も残っていない。そこには，宗教団体の代表である美女・真田優澄，型破りの若手雀士，9才の自閉症的な少年，そして宗教家の女性を追ってきた精神科医の4人が揃っていた。だが優澄の打つ手は，人智を超えており，4人は徐々にある熱気に包まれていく。・・・この作品にしては珍しく，プレイヤーが多いので，さまざまな展開があり読んでいて楽しい。一方で，結末は以外とリアルで，ちょっと引いてしまった。｢象を飛ばした王子」：インド国の王子・ラーフラは，出家して国と家族を捨てた父・ブッダとは異なる世界の認識方法があった。全ての執着を捨てようとする父と異なり，ラーフラは戦力を抽象化して，ボードの上にそれを再現しようとしていた。彼の生涯の悩みを理解してくれない父・ブッダに対して，彼は・・・リアルな取材に基づいて書かれていた，という設定の短編集だったが，いきなり古代インドに飛んでしまう。そこで将棋の元祖が生まれたから，ということもあるようだが，ブッダに捨てられた家族はどうしたのか，というテーマがそこに色濃く重ねられている。この短編を読む限り，ブッダは○○人間なんだなあ。面白い！｢千年の虚空」：綾部綾という女性に翻弄され，政治家になり〈ゲームを殺すゲーム〉を製作した兄・一郎，そして，将棋の棋士として神へ通じる将棋を打った弟・恭二。3人が辿り着いた地平とは？・・・純真なSFオタクたちへの衝撃の大きさだけを狙ったような，エログロ短編だ。もし圧倒的な天才がいるならば，こうした女性の罠にはまらないでもらいたい。とは言え，余りにも設定が不自然だ。「原爆の局」：トップゲームプレイヤーをインタビューして，資料をまとめていた〈わたし〉は，相田と由宇を探して，棋士の井上とアメリカへと渡る。彼らは雀士の新沢と出会い，人間とゲームの意志について，考えさせられる。そしてついに・・・「ヨハネスブルグ・・・」でもあったが，最後の短編で，これまでの短編を連作とする仕掛けがここで投じられる。けれども一度経験してしまうと，リズミカルな体言止め，絶妙なこれまでの短編からのキャッチなどが，”計算されたテクニック”と感じられて，狙っていると思われる感動には繋がりにくい。短編はテーマが統一されているのだから，世界観はバラバラでも良くない？？？

  2016.06.08

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• 「ターミナルタウン」三崎亜紀を読んだ

  パラレルリアル，とでも言うべき世界観を描き続けている三崎亜紀の長編作品を読んだ。○ストーリーかつて鉄道の乗り換え駅として栄えていたターミナルタウン・静原。今では隣の市に併合されてしまったこの町に，移り住んだ人々がいた。彼らのおかげで，死んだような町が徐々に息を吹き返し，やがてある大きなことが起きる予感が流れ始める？果たしてその結果は？－－－－－－－－－－－現実とファンタジーが当たり前のように並列して存在していたら，それが一番怖いことだと思う。三崎亜紀の作品群は，現実と非現実がほとんどハードルがなく並列している。僕らが知っているファンタジー作品の嘘っぽさは存在せず，一方で現実の社会の危うさを批判する要素を持っている。僕らにとっては当たり前のルールが，他者から見たら不自然な，不合理なものだったら，という疑問，それが三崎作品の根底にあるような気がする。国民の休日ではないけれど，お盆の時期には休まなくてはいけなくて，それを外して前後に休もうとしたら，驚かれる社会。それが今日でさえ日本で見られる組織社会だ。あれ？日本社会って，現実と幻想が並列している一番怖い状況だ。－－－－－－－－－－－この作品は分厚いハードカバーだが，静原町という，かつてのターミナルタウンを舞台にした物語が，章ごとに異なる語り手で進むことによって，ひじょうに読みやすく構成されている。最初の章の語り手は，影を失ったことで国から疎外され，住む人のいなくなったニュータウンに移り住んだ響一だ。部外者の彼の視点で，静原町がゆっくりと読者に語られる。次の語り手は，〈旧都〉から静原町に移り住んだ牧人だ。駅前アーケードに店を開き，明るく振舞い，既存の町の人々に入っていく牧人だが，どうやら彼には隠された目的があるようだ。それとは別に，牧人の行動により，静原町の東西の分裂が明らかになる。商店街の娘と思われていた理沙は，〈隋道士〉の父が倒れたため，〈旧都〉から実家の和菓子やを手伝うために戻っていた。彼女は牧人と出会い，静原町の新しい可能性を考えるようになる。長い間，静原町の秘密を抱えていた町長は，鉄道の路線が閉鎖され，経済的に上向きだった時期に，町興しの策をいくつも指導して失敗し，結果的に静原町の隣の市への併合を招いてしまったことを悔いていた。だが，町には新しい風が吹くのだが。静原の駅で拾われた赤子が育ち，そのまま駅員となった丸川。彼は神童として町では知らないものはいない存在だった。牧人，理沙と共鳴した丸川は，恭一も巻き込んで，大きなムーブメントを起こそうとする。静原東口の〈隋道士〉のコミューンを率いていた修介は，町長の娘婿だった。だが2人には長い時間をかけても相容れない部分があった。隣の市が仕掛けてきた〈鉄道フェスティバル〉の混乱の中で，修介と若者たちは，いくつもの企みを阻止する。だが最後に・・・静原町の駅に勤務して40年の駅長は，ある人々を見送ることとなる。それは悲しくもうれしい別れだった。－－－－－－－－－－－三崎亜紀の作品は8割以上読んでいるので，ファンだと思っているが，この作品は長編へのチャレンジだと思った。語り手を変えて，一方で同じ時系列の事柄を語ることで，これまでの短編の手法を用いたままで長編へと構成しているのはよく理解出来た。また一方で，我々の現実で見えている，不思議なルール・・・たとえば駅前なのにあの店は優遇されているとか，この計画道路はどうしても通さなければいけないとか，こちらの地域だけ施設整備が進むとか・・・そう言った現実の歪みを語ることで，逆説的なリアリティを確保している。これはなかなか面白いテクニックだ。－－－－－－－－－－－章ごとのイベントには大小の差があって，いつものじんわりした味わいから，映画のようなスペクタクルまであって，なかなか目が離せない。けれども，それが基本的には静原町で登場した同じキャラクターで実演されるので，読み進めればぐいぐいと引き込まれる。長編なのに，短編の魅力も失わない良い構成だったと思う。－－－－－－－－－－－三崎亜紀の初期作品から考えると，驚くほど登場人物たちがアクティブだと思う。あの沈んだネガティブな雰囲気から，二歩も三歩も踏み出した世界がここにはある。

  2016.05.31

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• 「みぃつけた（しゃばけ絵本）」畠中恵を読んだ

  〈しゃばけシリーズ〉の番外編となっている絵本を読んだ。○ストーリー大店の孫・一太郎は，身体が弱く，同い年の子供たちと遊ぶことが出来ない。いつも1人で寝てばかりの毎日だった。そんなある日，天井の隅から，不思議な小鬼たちが現れる。一太郎は，彼らと仲よくなりたいと思うのだが？－－－－－－－－－－－－－〈しゃばけ〉ファンのために作られた絵本で，幼少の一太郎が主人公だ。どうやらまだ佐助，仁吉とも出会う前らしく，1人で寝てばかりで寂しい毎日を過ごしており，そこで小鬼〈鳴家（やなり）〉と遭遇するという物語だ。シリーズの狂言回しの〈鳴家〉らしい破天荒な行動も描写され，絵本らしいファンタジックな部分もある。とは言え，あっと読めてしまうし，内容は他愛無いので，作品としての評価はしづらい。－－－－－－－－－－－－－当然だが，シリーズでずっと扉絵を描いている柴田ゆうが絵を担当している。これも読者としてはうれしいのだが，個人的にはシリーズ扉絵にはあるかすかな毒がこの絵本では消えていて，そのために魅力が薄れているように感じた。－－－－－－－－－－－－－〈鳴家〉以外の怪がこっそりと登場しているね。（笑）

