「紫電改のタカ」の続編
昨日の日記の続きです。金縛りに遭った時に見た夢は、以前僕が語った紫電改のタカの最終回のその後でした。それでは始めます。**************************************************滝城太郎は特攻出撃には最終的には出撃せず、終戦後郷里松山の母や信子の元に帰ってきました。そして語っていた夢のとおり教師になり、信子と結婚致しました。そんなおり、朝鮮戦争がはじまりました。太平洋戦争が終わったのに、またもや起こってしまった戦争。しかも祖国日本のすぐ近くで。「オレはこのままで良いのか、、、。」と教師をやっていた城太郎は思いました。そこへかつての上司、元343空司令の源田実が松山の城太郎の家を訪れてきました。源田は、「警察予備隊を作るので、入隊してくれないか。」太平洋戦争で多くの熟練パイロットが戦死してしまっていたので、警察予備隊、のちの航空自衛隊に腕の良いパイロットが不足していて困っている、との源田の談でした。城太郎は迷いました。なぜなら、彼は実はまだかつて自分が駆け回った空への想いが残っていたのです。この源田の申し出に、母や城太郎の子を宿したばかりの信子は猛反対しました。せっかく太平洋戦争から生還したのに!と。城太郎は迷いましたが、源田のはからいで警察予備隊に仮入隊し、全国から集められた太平洋戦争を生き抜いた元パイロット達と共に米国へジェット戦闘機の操縦訓練研修に旅立ちました。そこには懐かしい紺野、久保、そして立派に成長した米田二郎もいました。渡米した城太郎達は。レシプロ戦闘機からジェット戦闘機への転換訓練で、米軍初のジェット戦闘機P-80シューティングスターを改造した複座練習機T-33に搭乗しました。初めて城太郎はジェット機に乗り、最高時速600キロ台だった自分のかつての愛機黒い紫電改と、T-33の最高速度マッハ0.8の差に圧倒されました。たちまちジェット機に魅了された城太郎。そんなとき、彼は米国でかつての好敵手ジョージ&トマス兄弟やタイガーモスキトン兄弟の遺族たちに会いました。彼らと交流することにより、やはり戦争はもういやだ、という気持ちに立ち戻りました。でも空への、ジェット機への憧れは捨てきれない、「一体オレはどうしたらよいのか、、、。」と思っていたとき、彼は米海軍のブルーエンジェルスチームのアクロバット飛行を目の当たりにしました。城太郎は、「これだ!」と思いました。城太郎は帰国した後、あの源田実がブルーインパルスを結成するのに際し、初代の飛行隊長に任ぜられ、かつて逆タカ戦法や新戦法を駆使したその卓越した操縦技術で、大空に絵を描いたのでした。そして年月が経ち、1964年の東京オリンピック。城太郎の教え子たちが、平和な大空に五輪のマークを描きました。城太郎は地上でその見事な飛行を、年老いた母や妻の信子、そして彼と信子と間にもうけた子供たちと共に目を細めて見守ったのでした。ここで夢から目覚めました。いかがでしょう?ちょっとは楽しめたでしょうか?ちばてつや先生、いちファンの夢ですお許しください(汗)