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カテゴリ:義経黄金伝説
「義経黄金伝説」 第7回の2
第1章7 一一八六年(文治2年) 鎌倉 1186年(文治2年)、草深き坂東鎌倉に三人の男が対峙しょうとしている。 東国で武家の天下を草創しようとする男。頼朝。その傍らにて、京都王権にては受け入れられず、坂東にて「この国の形」を変えようとする土師氏(はじし)の末裔。大江広元。 対するに、京都王権の交渉家、貴族政治手法である「しきしまみち」敷島道=歌道の頂点に立つ。西行。ここにひとつの伝説が作られようとしていた。 頼朝にとって、西行は打ち倒すべき京都の象徴であった。京都から忌み嫌われる地域で、忌み嫌われる職業、武家。いたぶるべき京都。京都貴族王権の象徴物・大仏の勧進のために来た男・武士「武芸道」からはじきでた、貴族の象徴武器である歌道「しきしまみち」に乗り換えた男。 結縁衆(けちえんしゅう)なる職業の狭間にいる人間とつながりのある男。さらには、奥州藤原氏とえにしもある。坂東王国を繰り上げようとした、平将門を倒した俵俵太の末裔。この坂東にも、そして、義経を育て平泉に送りこんだた男。対手である。その男がなぜ、わざわざ敵地に乗りこんだか。その疑問が 頼朝の心に暗雲を懸ける。 西行にとってこの頼朝との邂逅は、今までの人生の総決算にあたるかも知れぬ。その長き人生において最後の最終作品になるものかも知れなかった。心に揺らぎが起こっていた。 が、その瞬間、重源(ちょうげん)と歩んだ高野山の荒行の光景が蘇ってきた。山間の厳しい谷間、千尋の谷、一瞬だが、谷を行き渡る道が浮かぶ。目の前にあるその道をたどる以外にあるまい。 「西行どのこちらへ」 大江広元が頼朝屋敷の裏庭に案内される。矢懸場が設けられている。 武家の棟梁頼朝は、毎日犬追物をたしなんでいる。的と砂道が矢来をさえぎられ続いている。 「さっさ、こちらへ」 促されるまま、西行は裏庭物見小屋へいざなわれる。 遠くに見える人馬が、的を次々と射ぬきながら、こちらへ走ってきた、頼朝である。 「いざ、西行殿の弓矢の極意を昨晩お伺いし、腕前の程をお見せしたかったのです」 「大殿は、毎日武芸にたしなみを、」 「西行殿は、我が坂東の武芸の祭りをご存知でしょうな」 坂東のしきたりが、京都の弓矢道と結びついているのが、西行には理解できた。京都人でありながら、武芸は坂東と、頼朝は言っているのだ。 馬をもといた場所にとって返し、再び、馬を駆けさせ、用意された的をすべて、射抜いている。 我が坂東の武芸の祭りとは、坂東足利(あしかが)の庄にある御矢山(みさやま)で行われる八幡神を祭る坂東最大の祭事である。いわば武家のオリンピっクである 「西行殿、奥州平泉からお帰りにこの祭りに参加いただきたいのです」 馬上から、息をつきつつ、頼朝が叫んでいる。返事は無用という訳だ。答えようとする西行の前から姿を消し、再び馬首を元の方へ。 西行は義経を助けなければ。が、藤原氏の黄金が、果たして役に立つのか。秋風の吹きはじめた鎌倉で、西行は冷や汗がでてきている。 三度、的をすべて打ち矢って、頼朝は馬上から叫ぶ。 「さらに、西行殿、義経のおもいもの、静の生まれし子供の事聞きたいのではござろうぞ。和子は男子がゆえに不敏だが、稲村ヶ崎に投げ捨てましたぞ」 と言い捨てている。後ろ姿に笑いが感じられる。 頼朝は、西行の策を、封じようとした。 西行は動揺を表情に出さず。が、考えている。かたわらにいる大江広元を見た。 (広元殿、政子殿がいるなかば、わづかばかりの希望あろう。また、そうか、あるいは、静の母磯の禅師が糸を引いているかも知れぬ。わずかだが、希望の光はある。極楽浄土曼陀羅、あの平泉におあわす方が。早く合いたい、さすれば、この身、西行法師の体は、まだ滅ぼすわけにはいかない、平泉を陰都となし、この世の極楽を、さらには、しきしま道にて日本を守れねばならぬ) 頼朝は四度目もすべて撃ち終え、今度はゆっくりと馬を歩ませてきた。 「西行殿、御家、佐藤家は、紀州にその領地がありと聞きます。弟君の、佐藤仲清殿。高野と争い絶えずときく。誠でしょうか」 馬上の頼朝は、しばし、西行の回答を待っていた。 「その御領地を、この頼朝の元に預けられぬか。さすれば、高野山との争いは解決して見せようぞ」 佐藤家は、高野山山領地、荒川荘の領地におしいっている。西行のなりわいはこの弟の家からでている。いわば佐藤家の家作からから活動資金がでている。紀伊の国、那賀郡、田仲庄は紀ノ川北岸にあり、摂関家徳大寺の知行である。佐藤家はこの徳大寺の家人である。今では平家の威光を背景にしてきたのだ。 その根っこを、頼朝は押さえよとしているのだ。 「どうでありましょうな、西行殿、この申し出は」 (絡め手か。やはり、頼朝殿は、この西行と義経殿の関係を気づいているか。京都でもそのとこしるは、わずかだが、、) 大江広元が、秀才顔でしらぢらと西行をにらんでいる。 大江は、水を得た魚。京都から呼びだされ、この鎌倉に根付いた時、歴史は変わった。日本最優秀頭脳集団・大江家。元は韓国(からくに)から来た血筋。 この関東坂東で同じ韓国(からくに)の史筋武家の平家と結びついた。 「すべてのご返事は、平泉からの帰途におこないましょうぞ」 西行は、頼朝の前から去ろうとした。 「まて、西行殿」 大江が呼びとめようとするが、「勝負は、後じゃ」 頼朝が止めた。 「はっつ」 頼朝が打ち据えた的が割れていた。 的の裏側には、平泉を意味する曼荼羅が描かれているのだ。武家の棟梁頼朝が、打ち破るべき国だ。そして黄金もまた、、 そして、西行は、まだ、最大のライバル文覚とは、対峙していない。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.05.20 22:09:02
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