  2016.04.30

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• 「ぬしさまへ」畠中恵を読んだ

  畠中恵の〈しゃばけシリーズ〉第2巻を読んだ。○ストーリー江戸の町で火事があったが，その後で天野屋の娘・おくめの死体が発見された。おくめは長崎屋の美形の手代・仁吉に恋文を送っており，仁吉は容疑者として疑われてしまう。長崎屋の若だんな・一太郎は仁吉を救うために，妖（あやかし）たちに助けを求めるが？－－－－－－－－－－－－－シリーズ第2巻は連作短編集だったが，第1巻が長編だったことがむしろ意外だったので，すんなりと入ってきた。江戸時代を舞台にしたミステリーで，毎回妖怪が登場するというファンタジックな要素が濃い，というのがシリーズの概要だろうか？ミステリーと妖怪ファンタジーの比率が逆転しているのではないか，という懸念があるが，基本はこの路線だという理解で良いのではないかと思う。さまざまな妖要素を度外視すれば，江戸時代の大店のぼんぼんを主人公にした日常ミステリーだとも言える。－－－－－－－－－－－－－連作短編集となってしまったので，毎回ちょっとした状況説明の文章がちょこっと加わるようになった。その必要性は分かるのだけれど，どこか煩わしい。一方で，一太郎の兄・松之助だったり，大妖・白沢こと仁吉だったりと，語り手が代わる短編が混じっているのは，シリーズの流れを変えたり，別の視点を提供することで，とても面白い。2人いる一太郎の守護大妖で，仁吉ばかりが扱われて，佐助はまだまだ語られないというバランスの悪さはあるものの，これはシリーズが続くことで，今後まだそのチャンスがある，という作者の読みだろう。－－－－－－－－－－－－－勝手に創造していた江戸大平楽の物語ではなく，きちんと庶民の日常や，人々の生活のつらさが描かれている。人気が出るシリーズには，きちんとワケがあるものだね。－－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「ぬしさまへ」：江戸の町で火事があったが，その後で天野屋の娘・おくめの死体が発見された。おくめは長崎屋の美形の手代・仁吉に恋文を送っており，仁吉は容疑者として疑われてしまう。長崎屋の若だんな・一太郎は仁吉を救うために，妖たちに助けを求めるが？・・・一太郎を守護する2人の大妖の1人・仁吉が事件に巻き込まれる。いつも一太郎を助けてきた大妖が逆に助けられる，というのが面白い。結末はかなりビターで，さすがは女性作家だ。「栄吉の菓子」：九兵衛というご隠居が，一太郎の幼馴染の栄吉が作った菓子を食べて死んだという疑いがかけられる。栄吉は菓子屋から一時的に一太郎の所に居候することになるのだが，九兵衛の死の真相は，意外な方向へと進んでいく。・・・大店の若だんな・一太郎と世間をつなぐ重要なポイント，幼馴染の栄吉がピンチに陥る。九兵衛というご隠居の死の真相は，なんとも悲しいものだった。またまたビター。「空のビードロ」：桶屋で働く松之助は，店の近くで続いていた犬猫殺しの犯人疑いをかけられる。店から追われそうになった彼を救ってくれたのは，主人の娘・おりんだった。少しだけ心が温かくなった松之助だが，その後に衝撃の体験をする。・・・しばらくどんな物語なのか分からなかった。「ぬしさまへ」と内容が近くてごっちゃになりそうだ。あちらでも起きた火事が，松之助の人生を左右する。一太郎はお人好しだなあ。「四布の布団」：一太郎の布団から毎晩若い女性の泣き声が聞こえる。長崎屋の面々は，布団を納めた田原屋に乗り込むが，主人・松次郎の大声に一太郎は圧倒され，倒れてしまう。だがそこで田原屋の番頭の死体が発見され，一堂は事件に巻き込まれる。・・・扉絵は何だろうと少しだけ考えたが，布団に入ってる若だんなだと思う。妖の捜査能力や，あやかしとしてのチカラがよく伝わる短編だが，もう1つ人間たちが幸せになれない印象だ。今回くらいハッピーエンドでも良かったのに。「仁吉の思い人」：一太郎を守護する大妖2人のうちの1人，仁吉こと白沢が千年間思い焦がれ，失恋した相手とは？・・・佐助と仁吉の2人がいるのだが，これまでは圧倒的に仁吉ばかりが扱われていて，ちょっと不思議だ。まあ，実際に一太郎が担当している薬種問屋の手代は仁吉だからなあ。「空のビードロ」に続き，いつもとは視点が異なる短編だ。それにしても仁吉，格好良過ぎだ。「虹を見し事」：一太郎が目覚めると，いつもの妖たちは姿を消し，仁吉・佐助の守護妖怪たちも普通の人間ととなっていた。妖の無い世界は現実なのか？それとも誰かの夢の中なのか？一太郎の孤独な戦いが始る。・・・2つの事件が発生していたために構成が複雑な短編で，読み終えてもまだすっと納得が行かない。やや未整理なまま，作品が執筆されてしまったような印象を受ける。いわゆる〈ifの世界〉としては面白いのだが，ちょっともやもやする。うーん，微妙な終わり方。

  2016.02.20

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• 「山女日記」湊かなえを読んだ

  登山をする女性を中心に描かれた湊かなえの連作短編集を読んだ。○ストーリー父親と始めた登山を，いまだに1人で続けている主人公。彼女は過去に2度失敗した槍ヶ岳登頂に，3度目のチャレンジをする。だが彼女と同行することになったのは，古い考えの中年男性と，初心者の中年女性だった。理解をされない苦しさを感じつつ，彼らと登頂を目指す主人公が体験したことは？－－－－－－－－－－－－〈山ガール〉と言わずに〈山女日記〉というキーワードで，山に登る女性たちを描いた連作短編集だ。女性たちは山，あるいは同行者と向き合いながら，日常の問題を見つめ直すこととなる。その多くは男性との恋愛なのだけれど，それ以外にも中年の姉妹の関係なども絡んでくる。女性の登山ブームにちゃっかり乗りつつも，きちんと連作短編集にまとめ，短編相互のリンクもいい感じにまとめる，って，やはりそつない。この作品あたりから，湊かなえと真梨幸子の評価の差が生まれてきた気がする。ここ3年で発表された作品では，湊かなえ；貸し出し街，真梨幸子；予約なし，みたいな状況だった。図書館の借り出しや予約がそのまま人気のバロメーターではないけれど，いつの間に差がついたのだろう？－－－－－－－－－－－－この連作短編集の最初のテーマは〈山〉だろう。さんざん〈山ガール〉特集で，身近となった〈山〉だが，実際にチャレンジしてみるとどうなるか，ということが，等身大のリアリティをもって感じられる。僕自身は，歴史を体感できる街歩き，街道歩きは好きだが，いまだに登山に対しては魅力を感じないままでいる。そうした僕に対しても，なかなかのアピールをしてきたこの作品は大したものだと思う。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「妙高山」：丸福デパート勤務のOL・律子は，登山靴を購入したことをきっかけに，同期の友人たちと登山を始めようとする。だが，待ち合わせ場所に現れたのは，律子と親しい包容力のある舞子ではなく，ルーズな由美だった。ちりちりした距離感のまま，登山を始めた2人だったが，案の定・・・登山ビギナーの律子，さらにやる気のない由美の2人を主人公にして物語は始まる。同期社員ということで，既にいろいろと確執があり，それが案の定，登山という非日常の中で爆発する。でもそれがきっかけで2人の距離感が縮まる，というのはある意味出来過ぎな気がする。導入の短編としては，その点を気にしなければ及第点だ。〔連作としてのリンク・2人の先輩社員が牧野しのぶ〕「火打山」：地味な男・神崎と派手な女性・美津子の2人は，山登りデートをする。ひたすら神崎にもてなされ，心配される美津子だが，彼女には別の顔があった。・・・転職をしても，40才を越しても80年代のファッションを継続する美津子って，かなりイタイ感じがする。こんな奴いないだろう。実は庶民的なのよ，って，最初から斜め上のギャップ狙いなのだろうか？この美津子には，あまり共感できない。〔連作としてのリンク：神崎と美津子〕「槍ヶ岳」：父親と始めた登山を，いまだに1人で続けている主人公。彼女は過去に2度失敗した槍ヶ岳登頂に，3度目のチャレンジをする。だが彼女と同行することになったのは，古い考えの中年男性と，初心者の中年女性だった。理解をされない苦しさを感じつつ，彼らと登頂を目指す主人公が体験したことは？・・・山という場所で自由になれたはずの主人公が，それが本当の自由であったのか悩み自覚する，という構成は素晴らしい。けれどもそれを知るために，勘違い中年の男女に理不尽な扱いを受ける必要はないよね。この作品で一番むかついた短編だ。〔連作としてのリンク：主人公が牧野しのぶ（らしい）〕「利尻山」：翻訳家を目指しつつも，実家で暮らしている希美は，しっかりしている姉と利尻島で登山をする。折りしも天候は崩れ，利尻山はガスに包まれていた。しっかり者同士の姉夫婦を苦手に思っていた希美だが，姉の告白を聞き・・・しっかり者の姉，自由人の妹という分かりやすい対比をベースにして，中年を迎えつつある姉妹の描写が見事だ。〔連作としてのリンク：宮川希美の友人が帽子作家の柚月〕「白馬岳」：完璧な夫婦と家庭を築いてきたのに離婚を迫られた〈私〉は，妹・希美と小学生の娘・七花と登山に挑む。登頂を目指す中，自分の体力の減退，頑張る娘，明るく思いやる妹の存在を見つめ，自分に欠けていたものを考えてしまう〈私〉だが・・・前の短編の2人が引き続き語り手を代えて登場する。小学生の娘を加えた3人は，問題を抱えた姉を気遣いつつ白馬岳を目指す。価値観がゆらぐ中，妹が提案したこととは？姉は？そして姪は？・・・ここの夫，燃え尽き症候群じゃないの？メンドクサ。〔連作としてのリンク：宮川姉〕「金時山」：学生時代はバレーボールでトップレベルだった舞子は，恋人で劇団員の大輔と登山をする。富士山を希望した舞子に対し，大輔が連れて行ったのは神奈川の金時山だった。どこか不満に思いつつ頂上を目指す舞子だったが，そこで待ち受けていたこととは？・・・常に頑張り，裏方に回り，トップを目指す舞子。彼女をこの場所に連れてきた大輔は出来る男だ。エライ。短編としての完成度も高い。〔連作としてのリンク：最初の短編のOL2人組と舞子が同期〕「トンガリロ」：ニュージーランドの日本人トレッキングツアーに参加した柚月は，新婚の神崎夫妻，永久子＆しのぶの先輩後輩と一緒に絶景が続くトレッキングを楽しむ。だが彼女は，この旅行に別の思い出を重ねていた。・・・短編の中でさらに2つの時系列を語るという複雑な構成で，やや混乱してしまう。柚月が徐々に楽になっていくのは読んでいても感じるのだが，最後の短編としてはボリューム不足は感じてしまう。〔連作としてのリンク：帽子作家・柚月，神崎夫妻，牧野しのぶ〕－－－－－－－－－－－－－－－せっかく多くのキャラクターが集まった最後の短編なのに，もう1つ盛り上がりが無いのが残念だ。ミステリーでも，ジュンブンガクでもない，その物足りなさのままだ。それがそのままこの作品の印象となってしまうのも，さらにもったいない。

