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カテゴリ:福祉・厚生・年金問題
★ 以下は、講師の話を聞いて 勝手に、この呆け頭が感じたことを書いている。 本人が言ったことさえ理解できないのだから 間違っていたら 呆けの意見であろう。 ★ ・ ★ 小生は余りにも頭の切れる方の話は昔から理解できない。 その方には論旨明白なのであるが、 小生には判ったようで結局判らないのである。 先生は全能のレオナルド・ダ・ヴィンチのように 全ての関連付けを一瞬のうちに理解してしまう。 呆けの小生はX,Yだけの一次連立方程式でも 解いてからでないと判らない。 そもそも方程式としてなぜ描けるか、 さえ分からない呆け頭である。 講師とは話は通じないが、 お互いに頭脳の程度は判るので 仲は良い方である。 ★ 暫くぶりに学問的ではない講話をしてくれた。 分野は「競争」の話である。 以下は呆けの小生が付け加えているので 多分「的外れ」である。 ★ 福澤諭吉翁が 幕府の役人に イギリスの経済書の 翻訳をすることとなった。 目次項目の ’competition’を翻訳するに当たり、 今まで日本にはない概念なので「競争」という 漢字を当てた。 ところが、役人は「争うという言葉が入ったようなもの」 は御老中方には見せられぬ、と言う。 結局、「競争」を抹消して提出することになる。 ・・・ しかし、喧嘩や争いではない。 競い合いなのだ。 八百屋さんが野菜に値札を付けるが、 近くの別の八百屋さんが違う値札をつけて、 もっと瑞瑞しい新鮮な野菜を売っているのは、 競い合うのであり、喧嘩をしているのではない。 封建的な身分制度では「争うことは秩序を乱す」 ことであり、長幼などの順序・序列などが大事であった。 ・・・ この逸話は、文明開化の西洋の思考を 日本風土の中に持ち込む際の「軋轢」が 如何に大変であったかを物語る。 福澤諭吉翁が翻訳した 「社会・個人・近代・美・恋愛・存在・自然・権利・自由・彼・彼女」 などの概念は、現代では当たり前に理解される。 当時の日本には、言葉はもとより、その実態が存在せず、 翻訳者が「言葉を当てる」ことが不可能であったに違いない。
<Wikipedia:1891年頃の肖像> ★ 象を知らない人に対して、 象の特徴を体の部分々々で、 いくら正確に説明しても 全体像を理解させることが出来ない。 その特徴全体こそが象なのだからである。 ★ それでも、福澤翁により、 過去の意味を引きずらない、 新しい言葉が先行して出来たお陰で、 日本人は自由な雰囲気で西洋文化を 吸収することが出来たのであろう。 本当に「エライコッチャ」の時代であった。 ★ 'competition'は、 決して、喧嘩や戦争のように、相手を傷つけることではなく、 自分の商品に付加価値を付けることで、 同業者の商品よりも買い手の購買力を引きつける力を加える などの「競争」である。 「競争」はGameのように競い合うことで、 お互いが「進歩する頑張り」であり、 そこに「技術進歩」もあるのではないだろうか。 ★ ただし、競争は何でも良いというものではない。 市場での行きすぎた競争は 個人のプライバシー(=権利・尊厳) を配慮しなくなると人間社会と相容れなくなる。 ★ 極端な場合を想定する。 人間の臓器が自由に供覧・売買できるだろうか。 人間の臓器にはその個人の権利・尊厳がついて回る。 権利としても売買にはそぐわないものであり、 先天性病気などという個人には秘密にしたいもの (=プライバシー)にも関係する。 遺伝因子なども関係するから本人だけでなく、 遺族などにのプライバシーにも及ぶことになる。 ・・・ 競争の世界では、すべてが白日の下に晒されて、 良い場合もあるが、プライバシーは守られなくてはならない。 ・・・ 人間の子供の産み分けについては 最良のものだけを選ぶという考えは追求できない。 人間の自由、平等、博愛の精神は最良、最強、などの 「最高」を求めたものではないのである。 つまり、市場での「競争」は良いものではあるが、 個人の「権利(=プライバシー)」を侵すまでには 侵攻してはならないという、 「人類ならではの難しい尊厳制約」が存在する。 ★ 小生の自己的な解釈に過ぎないが、 気になったその他の「競争」関連話題を述べておきたい。 ★ 地震学でも、予算成果主義を優先するあまり、 「地下のことはわからない」と言い出す始末はどう理解すべきだろうか。 宅造地の販売で、「津波石」という証拠を隠したり、「風評被害」などに 分類しがちな実態との乖離方向はどう理解すべきか。 ★ ノーベル賞受賞で、新しい発見が直ぐに世界的に実用化される ことはすばらしい。 他方で、「難しく不可能であると思われた発見」には 数十年かかる場合が多い。 発見競争ばかりに目が行くと、 直ぐに成果がでるものに、予算が集中し、 他は顧みられなくなる危険がある。 ★ 科学には、大きく見て自然科学と社会科学がある。 航空機に喩えると、自然科学は両主翼で絶対的な力を持つ。 しかし、社会科学の尾翼・方向舵がなければ目的地に行けない。 初期の自転車を見ても、不安定な形であり、 両輪のバランス、また、ブレーキが必要である。 両科学とも補い合っていかなくてはならない。 ★ 「競争」を妨げるものに長幼序列や不正などがある。 封建時代からの長幼序列は、近代化した大学(院)教育にも 残っていたため、国際的な競争力の妨げにもなっていた。 研究論文にも自己の業績でない不正(細胞分野)が見られたり、 でっち上げ(医薬検証実験)さえ行われた。 ★ このように、 競争と言っても市場経済での問題だけでなく、 いろいろな社会現象にも関係する。 彼のお仕事は「競争」というよりも 「厚生経済学や社会選択の理論」であるが いろいろと気になることが多いらしい。 小生達の厚生年金問題についても、 現在の年代での問題と捉えず、 年代を超えた厚生経済問題として捉えているらしい。 呆けの小生は自分の年金だけが気になるが、 講師は人類全体を考えているようである。 ★ 全能なる講師には 長生きをして人類のために もっと働いて貰いたいものである。 引退などをさせては人類にとって 勿体ないと思う。 定年(停年)は呆けの小生くらいでよい。 ★ 呆けの勝手な戯れ言である。 ★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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