源義経黄金伝説■第60回 建久元年(一一九〇)三月 京都
源義経黄金伝説■第60回作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tubehttp://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009 「マンガ家になる塾」■ 建久元年(一一九〇)三月 京都 後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家(ふじわらていか)が呼ばれている。「西行の名前を残して起きたいのだ」「西行様の、麻呂も賛成でございます、で、いかかな処理をいたしましょうや」、「よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのだ。 歌聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する指令がうづまいていた。「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝のものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組みをどうすすか」西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳を祭り、北の都の祭りとし、頼朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いていた。奥州平泉は先年1189年文治5年に頼朝の手におちている。おう、身震いがした、崇徳が悪霊か、、 法王は遠く讃岐の方を見た。後白河と崇徳とは、兄弟と記録されているが、崇徳は本来の兄ではない、、■2 建久元年(一一九〇)三月 京都文覚が、自分が勧進を行った京都神護寺(じんごじ)にて打ち沈んでいる。お師匠様、いかがなされました」夢身、今は明恵(みょうえ)と名前を改めている。「おう夢見か、ワシはな。この手で西行をあやめたのだ。それがのう、頭にこびりつく。また。ワシに、あやつは、大きな仕掛けを残していくよったのだ。いわば、ワシをあやつらの仲間に抱きいれるような、、」「師匠様が、西行様のたくらみの手助けをなさる」「そうだ」文覚にとっては、めずらしく煩悶していりのだ。それゆえ、弟子の夢見、明恵の、その文覚の言葉を聴いての動揺も気づいではいない。夢見は、数ヶ月前の事を思い起こしていた。 ■仏教王国、平泉陥落後のち数ヶ月後、西行が、京都神護持をおとづれていた。「夢見どの、いや今は明恵殿とお呼びしなくてはなりませんか。文覚殿はおられるか」「師匠様は、今留守でございますか。何かお伝えすべき事がございましたら、私にお伝え下させませ」「あ、いや、夢見殿がおられれば十分だ」夢見は、西行を部屋に入れている。急に、西行が、夢見に対して頭を下げていた。「夢見殿、この後の事、お願いいたすぞ」「え、何か、」「この日の本のことだ、たくすべきは、おぬししかあるまい」西行は、夢身を顔をしっかりと見て、断言した。「また、大仰な、私は文覚の弟子でございます。そのような事はお師匠様に、お伝え下さい」「あいや、夢見どのおぬしではないとな。文覚殿では無理なのだ」夢見は、無言になり、顔を赤らめた。神護寺は、京都の山中にあり、ふきあげる風が寒々とする。山並みが遠く丹後半島まで続いている。遠くで獣の鳴き声が響く。「この国は今変わろうとしておる。が、わしの命も、もうつきよう」しみじみと言った。「この国を仏教王国にしていただきたい。神と仏が一緒になったな。わしが重源殿とはかり、東大寺の200人の僧を伊勢参拝させたのだ。この源平の戦いの後、どれだけの血がながれていたか。夢見殿のお父上もまた戦でなくなれれていよう」「それは、いささか、私の手には、重もうございます」「いあや、鎌倉の武家の方々にナ、仏教を思い至らしていただきたい」「それは、お師匠様が」「いや、わしと文覚殿の時代ももう、おわろうて。武士の方々を仏教に結縁させていただきたい。そいて、この世の中すべてうまく回る仕組みを作っていただきたい」「仕組みとは」「たとえば、貴族の方々は、遠く桓武帝がおつくりになった立法を守り、行ってきた。これから新しく規範が必要なのだ。世の基準をつくり、武家、庶民が豊かにくさせる世の中にしていただきたい。 いや、これは、西行の戯言と思っていただきたいが、源氏の後には 北条殿が、この世の中を動かすであろう」「北条様は、しかし、源氏の家臣ではございませんか。また、鎌倉には大江広元様がおられましょう」西行は冷笑した。「ふつ、大江殿がどこまで、お考えかわからぬぞ。果たして、世の動きを作りは源頼朝の大殿か、大江殿か」西行は、ふっと考えている。この諧謔さが、師匠の文覚の気にいらぬのだ。「よいか、夢見殿、和が話したことは、文覚のみは内緒ぞ」二人秘密になるのじゃ。北条殿を助け、その世の仕組みと基準である、理(ことわり)を作られるのじゃ「それは東大寺の重源様、栄西様のお仕事では、、」「あの東大寺の方々には、他のやり方がある。夢身殿には夢見殿の考え方と生き方が ござろうて」西行のと明恵の会話は続いた。このことは、文覚は知らない。■ 続く作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所Manga Agency山田企画事務所★漫画通信教育「マンガ家になる塾」★you tube「マンガ家になる塾」http://www.youtube.com/user/yamadakikaku2009