  2015.11.18

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• 「玉磨き」三崎亜記を読んだ

  失われつつある仕事をめぐる三崎亜記の連作短編集を読んだ。○ストーリー先祖代々にわたり石の玉を磨き続ける〈玉磨き〉。彼らはそこに宿る神の声を聞き，玉とともに暮らしていた。だが寝食や家族生活を犠牲にさせる〈玉磨き〉は，徐々にすたれつつあった。〈玉磨き〉という人生に幸せはあるのか？そしてこのなりわいから離れた人々は幸せになれたのか？－－－－－－－－－－－－三崎亜記の日常ファンタジーだ。「コロヨシ！！」では，スチームパンクめいたキッチュなSFスポコン物語を描いていたが，やはり日常ギリギリのところの異世界を描く作品で本領を発揮する気がする。ある意味マンネリではあるが，「コロヨシ！！」シリーズも描けることを証明したことで，逆にこの閉鎖性が作者と読者の共犯関係のような魅力を増している。表面だけ読むと哀愁に満ちたノスタルジーなのだが，そこから意外な発見があるのがあなどれない。果たして僕らの日常は本当に意味があるのか？30年後の人々から見たら，「なんて無駄なことをしていたんだろう」と思われないのか，そんな不安を感じさせ，その一方でそうした無駄に人生をかける人々に優しさを向ける，そんな作品だ。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「玉磨き」：石の玉をひたすら磨き，そこに宿る神を鎮める工芸〈玉磨き〉。徐々にすたれる工芸を伝えている貴重な一家の声は・・・ひょっとしたら実在するのではないか，と思わせる。それほどリアルな〈玉磨き〉の従事者や家族の声，そしてそこから離れてしまった人の姿が描かれる。伝統工芸の一部ってこういうものかも知れない。「只見通観株式会社」：通勤観覧車という不思議な交通機関が生まれ，そこを毎日通過していく人々がいる。本来はあっと言う間に一周し，元の場所に戻るだけの乗り物が果たしている役割とは？・・・日常だと思っていたらいつの間にか空想世界だった。そんな怖さを感じさせる三崎亜記らしい作品だ。「古川世代」：マスコミにより引き起こされた〈古川世代〉ブーム。それによりもてはやされ，そして急に批判や蔑視の対象となってしまった人々。20年後の彼らの姿とは？・・・やや露骨だが，マスコミ批判としてはひじょうに鋭い短編だ。広告代理店とマスコミが組んで毎年生み出そうとするブーム，それに対する反感は僕も感じているので共感した。「ガミ追い」：かつては〈追い師〉が気配を元に追い詰め捕獲し，お清めし，成仏させていた〈ワガチガミ〉の狩りを，SNSとスマートフォンを利用して復活させたグループがいた。彼らは効率的に〈ガミ〉を狩り，希望者に売りつけていたのだが・・・想像力も素晴らしいと思うが，それよりもディテールを積み上げたリアリティに感心した。「玉磨き」にもそれはあったが，今回は伝統工芸を現代技術で復活させた人々を描いていて，二重に面白かった。「分業」：難解な仕様書を読み取り，よく分からない機械の部品を作り上げる仕事。その仕事は他人と関わらない引き篭もりの人でないと成し遂げることが出来ないのだった。・・・元請・下請・孫請と重層化された製造業を批判しているようであり，一方でそれを慰めているようだ。さらに他人と交流の出来ない引き篭もりも慰めているな，そんな短編だ。「新坂町商店街組合」：新坂町では，今でも商店街組合で夏祭りの計画が立てられ，郵便は毎日届けられる。けれどもこの町はとっくになくなってしまっているのだった。・・・ある意味，三崎亜記らしい短編で，ノスタルジーに満ちた世界観が描かれる。果たして僕らの日常は，未来から見れば，ちっぽけで哀れなものなのだろうか？－－－－－－－－－－－－巻末には，それぞれの短編に関する参考文献のリストがあった。これも必見だ。図書館で検索してみようかな？

  2015.11.08

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• 同じ本を図書館で借り出す

  図書館も多少エリアによる差はあるけれども逐次情報システムを導入している。現在では僕の近隣の区や市では，オンラインでの情報検索，借り出し予約は当たり前のようにできる。そこで引っかかって来るのが予約の制限だ。僕もだんだんと普通に人気の作家に手を出すようになってきたが，なにしろ人気の作品は手元に届くのに時間がかかる。新刊なのに予約数が400，500，手元に来るのは半年先なんてざらにある。しかも予約を登録できるのにも件数制限があって，それもいっぱいだ。だからいろんな作戦を立てないといけない。－－－－－－－－－－－そんな中で，大長編を読んでいたら，タイミングの関係もあって再貸し出しの手続きをとった。それをした翌々日の月曜日には読み終えたけれど。どんそん読んで，もっと先に隠れている傑作と出会わないと・・・

  2015.10.20

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• 「悪意の手記」中村文則を読んだ

  テレビでも人気の若手芥川賞作家・中村文則の犯罪小説を読んだ。○ストーリー高一になった時に難病に冒され，死亡を覚悟した〈私〉は，人間を軽蔑し，憎悪することで心のバランスを保っていた。全てを諦めた時，治療は成功し，〈私〉は家へ，そして学校へと戻ることになる。人間への怒りを宿したままの〈私〉は，ふとしたきっかけで，親友を突き落として殺してしまう。それは自殺に近い事故死として扱われ，〈私〉は罪を問われずに，大学へと進む。そこで〈私〉を待ち受けていた運命とは？－－－－－－－－－－－－この作品は3つの「手記」に分かれている。「手記1」は，〈私〉の絶望的な闘病生活，それによる精神的な歪み，さらに親友・Kの殺害が語られる。「手記2」では，地方大学に進学した〈私〉と，そこで出会った小悪人・武彦，善人・祥子との交流が描かれる。「手記3」は，〈私〉は大学を中退し，リツ子という女性と半同棲生活を送り，彼女とある計画を進めることになる。そして計画は・・・？という風に，高校，大学，中退後，と明確に3つの時代が描かれる。－－－－－－－－－－－－この作品の問題となるのは「手記3」だろう。それまでは闘病生活を通じて歪んでしまった〈私〉の高校生活と，それを引き摺って悩み続ける大学生活が描かれる。ひじょうに自意識過剰な主人公だが，こうしたことはあり得ると思わせる，圧倒的な自分との対話が語り続けられる。だが「手記3」になると，偶然アルバイトを始めた喫茶店の女性オーナーが，過去に少年犯罪で子どもを失っていて，そして・・・という，神が導いたとしか説明のつかない偶然の連鎖が始まる。「手記1」「手記2」は純文学として読めるのだが，「手記3」になると突然テレビのサスペンスドラマが始まったような違和感がある。こうした流れにしか，この物語の結末をまとめることが出来なかったというのはひじょうに残念だ。－－－－－－－－－－－－この作品のテーマは少年犯罪，として紹介されているのだが，本当にそうだろうか？主人公の殺人は，そもそも自殺ないし事故として扱われたので，少年犯罪でさえもない。大学時代のキャッチセールスなどの悪事は，18才以上となってからの行為だ。テーマはむしろ，法的な枠組みを超えた部分にあると思う。〈私〉が抱え続けた他人への憎悪，それにおぼれて他人を傷付け，命を奪うこと，そして事後にそれへの罪悪感をさらに抱え込む，という人間の心の動きが描かれていると思った。今ならばこれは”中二病”として一言で片付けられてしまいそうな気がする。饒舌なわりに，いざ現実を目にすると，一部の例外を除いて行動力を発揮できないし，自分の過去の犯罪を頻繁に自慢のように語ってしまうし，なんだかちっとも悪人の手記ではない。心の弱い人間が，一所懸命悪人になろうとして震えている姿を描いた。そんな作品だ。－－－－－－－－－－－－でもなんだろう？ミステリーだけを見れば，こうしたレベルの葛藤って軽々と超えている登場人物は多いんだよね。純文学だけで済ませればよかったのに，「手記3」でサスペンスの手法を用いて描いた。それなのに，結局小市民的な枠組みで小さく終わっているのが，この作品への不満だろう。平凡に終わっている。

  2015.09.15

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• 「透明カメレオン」道尾秀介を読んだ

  道尾秀介の最新長編小説を読んだ。○ストーリーバー〈if〉の常連たちは，雨の夜に店に迷い込んできた美少女・ケイと知り合いになる。彼女は自分の父親を倒産に追い込んだ男を，懲らしめ，不正を止めさせるための計画を進めていた。彼女が暴走し，罪を犯すことを防ぐために，〈if〉の常連たちは計画を手伝うことにする。だが真実は隠されていて，彼らは意外なところまで行くことになってしまう。－－－－－－－－－－－－語り手の〈僕〉は，ラジオのDJ，最近で言うところのパーソナリティだ。声はイケメン風なのだが，見た目は〈のび太〉風で全く冴えない，という設定だ。〈僕〉はお人好しで，謎の美少女・ケイが強引なことをすると，普通に腹を立てるのに，結局気が弱くて何も言えないでうじうじしている。ケイの無茶な計画に引き入れられ，さらに自分のマンションに彼女が転がり込んで来るのも赦してしまう。非現実的な設定，強引な美少女，気の弱い主人公。読み始めてすぐ感じたのは，「ライトノベルかよ？」ということだった。－－－－－－－－－－－－ケイが立案する計画に，〈if〉の常連たちは巻き込まれる。彼らも，我々読者も計画の全体像や目的が見えず，不測自体におろおろしながら役目をこなす。情報を小出しにして，読者の気持ちをぐいぐい引っ張る手腕は，さすが道尾秀介だ。また終盤の大ピンチ，そしてそこからの脱出方法は，ひじょうに臨場感があって分かりやすく，さらに伏線が回収された瞬間は，カチッと歯車が噛み合ったようで爽快感があった。－－－－－－－－－－－－明らかに怪しかったケイの秘密が明らかになり，物語はエンディングへと流れ込む。そこの流れで，物語の空気はガラリと変わる。これでライトノベルからブンガクに変わったのか？いや，怒涛の展開にむしろラノベ臭が増したような気がした。－－－－－－－－－－－－大人が1人も登場しない小説だった。道尾秀介ならば，もっと心に訴える作品が他にある。

  2015.07.24

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• 「それでも僕は夢を見る」水野敬也・鉄拳を読んだ

  話題となっているイラスト物語を読んだ。○ストーリー〈夢〉に裏切られ続けた僕は，進学し，就職し，そして〈夢〉を捨てる。そして長い時が流れ，僕が彼と再会したのは・・・－－－－－－－－－－－－－－－心温まる物語，と聞いていたので，週末の時間の余裕のある時に読んだ。最近多い文章が少なくて，イラストばかりの絵物語なので，10分程度で読めてしまった。感想は，「えっ！これで終わり？」というものだった。いろいろと〈夢〉がかなわなかった主人公は，最後の最後で〈夢〉と再会し，ある発見をする。でもその内容がこれ？？？－－－－－－－－－－－－－－－水野敬也っていくつもベストセラーを書いているけれども，ひょっとして全部こうした内容なんだろうか？主人公が心の平安を見つけることが出来て，良かった良かったみたいな？こうした物語を読んで「やさしさに心打たれた」「勇気づけられた」と思う人々って，『本当は〈夢〉を手に入れたくてたまらないけれども，それがかなわなかった時のつらさや恥ずかしさがイヤだから言い訳が欲しい』って人じゃないのかな？最初から欲の無い人だったら，そもそも「成功できなくて悲しい，みじめだ」って思わないもの。心が寒くなった。－－－－－－－－－－－－－－－10分間で読み終えたけれど，時間を無駄にした気持ちになった。（せめて感想を書くのには時間かけないようにした）

