今日は、武術の稽古にカメラを持った人が入っていました。
彼らはゲームの製作会社の人で、
格闘ゲームを作るらしいのですが、そのキャラクターに中国武術使いが出てくるので、
その動きの参考にしたいとのこと。
私たちにとっては、普通~の動きが、彼らにとっては珍しいらしく、
軽々ジャンプする先輩たちを必死にカメラで追ってました。
基本功(基礎練習)の時に、先生が気をつかって、
「ちょっと、やってみますか?」と彼らを私たちの中に入れたのですが、
簡単な動きさえ、まーったくできず(当たり前)、
右足か左足さえわからなくなり、固まっていたご様子。
彼らが、
「見ると、あ~、簡単だな、と思うくせに、実際やると、手も足も動かないものですね。」とコメント。
先生が
「”見てわかる” = ”できる”というわけではないんですよ。」とおっしゃっていました。
私も同感!
というのも、武術だけじゃなくて、英語・日本語のレッスンでよくあるパターンなのです。
ごくまれに、授業のプリントを見て、
「これ、内容も少ないし、簡単すぎる~。」と言われることがあります。
でも、実際に
「じゃあ、この会話プリントを見ないで同じ内容が伝えられるようにやってみようか。」と言うと、
「ん、なんだっけ?」と言葉が出ず、
「あれれ、実は、難しいんですね。」となることがほとんど。
そう、どうしてそうなるかと言うと、
「見て意味がわかる = それが言える」と勘違いしてるからなんじゃないかな?
これは、イコールには必ずしもならないと思うよ。
同じパターンで、
「聞いて意味がわかる = 同じことが言える 」とは限らないですね。
たまに「先生が何をしゃべっているか意味はわかるんですけど、
こっちから話そうとすると言葉が出ないんです。」と言われる時があります。
これ、自分の中国語でも経験がめちゃあるのですが、
先生の話している中国語を聞いて、「ふんふん意味がわかる~」と思っているけれども、
実際は、「△△△ あなた 〇〇〇 昨日 □ □ □ 働く △△△ ?」というふうに、
単語単語だけところどころ聞こえてるだけで、それを単に組み合わせて、
「昨日、働いてた?」って聞いているんだろうって類推してるだけだったりする私。
実際、△△△ や 〇〇〇 の部分にまったく違うことが言われてて、
「日曜日なのに、あなたどうして、昨日働いてたの?」って質問だったのかもしれないし。
しかも、答える時は、単語だけポンと言っているので、
類推があってれば会話にはなっているかもしれないけど、
自分が、先生が言った同じ質問を言う事ができなければ、わかってないってことだし。
じゃあ、「言える」ためにはどうすればいいかと言うと、
「実際口を動かして、言う練習をいっぱいする」ってことですね。
「”見てわかる” = ”できる”というわけではないんですよ。」とおっしゃってたうちの先生も、
「見てると、なんだか自分でもできると勘違いしてしまうんですね。
ただ、実際、身体を動かして練習しないと、できるようには決してならないですよ。
当たり前ですが。」と付け加えていました。
たしかに、とうなずくばかり。
なんにでも当てはまることだよな、と聞いてた私
やはり、言語は
「たくさん読む」 → 読むのが上手になる
「たくさん聞く」 → 聞くのが上手になる
「たくさん言う」 → 言うのが上手になるってことですね。
< おまけ >
先生が最後のセリフの「当たり前ですが。」と言う言葉、
私たちを見まわしながら言ってたのが、ちょっとコワかった。
たぶん「そんな当たり前のことなんだから、やっとけよ!」
という私たちへのメッセージが隠されていたんだろうな...