開会式とノルマンディー 2
ヴァイキングとして知られるデーン人はヨーロッパ各地で暴れまわり、 おとなしくしてもらうためには定住してもらった方がまだマシだ、ということで、デーンロウというイングランド北東部辺りの居住地に住まわせることにしました。 今でも北の方には北欧系の顔立ちの人が多めだと言われます。 デーン人は北欧+イングランドの帝国を築き、一時ブリテン島はヴァイキングの支配下に置かれました。 大陸では、ヴァイキングはフランス・ノルマンディーに定住しました。 ノルマンディー公国のギヨーム2世はこの頃混乱していた跡目争いに参加、ライバルを討ち果たし、イングランドの王座につきました。イングランドではウィリアム1世と呼ばれます。 このことはノルマン・コンクエストと呼ばれ、それまでの英国の政治と文化を激変させ、今日の多様な社会を生み出す基となっています。 ノルマン人はヴァイキングの子孫というわけで、北欧系フランス人で「ノルマンディー訛りのフランス語」を使いますが、被支配層のアングロサクソン人は当時の「かなりドイツ語っぽい英語」を使います。 キリスト教の司祭はラテン語を話します。 彼らがどうやって意思疎通ができたか謎ですが、今でも英語に残っている表現で、支配層・被支配層の立場がわかります。 ノルマン人(食べる人) pork beef muttonアングロサクソン人(農民) pig ox, cow, sheep といった具合に同じ動物を表すのにも別の単語を使い、現在では支配層の言葉は「肉」を、被支配層の言葉は「生きている家畜」を意味するようになりました。 ノルマン・コンクエスト以降、「かなりドイツ語っぽかった」英語は、フランス語やラテン語が入ってきて、語彙が豊かになり、同義語が増えました。 このように、現在の英国となるまでにはさまざまな民族の支配と文化の交流があったのです。 そして、それがオリンピックの開会式でも表現されていたのです。(まあ、少しですが) つづく