  2015.05.14

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• 「もういちど生まれる」朝井リョウを読んだ

  現代の大学生の日常生活を描いた朝井リョウの連作短編集を読んだ。○ストーリー梢は双子だが，妹の椿だけが大学生読者モデルとして有名になっている。自分と妹の境遇を比べて悩んだ彼女は，妹が出演するはずだった大学サークルの映画の撮影に出向く。誰も2人の差を気付くはずはなかったのに，監督役の大学生だけは入れ替えを見抜いてしまい？？？－－－－－－－－－－－－「桐島、部活やめるってよ」で高校生活を描いた朝井リョウが，大学生活を描く。やはりその世代の若者ならでの気付きがあり，時々その切り口の鮮やかさに驚かされる。「桐島」と同様に，連続短編集の体裁を取って，若者の群像を描いている。だが，残念ながら読後感ははるかに及ばない。スクールカーストを描き出し，それからの逸脱を描いた「桐島」なのに，今回の作品はむしろ一元的な”リア充”礼賛で終わっている印象なのが良くない。後半で”リア充”ではない主人公が描かれるのだが，主人公自身も作者もその生き方を否定しているような描写だ。結局，大学生でクラスでもサークルでも中心となる華やかなキャラが正解なのか？と思わされてしまう。朝井リョウの成長の過程を示した記録だと思っている。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「ひーちゃんは線香花火」：仲良しの汐梨，ひかる，風人は，汐梨の下宿でよく集まる女性2人男性1人の仲良しだ。だが3人が泊まった夜，汐梨にどちらかがキスをしたことで，3人のバランスは微妙にずれ始める。・・・大学生になり東京に出てきて1人暮らしを始めた，という若者の揺れ動く気持ちをうまく表現していると思った。けれども，都会に出てきた3人が，寂しさを紛らわすために，友情とも恋愛感情ともつかない関係を結ぶ，というのは分かるのだけれど，それがずっと続くのはさすがにリアリティがないと思う。「燃えるスカートのあの子」：翔多は，大学のクラスで1泊旅行に行く。彼が狙っているのは，読者モデルをしている華やかな椿だ。翔多のバイト先のコンビニには，たまたま椿と高校時代の友人のハルがおり，いろいろとアドバイスを受けるのだが・・・読者モデルの女性にアタックをする翔多の勇気に感心する。どうせこいつも自信家なんだろうな，とか思ってしまって，あまり同情を覚えない。朝井リョウの作品って，「でも作者のオレはリア充だよ」って匂いがあって，なんか戸惑う。「僕は魔法が使えない」：美大の新は，事故で1年前に父を喪った。新しい男性と付き合い始めた母親に反感を覚える新は，原宿でモデルとなってもらえるように女性に声をかける。だがその女性とは？・・・主人公・新が譲歩して，母親とつき合っている男性に心を開く，というところで終わるけれど，中高生ならともかく，大学生で新しい父親と関係築くって必要なのかな？母親も早々に新しい男性とつき合うし，いろいろどうなの？と思ってしまう。でもこの主人公は頑張っているので好き。「もういちど生まれる」：梢は2浪して予備校に通っている。彼女には読者モデルをしている評判の双子の妹・椿がいて，椿は推薦で有名大学に入学し通っている。閉塞感にとらわれた梢は，椿になりすまして彼女の撮影現場に出かけるのだが？・・・偏見を怖れずに言えば，医大を目指しているのでない限り，女性で2浪って問題だろう。主人公・梢の双子の妹・椿へのコンプレックスは，重症過ぎる。単行本タイトルの短編であり，当時の表紙はこの中の重要なシーンから出ていた。文庫版でなぜ変えたかな？「破りたかったもののすべて」：ハルは高校時代からダンスで注目され，プロを目指して専門学校に通っている。彼女の兄・新も美大に進んでいて，芸術家兄妹として高校では有名だった。だが幼少から基礎を学んだライバルたちとの差に，ハルは打ちのめされる。・・・うわー，これをラストにもってくる？ヘビーなりに前の短編は一歩抜けて終わったので，そちらをもってきてもらいたかったなあ。主人公・ハルは自意識でがんじがらめになっていて，人生を徹底的に損している気がする。

  2015.03.05

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• 「太陽コレクション　江戸　東海道」を読んだ

  月刊「太陽」の別冊として現在でも刊行されているシリーズの一冊を読んだ。○内容別冊「太陽」の特徴を活かし，江戸・明治・現代の3つの時代の地図を重ねる。江戸では6つのエリアだが，東海道は日本橋から京都までの全行程をカバーする。さらに多くの写真と記事を重ね，ビジュアルに江戸が再現される。－－－－－－－－－－－－テレビの美術番組で何回も浮世絵が紹介されているのに触発され，〈謎解き浮世絵業書〉というシリーズの「広重　東海道五十三次」を手に入れて楽しんでいる。それを眺めていると，今度は江戸時代の宿場がどこにあったが知りたくなり，地図を開くことになる。今では写真や図版を多用したカラーのムック本はありふれているが，かつては平凡社の「太陽」だけという時代が長かった。僕の高校の図書館に，「太陽コレクション　古地図散歩」のシリーズが揃っており，その1巻目が「江戸　東海道」だった。高校時代から変人だった僕は，これを読み込んで東京から京都まで歩く旅行のプランを立てて楽しんでいた。－－－－－－－－－－－－実は長いことこの本を手に入れたかったのだけれど，ムック本の常として，一度出版されるとほとんどの場合そのまま廃刊なので，なかなかみつからなかった。神保町の古本を端から端まで回ってみたけどダメ。現代なのでネット通販大手で題名検索をすると見つかるのだけれど，30年も経っているので，これが探している本なのかよく分からない。区の図書館で調べたら，この本そのものは無かったけれども，同じシリーズの「中山道　奥州道」があったので，予約をしてみた。この間の日曜日に借り出すことができたので，それを図書館で広げる。見開きで，古地図が一番上，現代の地図が中間，そしてその土地の名産・観光スポットが下段に配置されているレイアウト，「これだ！」と懐かしく見入り，すぐにネットで「江戸　東海道」を注文した。－－－－－－－－－－－－手元に実物が届くと，このムックは1977年の初版の後に，99年に再版されている。だから古本としては15年ものだけれど，状態「良い」のワリにはクセがついていて痛んでいる。まあネット通販なんてそんなものか。とは言え，ページを開けば30年前の思い出が蘇り，懐かしい。このムックで言うところの「江戸　明治　現代」の現代は昭和50年代で，それもずっと過去になってしまったけれど，それでもきちんと地図を対比でまとめた本は，今見ても美しく魅力的だ。またふらっと旅に出たくなってしまった。

  2015.02.16

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• 「『朝日新聞』は日本に必要か」文藝春秋を読んだ

  今では世界的な問題となり，国連人権委員会でも討議され，アメリカの州議会でも非難決議がされるという〈従軍慰安婦問題〉についての本を読んだ。内容としては，「文藝春秋」で20年間に渡り論じてこられた〈従軍慰安婦問題〉についての様々な論証記事の再録となっている。当然ながらいわゆる”反アサヒ”の色調が濃く現れているので，もちろんバランスを欠いているという批判もあると思う。とは言え，〈慰安婦問題〉についての書物は他にもあるので，「文藝春秋」視点ではこうなる，ということなので，仕方あるまい。－－－－－－－－－－－－－－こうして20年間の記事の再録なので，重複はもちろんある。知っている内容もあるけど，きちんとまとめてくれると頭の中が整理出来て良い。個人的に感銘を受けたのが藤岡信勝の「『従軍慰安婦』を中学生に教えるな」という短い記事だ。冷静で公平な内容で，とても説得力があった。ぜひこれだけでも読んでもらいたい。－－－－－－－－－－－－－－僕自身，祖父の代から「朝日新聞」を読んできた家なので，そういう意味では無批判に”アサヒ”側の〈慰安婦問題〉を信じて来た。けれどもここに来て，その記事の訂正，続けて東電の吉田所長の調書の曲解記事と訂正，と大不祥事が続いた。誤報，訂正，それに対する検証，その全てに不信感を感じ「朝日新聞」の購読を止めることとなった。10年くらいずっと，「これおかしいよね」と姉と語り合っていたのだけど，訂正の記事の内容が，結局は購読停止の引き鉄になるという皮肉な結末となった。－－－－－－－－－－－－－－万人にオススメ出来る内容ではないけど，肯定するか否定するかも含めて読む価値はあると思う。

  2014.11.27

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• 「ヒューマンエラーを防ぐ知恵」中田亨を読んだ

  僕にしては珍しく技術系の本を読んだ。○内容計算と制御技術が発達した現代では，機械的な原因での事故は少なくなっている。原因を追究していくと，人間が犯した間違い，ヒューマンエラーに辿り着くことが多い。では，どうしたらヒューマンエラーを減らせるのか？－－－－－－－－－－－－－－同僚が読んでいて面白そうだったので貸してもらった。もちろん大学時代に人間工学の基礎は習ったし，会社に入って安全対策や改善活動の教育は受けた。そうしたことを包括的に系統立て，整理してくれているのはひじょうに実用的な印象を受けた。また複数の事例を対策を実証的に述べているのも良い。もちろん，全ての事故やミスに有効な解決があるワケではないので，中には結論が出ないものもある。例えば，鉄道事故を無くすためには，ラッシュアワーを軽減したい。そのためには会社や組織の一極集中を避けたり，勤務時間に自由度を上げれば良い。でもそんなことは30年前から言われていても実現出来ない。・・・だからそうした未解決のことがあることで著者を責めても仕方がないと思う。日本では産学の距離が遠いという欠点がある。そもそも大手の会社では転職してきた者は，あくまでも外様として扱われる。まして学者が企業に入った場合，役員やアドバイザー待遇はあっても，本部長など実務のトップとなることは無いだろう。この書物を読んでいて興味深かったのは，著者が積極的に企業からの相談を受けていて，そこでの経験からの一歩も二歩も踏み込んだ問題点の指摘をしていることだ。実務と理論の両方をバランスよく論じているし，何よりも前向きなマインドに好意を持った。

