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 めいてい君@ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Sep 19, 2011
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カテゴリ:会社時代
大阪で審査にいた頃の話だから、四半世紀以上も前の話に戻る。
社員積立をして毎年、社員(審査部だから部員)旅行に行く計画だった。
何かの都合で、数年行かなかったものだから、積立金が貯まってしまった。

この間に発生したオイルショックでは、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸の産油6ヶ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げた。
石油は、化学素材であり、燃料でもあり、ビニール被覆電線など石油関連素材を使用する製品が値上がりするのは当たり前だが、便乗して、紙など日用品までが不足してトイレット・ペーパーや洗剤まで値上がりした。
いままで下積みや、下請けのような生活をしていた、企業の方も極端に儲かったものである。
会社も儲かりすぎて、日頃使い慣れない金を持ったものだから、税金を支払うよりも、家内従業員達へ還元する道を選び、日頃の感謝と称して、社員全員でのハワイ旅行を組んだ企業が多くでたのもこのころだ。
品不足と言っても、本当にすべての品物が無いのではなく、噂(風聞)による買いだめで市場から一時的に商品が消えたことが主因なのだが。
この時期を「狂乱物価」とも言う。
従って、国民はおしなべて品不足のために困窮したのではない。
たしかに、今のように東北大震災で電力の供給が細っているのに似て、火力発電能力が原油供給の縮小から制約されたので、実質国内生産は落ち込んでいた。
電力消費と、実質国民所得とは相関関係(Relation)が強いのである。

ともかく、企業が儲かり、賃金が名目も、実質もあがって、国民みんなが結構楽しんだSpanだった。
その後の、反動で来る不況を見通した企業があまりいなかったので、一時的にせよ、分配率が好転し、労働者にも幸せがきた。

当時の物価上昇率を振り返ってみる。
昭和48年(1973年)から11.7%、23.2%、11.7%、9.4%、8.1%(以上5年の平均で12.7%、単純に足しあげると64.1%)である。
前年には4.9%であり、昭和53年(1978年)から平成14年(2002年)が1.7%と低迷しているのだから、いかに物価上昇が凄かったかが判る。

第一次オイルショックからの、みんなが幸福であった期間には、物価上昇とともに、雇用の増進があり、一人当たり分配国民所得(われわれには賃金としてみてよい)は大幅に増えたのである。

もっとも、その景気は一時的な品不足(高い需要に追いつけない供給不足)が主原因なので、品物が充足される(供給力の追随)までの短命サイクルであり、長くは続かなかった。
金利面では、ハイパーインフレーションが懸念されるため、政府は高く維持する必要があり、また、外国から見て、日本が公定歩合を引き下げると輸出奨励策とみなされ、外国経済を圧迫することになるので、公定歩合を下げることには外国から牽制があり、高止まった。
当時は、高止まりの金利が続き、儲かった企業の過剰流動性から内部留保のある優良企業を中心に銀行離れが進んだように思う。
もちろん、銀行は危ない企業には融資を避けるので、構造的不況業種は慢性的な資金不足で苦しみ、政府系の金融機関がその隙間を埋める必要があった。
オイルショックから20年弱の期間に、金利は3回の山を経験したのち、不況と共に低下傾向に転じて、銀行金利は逆鞘となり、銀行の経営は益々悪化を辿ることになる。

話を元に戻す。
小生達への効果とすれば、民間賃金が上昇すれば、人事院勧告で政府公務員などの賃金は比例して上昇することになっているから、このオイルショックが所得倍増計画以上の効果をもたらしてくれたと言っても良い。
給料が超倍増になっても、価格はすべてが倍増にならなかったので、社会的な厚生函数はおおいに高くシフトしたものだった。
新婚ほやほやの小生の家庭は、トイレット・ペーパーを製紙業の産地・高知からカートン単位で送ってもらう不便はあったが、給料面では喜んだものだ。

話が、大分逸れたが、審査部の先人および現員達の貯めた積立金を一挙に使ってしまおう(繰越金ゼロ計画)、となったことは話した。
幹事はたまたま小生達である。
畏れを知らない。
花金の金曜日に仕事が終わったあとで、神戸・摩耶ケーブル下まで電車とタクシーで行って、ロープウェイで六甲山に昇り、1、000万弗の夜景を楽しみながら、バーベキュー・パーティをする総員30名の大名計画が纏まった。
お天気も良く、夏でも涼しい六甲の天空で、夜の絶景を堪能しながら、神戸牛で舌鼓を打ち、冷たい生ビールをがぶ飲みしたものだった。

翌年の幹事には、すっからかんになった積立金で苦情を言われたが、使ったもの勝ちなのである。
「覆水盆に返らず」、である。
ハワイ旅行こそ無かったが、自分たちの積立金で「豪遊」したのはこの時だけであった。





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Last updated  Oct 31, 2013 03:53:45 PM
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