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カテゴリ:源義経黄金伝説(2009年版)
源義経黄金伝説■2009-第17回
■源義経黄金伝説■2009-第 回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 ◎ 「これは、これは有り難きご教示、有り難うございました。もう夜も白んで参りました」 鎌倉の酉が鬨の声を告げていた。二人は一晩中語り合ったのであった。 西行はわれにかえっている。まだ鎌倉にいて、頼朝の前なのだ。 「西行殿、この鎌倉にお止まりいただけぬか」 唐突な頼朝の提案であった。 「いや、無論、平泉から帰られた後でよいのです」 と頼朝は付け加えた。 「それはありがたい提案ですが」 西行は考える。黄金をこの地鎌倉に留め置くつもりか。加えて西行をこの鎌倉に留めおき、平泉の動き、京都の動きを探ろうとする訳か。 「いやはや、これは無理なお願いごとでございましたな。それではどうぞ、これをお受取ください。これは旅の邪魔になるやもしれませんが…」 頼朝が手にしたのは、黄金の猫である 「ほほう、これを私めに、それとも奥州藤原家に…」 「いや、西行殿でございます」 「私はまた猫のようにおとなしくなれという意味かと思いました」 「いや、旅の安全を願ってのこと。他意はござらぬ」 1186年(文治2年)、草深き坂東鎌倉に三人の男が対峙しょうとしている。 東国で武家の天下を草創しようとする男。頼朝。その傍らにて、京都王権にては受け入れられず、坂東にて「この国の形」を変えようとする土師氏(はじし)の末裔。大江広元。 対するに、京都王権の交渉家、貴族政治手法である「しきしまみち」敷島道=歌道の頂点に立つ。西行。ここにひとつの伝説が作られようとしていた。 頼朝にとって、西行は打ち倒すべき京都の象徴であった。京都から忌み嫌われる地域で、忌み嫌われる職業、武家。いたぶるべき京都。京都貴族王権の象徴物・大仏の勧進のために来た男・武士「武芸道」からはじきでた、貴族の象徴武器である歌道「しきしまみち」に乗り換えた男。 結縁衆(けちえんしゅう)なる職業の狭間にいる人間とつながりのある男。さらには、奥州藤原氏とえにしもある。坂東王国を繰り上げようとした、平将門を倒した俵俵太の末裔。この坂東にも、そして、義経を育て平泉に送りこんだた男。対手である。その男がなぜ、わざわざ敵地に乗りこんだか。その疑問が 頼朝の心に暗雲を懸ける。 西行にとってこの頼朝との邂逅は、今までの人生の総決算にあたるかも知れぬ。その長き人生において最後の最終作品になるものかも知れなかった。心に揺らぎが起こっていた。 が、その瞬間、重源(ちょうげん)と歩んだ高野山の荒行の光景が蘇ってきた。山間の厳しい谷間、千尋の谷、一瞬だが、谷を行き渡る道が浮かぶ。目の前にあるその道をたどる以外にあるまい。 「西行どのこちらへ」 大江広元が頼朝屋敷の裏庭に案内される。矢懸場が設けられている。 武家の棟梁頼朝は、毎日犬追物をたしなんでいる。的と砂道が矢来をさえぎられ続いている。 「ささ、こちらへ」 促されるまま、西行は裏庭物見小屋へいざなわれる。 遠くに見える人馬が、的を次々と射ぬきながら、こちらへ走ってきた、頼朝である。 「いざ、西行殿の弓矢の極意を昨晩お伺いし、腕前の程をお見せしたかったのです」 「大殿は、毎日武芸にたしなみを、」 「西行殿は、我が坂東の武芸の祭りをご存知でしょうな」 続く090901改訂 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.12 15:40:53
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