  2014.11.21

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• 「ハケンアニメ！」辻村深月を読んだ

  アニメ製作の現場で働く3人の女性を主人公にした直木賞作家・辻村深月の連作短編小説を読んだ。○ストーリーテレビアニメのプロデューサーとなった有科香屋子は，ある秘密をスポンサーに打ち明けられないでいた。製作発表会を10日後に控えた中，監督の王子千晴が蒸発してしまったのだ。王子監督は，9年前に革命的な作品を製作したのだが，それ依頼は仕事を途中で降りることで悪名が高かった。香屋子の強い希望により今回の作品に起用された監督だったが，シリーズの脚本は遅々として進まず，監督も現場もストレスを貯めていた。その中でとうとう事件は起きた。果たして作品の行方は？香屋子の立場は？－－－－－－－－－－－－「ハケンアニメ！」の「ハケン」は派遣社員の派遣ではなく，覇権争いの覇権だそうだ。てっきりアニメーション製作に関わる人々のお仕事物語というから，派遣社員たちが頑張って作品を成功させる物語だと思っていた。登場人物たちはきちんと正社員だった。覇権アニメって言葉あるのか？聞いたことないけど，じゃあ覇権ドラマ，とか，覇権映画，とかあるの？知らなかったなあ。－－－－－－－－－－－－一章から三章まで，アニメ製作に関わる女性を主人公にしている。ほぼ同じ時間での物語を描いているが，立場がプロデューサー，監督，アニメーターと異なるので，立体的にアニメ業界が分かるようになっている。それ以外にもアイドル声優も登場して，そのお仕事も語られたりするのだけど，ワリと分かり易い，光があたる仕事を選んで小説にしている，という印象だった。音声とか背景とか制作進行とか，もっと裏方仕事あると思うけど，そういうのって小説になりにくいんだろうな。－－－－－－－－－－－－第一章，第二章はそれぞれリーダー的な立場ということもあり，なかなか行動力のある女性が主人公になっている。第一章の主人公・香屋子は最後まで仕事とプライベートがしっかり分けられていて，他人との付き合い方も凛としているので個人的には好み。第二章の主人公・瞳のキャラクターそのものには問題は感じなかったが，わざわざアイドル声優と衝突させたりとか，あざとい演出は要らないと思った。明らかにワガママな態度をとった少女たちなのに，その後，ころっと”真剣にやっている”アピールで仲直りって，昭和の少女マンガかと思った。仕事場の空気をなごませるのは監督じゃなくて，助監督とかプロデューサーの責務だろうに。第三章の絵だけ描いていれば満足，三次元は要らないという主人公・和奈には，多くの若い読者が共感を感じるのではないかと思う。それなのに恋愛が一番うまく行くのがこの人，というのもあまりにもメロドラマ的で，なんだか引いてしまった。ただお祭りまでの流れなど，確実に盛り上がるのはこの章。最終章不要だったんじゃないの，と思う。雑誌連載からイラストを描いていたらしいが，CLAMPが描いていたのはあまりにもアニメキャラなので，これを小説の表紙と背表紙にどーんと使うのは，通勤電車で本を読む身としてはつらかった。とくの美少年が並ぶ背表紙はやめてもらいたかった。－－－－－－－－－－－－各編の感想を簡単に述べる。「一章・王子と猛獣使い」：天才監督・王子千晴を起用し，今期で一番のアニメ作品を製作しようとする有科香屋子。だが無情にも王子監督は蒸発してしまった。それまでに仕上がっていた脚本で製作を続ける中，製作発表会は迫ってくる。社長から監督変更をスポンサーに伝えるように迫られる香屋子はついに・・・あまりにも追い込まれた状況から作品は開始。アニメ製作のスポンサーシップの状況も分かるけど，そうしたコンベアシステム的な製作方式と，一方でこれまで仕事を投げ出したりした人でも才能があれば依頼があるというアート的な2つの要素が混ざっているんだね。でもプロデューサーの仕事が最後までちょっと分からなかった。監督補助なの？スポンサーの代理なの？「二章・王女と風見鶏」：大学法学部から公務員を目指していた齋藤瞳は，学生時代にみたアニメ作品に衝撃を受け，大手アニメ製作会社になる。スピンオフゲーム内部のアニメ映像の斬新さで注目された瞳は，土曜夕方テレビアニメの監督を任せられる。日中で子供も観るということから注目され制約も多い中，さらに様々なイベントとの提携を取り付けるのは，”テレビプロデューサー気取り”と揶揄される行城だった。このまま瞳と行城はすれ違いのまま終わるのか？・・・「三章・軍隊アリと公務員」：リーダーの会社設立とともに新潟の市に移住したアニメーターの並澤和奈の描く原画は，世間の注目を集め始めた。だがその市が土曜日夕方のアニメの舞台となっていたことから，市は町おこしのために様々な企画を考え始め，和奈はその担当窓口も兼ねることになってしまう。彼女の相方として市役所からやってきたのは，宗森という体格の良い青年だった。・・・ある意味，分かり易い章だった。人が苦手で絵は上手いという女性が，一気に注目され，町おこしの手伝いをさせられ，有名監督たちにも覚えてもらえ，恋愛もする。短編としては盛り上がって面白いけど，あまりにも全てが上手く行き過ぎだろう。パワーストーンでも買ったのか？「最終章・この世はサーカス」：王子監督と齋藤監督が争った期の〈ハケンアニメ〉はどれとなったのか？ようやく結果が出る中，人々は次の作品に向けて動き出す。・・・視聴率がモノサシだった時代と異なり，DVD第1巻の売上げとか，専門誌の表紙を飾った回数とか，作品の評価は難しいんだね。そんな状況なのに覇権を争うって，なんだか不思議な気がする。また本当のプロの仕事って，「最終回バンザイ」「最終回ご苦労さま」とかいう状況ではないはず。プロジェクトの終盤が見えてきたら，皆どんどん次の企画に引き抜かれたり，兼務を始めるので，スパッとした終わりってあんまり無いんだよね。ちっとも仕事を知らない人が書いているなあ，と思った。－－－－－－－－－－－－直木賞作家ともなった辻村深月は，これまでみたいに作品間リンクはもう張らないのかな？と思っていたら，久々に過去作品から登場人物がゲスト出演していた。なんと「スロウハイツの神様」のチヨダ・コーキの登場だ。話題になるだけじゃなくて，ちゃんとセリフもある！

  2014.10.30

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• 「天国旅行」三浦しをんを読んだ

  三浦しをんのちょっと変わったテーマの短編集を読んだ。○ストーリー工芸家の悦也は，建物の鉄製の装飾を製作している。彼に仕事をあっせんしているのは幼馴染の悠助だ。悦也は悠助の制止を振り切って，忌まわしい記憶が残る故郷の街へと帰ろうとする。悦也を気遣う悠助と，それを煩わしく思う悦也。2人の若者の関係はどうなってしまうのか？－－－－－－－－－－－－三浦しをんの作品には様々なタイプがあり，悩みながら作風を模索してきたという印象を受ける。耽美な空気のある作品，ファンタジックな作品，コミカルな人間劇場，ハードボイルド，そして最近はちょっと変わった趣味や仕事に打ち込む人々を描く作品，と変遷を見せている。この短編集は，2010年に刊行されたが，純文学風な初期の作風に近いように思えた。なにしろ短編集のテーマが〈心中〉だ。コミカルな要素はほとんどなく，じっくりと人と人のつながりが描かれている。鋭い人間観察，そして随所に光る的確な描写。相変わらずの三浦しをんだ。けれども，やはりいつも持ち味の明るさがないと，どこか物足りない気がした。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「森の奥」：細かいつまづきが重なったため，富士の樹海に入り込み自殺を図った富山。気付くと青木と名乗る若い男に助けられていた。富山と青木は，そのまま樹海の中を歩き続けるのだが，ついにある夜・・・主人公の自殺シーンで始まる，というのは無いことは無いけれども，その後の不思議な緊張感での2人の旅の面白さはやはり三浦しをんならでは。青木と富山の関係は？青木はどうなった？余韻を残して短編は終わる。「遺言」：地方都市で出会い一緒に東京の大学へと進んだ〈私〉と〈きみ〉。卒業し，出版社に勤めた〈私〉は，やがて作家となる。危機を乗り越え，長い時を共に過ごした〈私〉は，〈きみ〉に向けた長い手紙を書く。・・・高校生の〈きみ〉にほれ込み，共に年令を重ねる〈私〉の姿がけなげだ。定期的に心中を持ちかける〈きみ〉も演技がかっていて，どうせそれは実行されないと予測される。ぎこちない2人の愛の姿が描かれる。「初盆の客」：祖母の初盆に実家に帰っていた〈私〉は，祖母の最初の夫の孫だと名乗る男〈石塚〉と出会う。彼が語った祖母の数奇な人生は，祖母の死についてある事実を明らかにした。・・・不必要に凝った構成となっている気がする。優しかった祖母の，意外な一面を発見するというストーリー。「君は夜」：理紗は幼い頃から同じ夢を見る。夢の中では彼女は江戸時代の娘〈お吉〉となり，〈小平〉と一緒につましい暮らしをするのだった。大人となった理沙は，〈お吉〉の人生をなぞるように不幸のどん底へと落ちる。・・・ひたすら落ちていく理紗を描くことで，逆に読者にとって何が大事なのかが見えてくる。夜の夢に一生を支配された彼女は，実は幸せだったのではないだろうか？「炎」：憧れの立木先輩はなぜ夏休み最後の日に焼身自殺をしたのか？〈私〉は先輩と付き合っていた初音と一緒に，その謎を解こうとする。・・・「星くずドライブ」：香那は死んだが，幽霊となって〈僕〉と暮らしている。2人の生活はいつまで続くのか？・・・この短編集では珍しくコミカルな味わいがある。生きていた時のままに痴話ゲンカを続ける2人。この生活をすんなり受け入れられる〈僕〉の柔軟性を見習いたいものだ。「SINK」：一家心中で生き残ってしまい，心を閉ざす悦也。彼を気にして面倒を見たがる悠助，そしてそれを煩わしく思う悦也。あの日，生き残ってしまったのは罪なのか？救いなのか？・・・家族の過去のことを描きつつ，実は男性2人の複雑な感情を描いている。初期の三浦しをんの作風によく似ている。

