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 めいてい君@ 日本の純資産~過去最大の純資産で円建てでは世界最大 [東京 28日 ロイター] - 財務省は2…

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May 19, 2015
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以下は、講師の話を聞いて

勝手に、この呆け頭が感じたことを書いている。

本人が言ったことさえ理解できないのだから

間違っていたら

呆けの意見であろう。

★ ・ ★ 

小生は余りにも頭の切れる方の話は昔から理解できない。

その方には論旨明白なのであるが、

小生には判ったようで結局判らないのである。

先生は全能のレオナルド・ダ・ヴィンチのように

全ての関連付けを一瞬のうちに理解してしまう。

呆けの小生はX,Yだけの一次連立方程式でも

解いてからでないと判らない。

そもそも方程式としてなぜ描けるか、

さえ分からない呆け頭である。 

講師とは話は通じないが、

お互いに頭脳の程度は判るので

仲は良い方である。

暫くぶりに学問的ではない講話をしてくれた。

分野は「競争」の話である。

以下は呆けの小生が付け加えているので

多分「的外れ」である。

★ 

福澤諭吉翁が

幕府の役人に

イギリスの経済書の

翻訳をすることとなった。

目次項目の ’competition’を翻訳するに当たり、

今まで日本にはない概念なので「競争」という

漢字を当てた。

ところが、役人は「争うという言葉が入ったようなもの」

は御老中方には見せられぬ、と言う。

結局、「競争」を抹消して提出することになる。

・・・ 

しかし、喧嘩や争いではない。

競い合いなのだ。

八百屋さんが野菜に値札を付けるが、

近くの別の八百屋さんが違う値札をつけて、

もっと瑞瑞しい新鮮な野菜を売っているのは、

競い合うのであり、喧嘩をしているのではない。

封建的な身分制度では「争うことは秩序を乱す」

ことであり、長幼などの順序・序列などが大事であった。

・・・

この逸話は、文明開化の西洋の思考を

日本風土の中に持ち込む際の「軋轢」が

如何に大変であったかを物語る。

福澤諭吉翁が翻訳した

「社会・個人・近代・美・恋愛・存在・自然・権利・自由・彼・彼女」

などの概念は、現代では当たり前に理解される。

当時の日本には、言葉はもとより、その実態が存在せず、

翻訳者が「言葉を当てる」ことが不可能であったに違いない。

福澤諭吉翁 

 <Wikipedia:1891年頃の肖像>

象を知らない人に対して、

象の特徴を体の部分々々で、

いくら正確に説明しても

全体像を理解させることが出来ない。

その特徴全体こそが象なのだからである。 

それでも、福澤翁により、

過去の意味を引きずらない、

新しい言葉が先行して出来たお陰で、

日本人は自由な雰囲気で西洋文化を

吸収することが出来たのであろう。

本当に「エライコッチャ」の時代であった。 

'competition'は、 

決して、喧嘩や戦争のように、相手を傷つけることではなく、

自分の商品に付加価値を付けることで、 

同業者の商品よりも買い手の購買力を引きつける力を加える

などの「競争」である。 

「競争」はGameのように競い合うことで、

お互いが「進歩する頑張り」であり、

そこに「技術進歩」もあるのではないだろうか。

ただし、競争は何でも良いというものではない。

市場での行きすぎた競争は

個人のプライバシー(=権利・尊厳)

を配慮しなくなると人間社会と相容れなくなる。

極端な場合を想定する。

人間の臓器が自由に供覧・売買できるだろうか。

人間の臓器にはその個人の権利・尊厳がついて回る。

権利としても売買にはそぐわないものであり、

先天性病気などという個人には秘密にしたいもの

(=プライバシー)にも関係する。

遺伝因子なども関係するから本人だけでなく、

遺族などにのプライバシーにも及ぶことになる。

・・・ 

競争の世界では、すべてが白日の下に晒されて、

良い場合もあるが、プライバシーは守られなくてはならない。

・・・ 

人間の子供の産み分けについては

最良のものだけを選ぶという考えは追求できない。

人間の自由、平等、博愛の精神は最良、最強、などの

「最高」を求めたものではないのである。

つまり、市場での「競争」は良いものではあるが、

個人の「権利(=プライバシー)」を侵すまでには

侵攻してはならないという、

「人類ならではの難しい尊厳制約」が存在する。

小生の自己的な解釈に過ぎないが、

気になったその他の「競争」関連話題を述べておきたい。

★ 

地震学でも、予算成果主義を優先するあまり、

「地下のことはわからない」と言い出す始末はどう理解すべきだろうか。 

宅造地の販売で、「津波石」という証拠を隠したり、「風評被害」などに

分類しがちな実態との乖離方向はどう理解すべきか。 

ノーベル賞受賞で、新しい発見が直ぐに世界的に実用化される

ことはすばらしい。

他方で、「難しく不可能であると思われた発見」には

数十年かかる場合が多い。

発見競争ばかりに目が行くと、

直ぐに成果がでるものに、予算が集中し、

他は顧みられなくなる危険がある。

科学には、大きく見て自然科学と社会科学がある。 

航空機に喩えると、自然科学は両主翼で絶対的な力を持つ。

しかし、社会科学の尾翼・方向舵がなければ目的地に行けない。

初期の自転車を見ても、不安定な形であり、

両輪のバランス、また、ブレーキが必要である。

両科学とも補い合っていかなくてはならない。

「競争」を妨げるものに長幼序列や不正などがある。 

封建時代からの長幼序列は、近代化した大学(院)教育にも

残っていたため、国際的な競争力の妨げにもなっていた。

研究論文にも自己の業績でない不正(細胞分野)が見られたり、

でっち上げ(医薬検証実験)さえ行われた。

このように、 

競争と言っても市場経済での問題だけでなく、

いろいろな社会現象にも関係する。

彼のお仕事は「競争」というよりも

「厚生経済学や社会選択の理論」であるが

いろいろと気になることが多いらしい。

小生達の厚生年金問題についても、

現在の年代での問題と捉えず、

年代を超えた厚生経済問題として捉えているらしい。

呆けの小生は自分の年金だけが気になるが、

講師は人類全体を考えているようである。

全能なる講師には

長生きをして人類のために

もっと働いて貰いたいものである。

引退などをさせては人類にとって

勿体ないと思う。

定年(停年)は呆けの小生くらいでよい。 

呆けの勝手な戯れ言である。

★ 






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Last updated  May 19, 2015 11:07:38 PM
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