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カテゴリ:源義経黄金伝説(2009年版)
源義経黄金伝説■2009-第20回
■源義経黄金伝説■2009-第 回 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 href="http://www.knowledge.ne.jp/lec1379.html">ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 ■■ 第1章9 1186年(文治2年)10月。鎌倉。 西行は文覚に言う。 「文覚どの、私はこの世を平和にしょうとおもうのだ」 「平和だと、うろんくさいこと言うな。おぬしの口からそんな言葉がでようとは」 「では、この国の形を変えるともしあげればどうだ」 「くっつ」文覚は苦笑いしている。 その笑いは同じく国を変えようとされているからであろう」 「何年たっても私の考えがおわかりにならぬか」 「わかりたくもない」 「で、秀衡殿を呪殺されようというわけか」 「主は何を企む。平泉と何を企む。まさか、」 文覚はある考えを思う。 「主は崇徳上皇にも取り入り、弟の後白河法皇に取り入り、また平泉にも取り入るつもりか」 崇徳は30年前、1156年保元元年、弟の後白河法皇に敗れている。保元の乱である。この後、四国に流されている。 「文覚どの、鎌倉には法皇の命令で、今は鎌倉の味方か」 「だまれ、西行、貴様こそ、由緒正しい武士でありながら、 「しきしまみち」を使うとは先祖に対して申し開きできるか」 「文覚どの、その言葉そのまま返そう。お主も武士でありながら呪殺を江ノ島祈願いたしておろう」 「うぬ。敵、味方はっきりしたならば、お主を平泉に行かせまいぞ」 「よろしいのか。大殿とのの命は」 確かに頼朝の命令は西行を平泉に行かせよである。 「しかたがないのう。ここで雌雄を、、、」 二人はにらみ合っている。 恐るべき意識の流れがそこに生じていた。 「御師匠様、おやめ下され」かたわらにいる子供が言いた。 子供ながら恐るべき存在感がある。その顔は夢みる眦に特徴がある。 「おおう、夢見か。わかった。この西行殿が顔を覚えておけ」 「西行様、夢見でございます。京都神護寺からまいりました。 師匠さまの事よろしくお願いいたします」 夢見、後の明恵(みようえ)である。法然と宗教上で戦うこととなる。 同時に、何かの集団が近きつつあった。 「くそ、西行、味方が増えたらしいのう。集団で動くかお主も、勝負はいずれ,まちおれ」 「生きて合えればのう」西行も悪態をつく。 二人はふた方向にわかれた。 「西行様、ご無事で」 いつのまにか東大寺闇法師重蔵が控えている。が、笑いをこらえている風情である。 「おお、重蔵殿あいすまぬ。」 汗をかいている。 「ふふ、ワシとしたことが、つい歳を忘れてしまう。あやつにあうと」にが笑をしている。 「お知り合いでございますか」 「古い付き合いよ。北面の武士以来だ。」 廻りの集団が気に成っている。 「結縁の方々、ありがとうござる。何でもござらぬ。もう終わり申した」 重蔵の言葉に近くの樹木の影にいた気配がすべて消えていた。西行はにがりきった笑いをする。 「法眼殿の手下か」 先ほどの手勢は、方眼が京都から連絡した結縁衆であろう。密かに西行を守っている。重蔵は、西行にもこのような面があるかと思い微笑んでいる。この有名なる京都「しきしきみち」の漢に子供のけんかのような、、 「あの子供の方が気にかかります。なにやら恐ろしげな、、」 重蔵はつぶやいている。 西行は生涯を通じて、交渉者たらんと欲した。佐藤家という彼の出自が大きくものをいっていた。時代は西行のような斡旋者を強く要求していた。保元の乱から始まる源平合戦は、古代より続いた貴族社会に住む人々にとって、青天の霹靂であった。仏教でいう末法が思われた。 武士という自分たちのルールに従わない人種が出現し、あれよあれよという間に政治の仕組みに食い込んで来た。そして、土台ごと乗っ取られていることに気がついたのである。 古来から貴族たちは、血が流れるのを嫌った。自分 の勢力拡大のために、流れる血は気にしなかったのだが。今の世の中の血の流れている戦いは別種であった。古の壬申の乱以来である。 西行は源氏にも平家にも顔が効いた。まして、相国(しょうこく)平清盛入道とは、北面の武士のおり、同役であった。また征夷大将軍坂之上田村麿ゆかりの京都神護寺(じんごじ)の文覚とも同役であり、顔見知りであった。平家 往時のおり、西行の庵は六波羅のすぐ側にあった。 六波羅は鴨川の東岸にあたり、鳥辺野の真ん中に位置する。平家政治集落の様相を呈していたのである。また、六波羅は清水寺への参道に位置していた。京の動きは街道の人の行き来から判断することができた。 西行に、上皇をはじめ、院、貴族層が気を許したのは、その歌の作詞能力(しきしまみち)であった。古代からの歌の伝統を踏まえ、美しい歌をつくることができる西行は、貴族たちと同じ人種であることを意味した。平家、源氏、貴族、そして寺社勢力、両方面に西行は顔が効き、出入りができたのである。 源平の争乱のとき、西行は伊勢の草庵に隠遁していた。そして、西行、最後 の賭けの時が六十九才のおりに訪れて来た。西行の動き、あるいは言葉の一つ で、この微妙なバランスで保たれている。日本の政治状況が変わるかも知れな かった。 西行は変えようとした。 彼は政党を持たない一個の政治家であり、思想家であった。 続く090901改訂 作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所 山田企画事務所 href="http://www.knowledge.ne.jp/lec1379.html">ナレッジサーブ「マンガ家になる塾」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.10.16 15:18:42
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