  2014.09.25

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• 「へルター・スケルター」岡崎京子を読んだ

  沢尻エリカ主演で映画化もされた岡崎京子の伝説的なコミックを読んだ。○ストーリートップファッションモデルのりりこは，歌手，映画俳優としても活躍を始めていた。だが恋人の資産家息子の裏切られ，瑞々しい美しさを持つ後輩・こずえが現れ，りりこは精神的に不安定となり，仕事で失敗を重ねてしまう。実はりりこは，全身に美容整形を施しており，定期的にメンテナンスをしないと，体内のバランスが崩れ副作用が表面化するという疾患を抱えていた。ますます突飛な行動に出るりりこは，世間を騒がせ，ついに記者会見の場で・・・－－－－－－－－－－－－－姉がずっと前からコミックスを持っていて，僕も読もうとは思っていたけれども，ダークな内容を知っているのでなかなかページを開くことが出来なかった。けれども連休もあり，また最近〈イヤミス〉を読み始めて，女性主人公のドロドロな行動に馴れてきた，ということもあり，すんなりと読むことが出来た。－－－－－－－－－－－－－驚くのは岡崎京子のファッショナブルでセクシーな絵柄，そして見事なストーリーテリングだ。過去が一切謎となっているファッションモデル・りりこを巡り，マネージャーの女性・羽田，不法な医療行為を追っていた検事・麻田の2人の視点をメインにして，衝撃的な事件の全貌を語ってみせる。りりこに振り回されつつも，りりこに惹かれ，一緒に堕ちて行ってしまう羽田。彼女はりりこを崇拝し，憎んでいる。りりこに命じられるままに犯罪にも手を染めるダメな人間だが，キワモノばかり登場するこの物語で一番普通の人間でもある。中盤から登場し，誰よりも冷徹にりりこを観察するのが検事・麻田だ。彼が想像する〈タイガー・リリィ〉は，まさにりりこの本質を捉えている。現代のジャングルを誰よりも激しく生きるりりこは，まさに〈リリィ〉だ。こうした彩りのあるサブキャラクターのお陰で，田舎の子が都会で成功したけれども転落していく，というこれまでもあったストーリーを多層的な物語へと変換することに成功している。－－－－－－－－－－－－－この執筆直後に岡崎京子が交通事故に遭って瀕死の重傷を負うという，呪われた作品なのだが，毒に満ちつつも，恐ろしいばかりの魅力にあふれていることも事実だ。ようやくこの作品を読むことが出来て，満足できた。

  2014.09.24

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• 「しろいろの街の、その骨の体温の」村田沙耶香を読んだ

  ニュータウンを舞台にした少女の閉塞感を描いた作品を読んだ。○ストーリー開発が進むニュータウンに移り住んだ結佳。小学校4年の彼女は近くに住む若葉と信子と遊び，同じ習字教室に通う少年・伊吹雄太をおもちゃにする。そして工事の音が絶えない自分の街を憎むことで，自分を特別な存在だと思うようにする。だが中学校2年になった時，クラスの中で若葉は1番上の派手グループ，結佳は下から2番目の地味グループ，そして信子は一番下のいじめられグループに分かれていた。残酷な学校生活の中で，結佳は習字教室の際にだけ伊吹と親しくすることで，心のバランスを保っていた。－－－－－－－－－－－－朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」が高校生活でのクラスカーストを描き，人々の共感を得た。村田沙耶香のこの作品は，中学校の女子生徒を主人公にして，クラスカーストを再び語っている。小学校時代は少し違和感を感じつつも，親しくしていた3人の少女が，中学校に上がると3人ともすっかり別のカーストグループに属しているというのが，キツイ。この変遷を描くことで「桐島」よりも，ぐっと生々しく突き刺さってくる。それにしても，この作品では登場人物たちは見た目と社交性で残酷にグループ分けがされている。昔のことをかろうじて思い出すと，もうちょっと学力とか部活とか趣味とか，複数の価値基準でグループが分かれていたように思うのだが・・・？－－－－－－－－－－－－この作品で，主人公・結佳にとって特別な存在となっているのが，無邪気なサッカー少年・伊吹雄太だ。いいように結佳のおもちゃとなり，キスまでさせられていた小学校時代の伊吹は，中学校になるとクラスの人気者となっていた！それでも伊吹はいいヤツのままで，しかも結佳の言うとおり学校では他人のふりをして，習字教室の際にだけ結佳と口をきくという，賢い行動をとってくれる。中学生の男子なんて，自意識過剰なのによくこんないいヤツに育ったもんだ。－－－－－－－－－－－－こうした流れの一方で，結佳のやるせない気持ち，身体の成長のことなどが，それこそ赤裸々に語られる。ちょっと中学2年生の姪には，まだ読んでもらいたくない。それだけ真に迫った心の動きが描かれているということだろう。

  2014.09.22

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• 「星やどりの声」朝井リョウを読んだ

  若手作家・朝井リョウのデビュー3作目を読んだ。○ストーリー喫茶店『星やどり』を切り盛りする夫を亡くした早坂母。彼女のもとで元気に育つ三男三女の早坂姉弟。海沿いの町で，それぞれの青春の悩みが語られる。だが皆が予想していなかったのは・・・－－－－－－－－－－－－朝井リョウの作品は「桐島、部活やめるってよ」「チア男子！！」も，複数の視点で描かれる群像劇となっている。その2作品に続き発表されたこの作品も群像劇だ。高校のスクールカースト，大学のサークルが描かれた前作に続き描かれたのは大家族だ。作品は6姉弟それぞれの視点で語られる6つの章で構成されていて，小学生から社会人までの語り手で早坂家が描かれていく。－－－－－－－－－－－－これまで通りの朝井リョウの作風なのだけど，経験に基づいたリアリティがあった前作と比べ，作り物くさい臭いが目立つ。辻井深月の作品でも，作者の成長と作品内容がシンクロしており，それから背伸びをしたものはダメな部分があったが，今回も同じようなことを感じる。大学生の長男，高校生の次男の気持ちの動きはひじょうにリアリティがあるのに，社会人，高校生の娘たちと小学生の三男が語る物語は，テレビドラマや少女マンガのような流れで，どうしても上滑りな印象だ。鎌倉や湘南を意識した海沿いの街。そこで展開される大家族の子供たちの青春。・・・あまりにもステレオタイプな流れで，いろいろ不安になってしまう。この作家はこのままでいいのか？（おこがましくてすみません），テレビドラマレベルが小説になっていていいのか？（これはあまり擁護できないけど，よくあることか）。－－－－－－－－－－－－今となっては朝井リョウもさらに経験を積み，成長をした。その彼であれば，こうした作品は描かないと思うがどうだろう？魅力的な作家なので，時間をかけて確実にしっかりした作品を発表してもらいたいと思っている。

  2014.08.20

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• 「チア男子！！」朝井リョウを読んだ

  「桐島、部活やめるってよ」でデビューした朝井リョウの2作目の作品を読んだ。○ストーリー柔道選手一家に育ったハルキだが，長いこと続けてきた柔道を離れ，幼馴染の一馬が結成した男子チアリーディングチームに参加をする。眼鏡で理論派の溝口，気が弱く太めの遠野，関西出身のイチローと弦のコンビ，美男子の翔が加わり，7人となったチームは，Breakersという名称となり，秋の学園祭でのデビューを目指す。果たして男だけのチアリーディングチームの行方は？－－－－－－－－－－－－高校生たちの日常とグループ同士の棲み分けの切なさを描いた「桐島」でデビューをし，学内身分制度〈スクールカースト〉を流行語にさせた朝井リョウだが，2作目は驚くほどシンプルなスポーツ小説だった。もちろん今の時代なので，チームがいて，ライバルがいて，勝負をする，というおきまりのストーリーではない。それになりしろ，男子のチアリーディングという，ちょっと変わったスポーツを描いている。それなので，まずはチームを興すことから始めなければならない。スッと出来合いのチームに入部して，先輩にしごかれ，なんてイージーモードではない。友人に声をかけ，チラシを貼り，体育の授業でスカウトをして，学園祭でアピールをして，と一歩一歩チームが形成されていく。ゼロから始まるスポーツ小説。無かったかも知れない。－－－－－－－－－－－－けれども，この作品の面白さはそこで終わっている気がする。ほぼ素人で，スポーツ経験も無いメンバーも含むチームが，厳しい練習を重ねたとは言え，一流のチームと競い合って全国大会に進んでしまう。出場最低限の人数しか揃わなかったのに，きちんとポジションに合ったメンバーがいる。こうした状況なのに故障者が出ない。こうした状況なのに離脱者が出ない。もう何から何まで上手く運んでしまうのだ。「桐島」では大人から見れば小さいけれども，高校生から見れば大きい問題を描いたことが評価出来たけど，この作品の状況には問題がそもそも存在しないのだ。－－－－－－－－－－－－その代わりに提示されるのが，メンバーそれぞれの個人的な事情だ。一馬の祖母の病状，ハルキの姉との確執，溝口のコミュニケーション能力，遠野の気の弱さ，イチローと弦のライバル意識，翔の過去。これらは新メンバーも含めた15人分が描かれるが，チョイ出しをして，しばらくして種明かしがあり，小さな解決がある，というパターンの繰り返しで，もうすぐに先が読めてしまう。キャラクターの特性，欠点，悩みと言った個性の付け方が，ひじょうにありきたりで分かりやすい。少年ジャンプで連載をされていた「テニスの王子様」によく似ていると思った。キャラクターの行動，見た目，性格がパターン化されていて，マンガ的だ。そう思うと，作品の大きな流れも「努力，友情，勝利」だ。少年ジャンプだね。－－－－－－－－－－－－チアリーディングへの過剰な賞賛も，正直鼻についた。

