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 めいてい君@ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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Aug 7, 2012
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カテゴリ:アジア州

東ティモール民主共和国

 

<外務省>

略史

略史

16世紀以前

リウライ(王)が割拠し、王国が乱立。

16世紀前半

ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。

17世紀半ば

オランダ、西ティモールを占領。

1701年

ポルトガル、ティモール全島を領有。

1859年

リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割。

1942年

日本軍、ティモール全島を占領。

1945年

第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)。

1974年

ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる。

1975年

独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧。

1976年

インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言。

1991年

11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)

1998年

5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換。

1999年

6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定。8月30日、独立についての直接投票が実施されたが、投票直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し、現地情勢は急激に悪化。これを受けて、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を決定。10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定。国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定。

2002年

4月14日、大統領選挙実施、グスマン氏が当選。
5月17日、国連安保理は国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定。
5月20日、東ティモール民主共和国独立。

2005年

4月28日、国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定。

2006年

西部出身の国軍兵士による差別待遇改善要求のデモをきっかけに、治安が急激に悪化。15万人に上る住民が国内避難。政府の要請を受けて、豪、ポルトガル、NZ、マレーシアが国際治安部隊を派遣。国連安保理は、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定。

2007年

4月9日、大統領選挙実施(5月9日、大統領選挙決選投票実施、ラモス=ホルタ前首相が当選)。
6月30日、国民議会選挙実施。

2008年

2月11日、ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う。
2月12日、非常事態宣言発出(5月8日、非常事態宣言解除)。

2009年

5月、UNMITから東ティモール国家警察への警察権限移譲開始(2011年3月、全13県で移譲完了)。

2010年

4月7日、国造りの基本となる中長期開発計画「戦略開発計画」(SDP)の概要を発表(2011年7月15日、正式発表)。

2011年

8月20日、政府は東ティモール国軍の前身となるゲリラ組織「ファリンテル」の動員解除式典を実施。

2012年

2月23日、国連安保理はUNMITのマンデートを2012年12月31日まで延長することを決定。
3月17日、大統領選挙実施(4月16日、大統領選挙決選投票実施、ヴァスコンセロス(タウル・マタン・ルアク)前国軍司令官が当選)






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Last updated  Jan 27, 2013 08:08:31 PM
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