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カテゴリ:源義経黄金伝説(2009年版)
源義経黄金伝説■2009-第18回
■源義経黄金伝説■2009-第 回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 坂東のしきたりが、京都の弓矢道と結びついているのが、西行には理解できた。京都人でありながら、武芸は坂東と、頼朝は言っているのだ。 馬をもといた場所にとって返し、再び、馬を駆けさせ、用意された的をすべて、射抜いている。 我が坂東の武芸の祭りとは、坂東足利(あしかが)の庄にある御矢山(みさやま)で行われる八幡神を祭る坂東最大の祭事である。いわば武家のオリンピっクである 「西行殿、奥州平泉からお帰りにこの祭りに参加いただきたいのです」 馬上から、息をつきつつ、頼朝が叫んでいる。返事は無用という訳だ。答えようとする西行の前から姿を消し、再び馬首を元の方へ。 西行は義経を助けなければ。が、藤原氏の黄金が、果たして役に立つのか。秋風の吹きはじめた鎌倉で、西行は冷や汗がでてきている。 三度、的をすべて打ち矢って、頼朝は馬上から叫ぶ。 「さらに、西行殿、義経のおもいもの、静の生まれし子供の事聞きたいのではござろうぞ。和子は男子がゆえに不敏だが、稲村ヶ崎に投げ捨てましたぞ」 と言い捨てている。後ろ姿に笑いが感じられる。 頼朝は、西行の策を、封じようとした。 西行は動揺を表情に出さず。が、考えている。かたわらにいる大江広元を見た。 (広元殿、政子殿がいるなかば、わづかばかりの希望あろう。また、そうか、あるいは、静の母磯の禅師が糸を引いているかも知れぬ。わずかだが、希望の光はある。極楽浄土曼陀羅、あの平泉におあわす方が。早く合いたい、さすれば、この身、西行法師の体は、まだ滅ぼすわけにはいかない、平泉を陰都となし、この世の極楽を、さらには、しきしま道にて日本を守れねばならぬ) 頼朝は四度目もすべて撃ち終え、今度はゆっくりと馬を歩ませてきた。 「西行殿、御家、佐藤家は、紀州にその領地がありと聞きます。弟君の、佐藤仲清殿。高野と争い絶えずときく。誠でしょうか」 馬上の頼朝は、しばし、西行の回答を待っていた。 「その御領地を、この頼朝の元に預けられぬか。さすれば、高野山との争いは解決して見せようぞ」 佐藤家は、高野山山領地、荒川荘の領地におしいっている。西行のなりわいはこの弟の家からでている。いわば佐藤家の家作からから活動資金がでている。紀伊の国、那賀郡、田仲庄は紀ノ川北岸にあり、摂関家徳大寺の知行である。佐藤家はこの徳大寺の家人である。今では平家の威光を背景にしてきたのだ。 その根っこを、頼朝は押さえよとしているのだ。 「どうでありましょうな、西行殿、この申し出は」 (絡め手か。やはり、頼朝殿は、この西行と義経殿の関係を気づいているか。京都でもそのとこしるは、わずかだが、、) 大江広元が、秀才顔でしらぢらと西行をにらんでいる。 大江広元は、水を得た魚。 大江広元が京都から呼びだされ、この鎌倉に根付いた時、歴史は変わった。日本最優秀頭脳集団・大江家。元は韓国(からくに)から来た血筋。 この関東坂東で同じ韓国(からくに)の史筋武家の平家と結びついた。 「すべてのご返事は、平泉からの帰途におこないましょうぞ」 西行は、頼朝の前から去ろうとした。 「まて、西行殿」 大江が呼びとめようとするが、「勝負は、後じゃ」 頼朝が止めた。 「はっつ」 頼朝が打ち据えた的が割れていた。 的の裏側には、平泉を意味する曼荼羅が描かれているのだ。武家の棟梁頼朝が、打ち破るべき国だ。そして黄金もまた、、 そして、西行は、まだ、最大のライバル文覚とは、対峙していない。 続く090901改訂 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.12 15:45:30
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