  2014.07.10

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• 「木暮荘物語」三浦しをんを読んだ

  都心の古いアパート・木暮荘の住人と知人を描いた連作短編集を読んだ。○ストーリー木暮荘に住む女性・繭の前に，3年前にいなくなった元彼・並木が現れる。海外放浪生活から戻り，彼女に部屋に棲み付こうとする並木を心配して，繭の彼氏・伊藤も寝泊りを始めたことで，男2人女1人の不思議な同居生活が始まる。繭の気持ちは揺れ動き・・・－－－－－－－－－－－－小田急線と井の頭線にはさまれた住宅街にある古いアパート・木暮荘。6部屋あるのに4部屋しか埋まっていないアパートの住人たちと，彼らの知人の人間模様が描かれる連作短編集だ。4人の住人は，それぞれ自分が主人公となる短編が与えられ，それ以外に彼らと近い3人の人物の視点での短編が語られる。多少の毒はあるものの，全体的にはのほほんとした三浦しをんの作品世界だ。この人の描く男女の恋愛物語は，ごく一部を除き，ひじょうに受容的で，楽天的な空気がある。登場した時点で，女性主人公が既に年上で，冷静で，きちんとした勤め人の彼氏と付き合っていることが多い。ぶっちゃけそれ以上の何を望むのか？という状況だよね。－－－－－－－－－－－－さらにズバリ言えば，三浦しをんが描く恋愛で，うまく運ばなくて登場人物がモンモンと悩むのは，男性同士のそれだ。それがベースにあるから，男女の恋愛なんて当たり前すぎて，サラリと描かれてしまうのだろうか？この作品も，「ピース」を除くと，どこかマンガのような，作り物めいた淡白な行動をする人々ばかりが登場する。連作物語として十分楽しめるこの作品も，ほとんどの短編に深みがなくて，読み終えてもほとんど印象が残らない。もう少し，登場人物を彩るなんらかの〈業〉が必要だと思う。－－－－－－－－－－－－各編について簡単に感想を述べる。「シンプリーヘブン」：花屋の店員・繭は，半年前から年上の男性・伊藤と付き合い始めた。なぜか古いアパート・木暮荘に住み続ける彼女の部屋に，3年前にいなくなった同い年の元彼・並木が転がり込んでくる。不思議な3人での生活が始まるが，冷静な伊藤の姿に，繭は戸惑い・・・三浦しをんらしい空気が漂う短編。子犬のように可愛い並木と大人の男性の伊藤のどちらを選ぶのか？ある意味途方も無く贅沢で，マンガの様な状況で始まる第1編。「心身」：会社を定年退職して，自分も妻も健康な木暮は，娘夫婦が同居を始めたことをきっかけにして，持っているアパートの一室に住み始める。だが病気で死亡した友人が残した言葉が気になり，ついにアパートにデリヘル嬢を呼んでしまうが・・・なるほど，こういう連作短編集なんだ，ということが分かる。高齢なのに死ぬ前に女性とナニをしたい，と考えてしまう木暮の姿は，本来だったら生臭くなるはずなのに，これをコミカルに仕上げている三浦しをんは見事だ。「柱の実り」：孤独なペットトリマー・ミネは，駅の柱に生えている不思議な突起物を見つける。それを見ることが出来るのは，ミネとヤクザ者の前田だけだった。それをきっかけに2人は話をするようになり・・・ミネの罪ってそれ？いろいろ設定が破綻しているし，何よりも切れ味がヌルイ短編。「黒い飲み物」：喫茶店に隣接する花屋を，夫と営む佐伯夫人は，彼の淹れるコーヒーの味が泥のように感じられるようになる。彼女は，店員の繭と，夫の行動を監視するのだが・・・やっぱり主人公のように思われる女性・繭が再登場。個人経営の店主って，ろくな人間がいない，というのは僕の偏見だろうか？「穴」：木暮荘に住む神崎は，騒音の元を探しているうちに，階下の女性・光子の部屋を覗くようになる。彼女は3人の男性と奔放な生活を繰り返していたが・・・文学的なようでありながら，コトがばれてしまうと，あっけらかんとした空気が漂うのは2000年代だ。「ピース」：光子には誰にも言えない秘密があった。だが友人のワガママがきっかけで，彼女は自分が経験できないと思っていた時間を過ごすことになる。その短い1週間を，光子と木暮荘の人々は協力して乗り切る。・・・これまたマンガの世界なのだけれど，主人公・光子が抱えている問題などもあり，他の短編と異なり気持ちにぐっと切り込んでくる。これまでどこか気持ちがドライな人々が描かれてきたのに，これは反則級に熱い。「嘘の味」：3年ぶりに再会した女性・繭をあきらめて，再び写真家の旅に出たはずの並木だったが，実はすぐ近くにいたまま，繭を遠くから眺めていた。そんな彼の行動を見抜き，注意し，彼に住むところを提供した謎の女性・虹子。並木は彼女の才能を知って驚く。・・・繭が並木の視点から間接的に描かれる短編。生臭い短編もあるのに，最初と最後にこうした中学生の妄想のような清い男女の同居生活を描くって，やっぱりそうした願望が強いんだと思う。

  2014.06.29

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• 「製造迷夢」若竹七海を読んだ

  若竹七海の連作ミステリーを読んだ。○ストーリー12歳の少女が，たまたま見かけた女性のふくらはぎに噛み付いた。少女が言うには，自分は前世でこの女性に殺されたと言うのだ。管轄の渋谷区猿楽町署の刑事・一条風太が事件を調べると，確かに少女が生まれた頃，この女性の義母が不審な事故死をしていた。真相を調べるために，一条は知り合いでリーディング能力を持つ女性・井伏美潮に協力を求める。－－－－－－－－－－－－仕事の際に顔にヤケドを負ったこともあり，少し影のある若手刑事・一条風太と，触ったモノから残留思念を読み取る特殊能力を持つ女性・井伏美潮。本来は優しい気持ちを持ち，惹かれあう2人だが，刑事と能力者という肩書きを持ち，一緒に事件に関わってしまうために，微妙な距離感を置いてしまう。刑事たる風太は，表向きは美潮の能力を利用していることは公に出来ず，どうしても彼女との関係も秘密にせざるを得ない。一方で事件の関係者から読み取った心象風景の暗さや汚さは，美潮の心を傷付けてしまう。・・・という点だけでは説明出来ない，風太の小学生のような分かりやすい乱暴な言動があり，2人の関係はなかなか上手く行かない。風太は顔に傷あとがあるだけなので，知り合いになってしまえば気にする必要が無い。一方で美潮は特別な能力があるので，一度知り合いとなっても，あるキッカケで人から敬遠されてしまうこともある。そういう意味では，美潮の方がよほど危ういのに，いじわるをしてしまう主人公・風太。ちょっとダメな性格だ。－－－－－－－－－－－－設定的には，初期の宮部みゆきの作品にありそうなものだが，例によって若竹七海なので，読後感は大きく異なる。なんと言うか，表面的な事件が解決をしても，事件を起こした状況に救いが無かったり，直接の犯人の裏に隠れている黒幕が罰せられなかったり，とモヤモヤ感が強く残る。勧善懲悪が必須だとはちっとも思っていないけど，もう少し明るい要素を感じさせる終わり方をしてもいいと思う。－－－－－－－－－－－－各編の感想を簡単に述べる。「天国の花の香り」：人気の作曲家が麻薬所持で逮捕され，彼のパートナーも自殺した。だが作曲家の知り合いの女性は，事件の時間帯に，作曲家からデモテープをプレゼントされていたと証言する。そのテープから読み取れた思念が示したものは？・・・偶然だけどやたらとタイムリーな事件だ。意外と複雑な結末。「製造迷夢」：万引きをして署に連行された主婦に，12歳の少女が噛み付いた。少女は自分は前世で，この主婦に殺されたというのだった。過去の資料を調べてみると，確かに主婦の義母が不審な事故死をしていたのだが？・・・少女は本当に生まれ変わりなのか？というのが，この作品のミステリー要素。必要以上に少女の生い立ちが悲惨で，なんだか暗くなる。結末も。「逃亡の街」：関東各地で発生するオフィスでの女性連続殺人事件。一部の事件でつながったと思えた要素は，一条刑事の勘違いだったのか？それにより自殺者が発生し，一条は窮地に陥る。・・・最後に事件が解決するのに，これまた後味が悪い。「光明凱歌」：あるマンションの周辺で連続して不審な事件が発生する。そしてついに殺人事件まで。一連の事件を計画したのは誰か？事件の黒幕の警官とは？・・・登場人物が派手過ぎて，なかなかの目くらまし。それで失敗しているような。「寵愛」：努力して有名な医大に進んだ学生が，マンションの隣の部屋のホステスと親しくなる。そして彼は，彼女の父親を刺し殺してしまった。逮捕されても黙秘を続けた男の目的とは？そして事件の裏に潜むものは？・・・これまた悲惨な状況から生まれた，救いのない事件だ。短編なのに人間のイヤな部分が次々に見える。これってホントに現代？むむう。－－－－－－－－－－－－ミステリーなんだし，もっと別の方向へヒネリを効かせられないのかなあ？

  2014.06.17

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• 「光」三浦しをんを読んだ

  三浦しをんの人間ドラマを読んだ。○ストーリー中学生の信之は，幼馴染の美しい実花を救うために男を殺す。それは天災の混乱の中で誰にも知られずに済んだはずだった。それから20年後，市役所に勤め，平凡な妻と娘と暮らす信之の前に，幼馴染で弟分だった輔（たすく）が現れる。輔とともに過去からの因縁が暗雲のように信之の立ちふさがる。その時，彼が取った行動とは？－－－－－－－－－－－－どこか初期の作品「白蛇島」を思わせる夏の島で物語は始まる。独特の人間関係，濃密な子供たちの距離感。そして海と山。だが天災の激しい暴力で，楽園のような生活は終わりを告げる。さらに20年間の時間が飛び去り，川崎の団地と臨港地区というくすんだ風景で物語は再開する。まるで別人のように覇気のない公務員，薄汚いアルバイト工員になった少年たちが，ある手紙をきっかけにかつての姿に立ち戻る。だがそれが少しも愛や美しさとつながらないのが，この物語の恐ろしさだ。－－－－－－－－－－－－大人になった信之と輔は，ある人物に脅される。証拠となる手紙や写真の隠し場所をさぐるために，その人物とギリギリの関係を続ける生活。2人が別の思惑を持ち，別の計画を進める日々。この辺りは道尾秀介の作品のようだ。だが道尾作品のほとんどが最後にはかすかであっても明るさを感じさせて終わるのに比べると，この作品はどこまでも陰鬱に終わる。大人になった3人の少年少女，そして彼らが大人になって関係を築いた人々，彼らのほとんどにかつての日常は戻ってくる。けれども誰にとってもそれは幸せとはほど遠いものだ。－－－－－－－－－－－－読み終えて，ほっとした。この世界観から開放された，というのが正直な気持ちだ。最近の三浦しをんの作品からは隠れているダークな部分に圧倒された。

