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カテゴリ:源義経黄金伝説(2009年版)
源義経黄金伝説■2009-第13回
■源義経黄金伝説■2009-第13回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 第1章5 一一八六年 鎌倉・頼朝屋敷 驟雨が、鎌倉を覆っている。 頼朝の屋敷の門前に僧衣の男が一人たっている。 老人である。 その老人を尋問する騎馬が二騎現れていた。二人は、この僧を物乞いかと考え、追い払おうとしている。 「どけどけ、乞食僧。ここをどこと心得る。鎌倉公、頼朝公の御屋敷なるぞ。貴様がごとき乞食僧の訪れる場所ではない、早々に立ち去れい」 語気荒々しく、馬で跳ねとばさんばかりの勢いである。 「拙僧、頼朝公に用あって参上つかまつった」 「何を申す。己らごときに会われる、主上ではないわ。どかぬと切って捨てるぞ」 ちょうど、頼朝の屋敷を訪れようとしていた大江広元が、騒ぎを聞き付けて様子を見に来る。 「いかがした。この騒ぎは何事ぞ」 広元が西行に気付く。 「これは、はて、お珍しい。西行法師殿ではござらぬか」 「おお、これは広元殿、お久しゅうござる。みども乞食僧と呼ばれおるか。何卒頼朝公にお引き合わせいただきたいのです」 「何と。天下の歌詠み西行殿とあれば、歌道に詳しい頼朝様、喜んでお会いくだされましょう」 広元が武者に向かい言う。 「この方をどなたと心得る。京に、天下に有名な歌人、西行殿じゃ。さっさと開門いたせ」 広元は西行の方を向かい、 「重々、先程の失礼お詫び申す。なにしろ草深き鎌倉ゆえ、西行殿のお名前など知らぬやつばら」 「私は、頼朝殿に東大寺大仏殿再建の勧進のことお頼み申したき次第でございます」 「何を南都の…東大寺の…」 広元の心の中に疑念が生じた。その波は広元の心の中で大きくなっていく。 「さよう、拙僧、東大寺勧進重源上人より依頼され、この鎌倉に馳せ参じました。何卒お許しいただきたく」 頼朝と西行が体面している。横には広元が控えていた。 「西行殿、どうでござろう。この鎌倉の地で庵を営まれましては」「いやいや、私は広元殿程の才もありませんでな」 「それは西行殿、私に対するざれ言でござりますかな」 「いえいえ、そうではございません」 「西行殿、わざわざこの頼朝が屋敷を訪れられたのは、歌舞音曲の事を話してくださるためではありますまい」 西行の文学的素養は、絢爛たるものがあった。母方はあの世界史上稀に見る王朝文学の花を開かせた一条帝の女房である。 西暦一千年の頃、一条天皇には「定子」「彰子」という女房がいたが、定子には「枕草子」を書いた清少納言が、また彰子には「源氏物語」を書いた紫式部などが仕えていて、お互いの文学的素養を誇っていた。 「さすがは頼朝殿、よくおわかりじゃ。法皇様からの書状もっております」 西行ははっとしたが、頼朝に書状をゆっくり渡す。 頼朝、それを読む。 「さて、この手紙にある義経が処置いかがいたしたものか。法皇様は手荒ことなきようにおっしゃっておられるが」 「義経殿のこと、頼朝様とのご兄弟の争いとなれば、朝廷・公家にかかわりなきことなれど、日々戦に明け暮れること、これは常ではございますまい」 「それはそれ。このことは私にまかされたい。義経は我が弟なればこそ、命令に逆らいし者、許しがたいのです。……」 頼朝は暗い表情をした。しばらくして、表情が変わった。 続く090901改訂 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.11 15:22:17
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