  2014.05.25

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• 「輝天炎上」海堂尊を読んだ

  「ケルベロスの肖像」と鏡像関係にある海堂尊の作品を読んだ。○ストーリー碧翠院桜宮病院の〈螺鈿迷宮〉が焼け落ちてから1年後，生き延びた医学生・天馬は，落第，放校を避けるために授業に出席をしつつも，どこかで桜宮病院の因縁に囚われ続けていた。同級生の冷泉と作成した「日本の死因究明制度」のレポートが特A評価を得た関係で，天馬は医学生ながら，東城大学に新設される〈Aiセンター〉の運営オブザーバーに任命される。自分が所属される東城大学と，今は無き桜宮病院の間で心が揺れる天馬に連絡を取ってきたのは，病院と共に焼け死んだはずの桜宮一族の娘だった。彼女が宣言をする東城大学〈Aiセンター〉の破壊に，天馬はチカラを貸すのか？それともそれを阻止するのか？－－－－－－－－－－－－海堂尊と言えば，「チーム・バチスタの栄光」がとにかく有名だ。その後に発表された作品のほぼ全てが，架空の都市・桜宮市を部隊にしている，あるいは関連があるので，僕などは〈桜宮サーガ〉という名称が好きだが，一般的には〈バチスタシリーズ〉と呼んだ方がピンと来るらしい。〈桜宮サーガ〉の中でも，〈田口・白鳥コンビ〉が活躍するメインのシリーズは，「ケルベロスの肖像」にて劇的に終焉を迎えた。この作品は，田口公平視点で描かれていた「ケルベロスの肖像」を，「螺鈿迷宮」の主人公・天馬大吉たちの視点で語り直すという趣向となっている。－－－－－－－－－－－－同じ物語を，別の視点で語り直す，ということを，海堂尊は過去にも行っている。本人的には「ナイチンゲールの沈黙」と「ジェネラル・ルージュの凱旋」，さらに「ジーン・ワルツ」と「マドンナ・ヴェルデ」がそうだと言っている。けれども「ナイチンゲール」と「ジェネラル」は，内容が長過ぎるので2つの作品に分けられたものなので，実情は異なる。だから今回の”別バージョンスタイル”は，「ジーン・・」と「マドンナ・・」に次いで2回目というのが正しいと思う。「マドンナ・ヴェルデ」を読んだ際も，新しい展開は無し，本当の”別バージョン”という作品に驚いて絶句をした僕なので，どうしても今回の作品の評価はきつくなってしまう。今回の「輝天炎上」も，特に後半は「ケルベロスの肖像」の事件をそのままなぞる事で終始する。〈バージョン1〉となる作品に対して，別の解釈や発見を与える〈バージョン1.5〉ではなく，あくまでも〈バージョンA〉と〈バージョンB〉という並列の関係で，〈バージョンA〉からの発展性はほぼ皆無だ。作品を出せば，毎回映像化の話が議論される人気作家だから許されていることで，フツーの良心があったら出来るワザではないよなあ。－－－－－－－－－－－－この作品で一番理解出来ないのが，〈螺旋迷宮〉桜宮病院の一族が，結局何をしたかったのか？ということだ。桜宮市の終末医療をつかさどっていて，それが失敗したのが東城大学病院のせいだ，として大学に対して執拗に妨害工作をする。北海道の極北市では，産婦人科医の刑事訴訟を実現させ，極北病院の再生を邪魔している。ファナティックに主人公たちの足を引っ張るのが桜宮一族とその弟子たちということになっているけど，ちょっと冷静になってみると，世界征服を狙う悪の組織くらいリアリティが無いぞ，こいつら。終末医療やら司法解剖を請け負って，それが悪の権力の源になるって，あまりにもご都合主義で造られた敵対勢力だ。桜宮一族は，この作品以降もうさようなら，でいいと思う。お願い。－－－－－－－－－－－－この作品には，これまでの〈桜宮サーガ〉の登場人物が大量にカメオ出演をしている。本当に楽しむには，海堂尊の作品を20作くらい読んでいないとならない。これはさすがに不親切だと思う。・・・僕は，ほぼ全部読んでいるので大丈夫だったけど。正直，ある大団円まで来ると，このシリーズって何だったんだろうなとも思ってしまう。〈Ai技術〉プロパガンダは明確に行われている。けれども，バブル時代のある事件がきっかけで東城大学病院が崩壊してしまう，というのは，あまりにも「南総里見八犬伝」的な因果と呪いの物語だ。単純に〈バチスタシリーズ〉にケリをつけたいのだろうか？海堂尊本人がどう思っているかは知らないけれども，ファンやスポンサーが待っているのは，広がり過ぎた〈桜宮サーガ〉の探求ではなく，〈バチスタシリーズ〉の続編だと思うけどな。しばらくしたら，しれっと新作が発表される気がする。既存作品の別バージョンではなくて，新作ならば，多少出来が悪くても，ファンは大喜びするはずだ。気長に待とう！

  2014.05.20

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• 「クロノスの飛翔」中村弦を読んだ

  とてつもなく寡作な作家である中村弦の最新作を読んだ。○ストーリー戦争から生還した坪井永史は，大学に復学し新聞記者となる。60年安保の直後，米軍の日本への核兵器持ち込みを追っていた永史は，謎の武装集団に拉致される。彼らの暴走を食い止めるために，永史が送り出した伝書鳩〈クロノス〉がたどり着いた先は，50年後の現代だった。果たして，永史の運命は？－－－－－－－－－－－－戦地で人を殺さないつもりだったのに，身を守るために敵兵を倒してしまった永史。新聞記者となり，60年安保での学生と機動隊の衝突を見て，体制側の乱暴な措置を厳しく批判するが，彼の書いた記事は上司に大幅に修正されてしまう。永史はまたもや体制側に流されてしまったと感じる。物語は，そんな状態の主人公が国家の運命を左右する事件に巻き込まれる姿を描く。武装集団の追っ手から女性を守りつつ逃げるという状況，そして傷付いていた主人公が徐々に立ち直る流れは，冒険小説のようだ。ところが実際に読んでみると，物語の空気は大きく異なる。主人公・永史が助かるのは，50年後のアルバイト青年・俊太と伝書鳩を通じた連絡のおかげであり，本人の実力とは言えない。徐々に物語の中心は，現代の俊太の側に移っていく。永史の行動がよく分からないまま，物語は終盤を迎える。まるで主人公の立場放棄だ。－－－－－－－－－－－－もう1人の主人公・俊太もまた，自分の生き方に自信を無くしている。けれども，遠い過去の永史を救うために走り回っているうちに，変わってくる。俊太の周辺に，不思議な男たちが現れ，サスペンス要素は現代にも広がってくる。だが，これはちょっと安っぽい印象を生んでしまっており，やり過ぎてしまった感がある。過去の事件，現代のサスペンス，それをつなぐ伝書鳩。中村弦にしてはアクティブな作品となっているが，その分バランスが崩れてしまっている。－－－－－－－－－－－－中村弦にはもっと濃密なファンタジー作品を書いてもらいたい。次回作を楽しみに待っている。－－－－－－－－－－－－この作品の舞台となっている新聞会社の本社社屋は，矢向建設の設計施工らしい。これは「天使の回廊」へのリンクとなっている。

  2014.05.14

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• 「仏果を得ず」三浦しをんを読んだ

  文楽に惚れ込んだ若者の姿を描く三浦しをんの作品を読んだ。○ストーリー学校で連れていかれた鑑賞会で，すっかり文楽のトリコとなってしまった健（たける）は，人間国宝の銀太夫師匠の元で義太夫の修行を続ける。だがある時，変人で有名な三味線の兎一郎とコンビを組むことを命じられ，彼の愛想のなさに戸惑う。だが二人の文楽への情熱はすぐに共鳴し，互いに競いながら急成長を見せる。文楽作品の登場人物と健の生活をシンクロさせながら，古典芸能に魅せられた人々が描かれる。－－－－－－－－－－－－三浦しをんの魅力にあふれた作品だ。才能はあるけれども迷っている若者が少し一般とは異なる境遇におり，少し年令が上の仲間と共にさらなる高みへと進んでいく。この作品は主人公の専門バカの度合いが高いが，多くの作品では，主人公は迷い，悪態をつきつつ，その境遇に順応していくので，読者が共感しやすい。だから三浦しをんの多くの作品で，かなり特殊な仕事や活動がフォーカスされているのに，ひじょうに読みやすい作品に仕上がっている。今回のニッチなテーマは文楽だ。つまり人形浄瑠璃の公演を専門集団であり，太夫（浄瑠璃太夫），三味線，人形遣いの三業の協力で成立している。家元の跡取りに生まれ，そのまま家を継ぐ者もいれば，一般の家庭から研修会で修行をし，誰かの弟子となる者もいる。この作品では，主人公の健が，全くの門外漢から文楽の世界に入り，研修会を経て，銀太夫師匠の弟子となっている。もっとも作品の冒頭で既に10年間のキャリアがあり，20代後半の若手大夫となっている。それでもいろいろと悩みながら，演目の登場人物を分析し，現代の人間の行動と比べながら理解していくので，文楽に疎い読者にも入りやすい設定となっている。－－－－－－－－－－－－とは言え，やはり古典芸能を全く知らない人にはハードルが高いと思う。姉が歌舞伎が好きなので，それに僕も付き合った。姪などは，〈こども歌舞伎〉の研修会に行き，舞台に立つまでとなった。その過程でメジャーな演目や，義太夫についても知ることとなった。そうしたことで，この作品の世界観や，登場する演目の多くが分かっているので，すっと入っていくことが出来たが，その素養が無い人にはだいぶツライかも知れない。三浦しをんの作品の常として，文章，長さ，展開などで読みやすいことは間違いないが，今回ばかりは取り扱うテーマの特殊性が高過ぎるのではないかと心配だ。－－－－－－－－－－－－作品に登場する男性は，ほとんどが文楽の技芸員だ。現代の芸能界との交流が豊富な歌舞伎とも異なり，伝統を重んじる世界に生きている〈バカ〉ばかりなのだが，実に生き生きと描かれている。それ以上にチカラ強いのは，主人公・健を取り巻く女性たちだ。ボランティアで文楽を教えに行っている小学校の藤根先生，小学生のミラちゃん，ミラちゃんの母親の真智，どの女性も思い込んだら他人の目を気にせずにズバッと行動する。この情の深さが，作品のテーマである文楽の世界とシンクロしていて小気味良い。そういう意味では，江戸時代の文楽の世界観を現代に再現して見せているのかも知れない。個人的には楽しめたし，姉も続けて読んでいた。いいと思う。

  2014.04.10

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