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歴史の回想のブログ川村一彦

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2023年07月13日
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カテゴリ:室町管領の攻防」






執事・管領の一覧


執事高師直(1336年 1349年)高師世(1349年)高師直(1349年 - 1351年)仁木頼章(1351年 1358年)細川清氏(1358年


●管領斯波義将(1362年 1366年)細川頼之(1367・年 1379年)斯波義将(1379年 1391年)細川頼元(1391年 1393年)斯波義将(1393年 1398年)畠山基国(1398年 1405年)斯波義重(1405年 1409年)斯波義将(1409年)斯波義淳(1409年 1410年)畠山満家(1410年 1412年)細川満元(1412年 1421年)畠山満家(1421年 1429年)斯波義淳(1429年 1432年)細川持之(1432年 1442年)畠山持国(1442年 1445年)細川勝元(1445年 1449年)畠山持国(1449年 1452年)細川勝元(1452年 1464年)畠山政長(1464年 1467年)斯波義廉(1467年 1468年)斯波義廉(西幕府)(1468年 1477年)細川勝元(東幕府)(1468年 1473年)畠山政長(東幕府)(1473年)畠山政長(1477年 1486年)細川政元(1486年)畠山政長(1486年 1487年)細川政元(1487年)細川政元(1490年)細川政元(1494年 1507年)細川澄之(1507年)細川澄元(1507年 1508年)細川高国(足利義晴方)(1508年 1525年)細川稙国(1525年)畠山義堯(1526年)細川晴元(1536年 1549年)細川氏綱(1552年 1563年)


室町時代の3代将軍足利義満が定めたとされる管領職に就任する家柄のこと。


「応永5年(1398年)、足利義満が朝廷の五摂家清華に習って武家の「三職七頭」を定めた。所謂三職は足利氏一門の斯波氏細川氏畠山氏であり、三管領(執事別当)と号した。


七頭山名氏一色氏土岐氏赤松氏京極氏上杉氏伊勢氏等であり、そのうち山名氏・一色氏・赤松氏・京極氏を京都奉行(侍所別当)とし四職と号した。奏者は伊勢貞行とされた。また武田氏小笠原氏の両人を弓馬礼式奉行とし、吉良氏今川氏渋川氏らを武頭とされた」(『南方紀伝』)。


三管領の3家には嫡流の宗家と庶流の分家があるが、管領を代々任じられるのは宗家であり、それぞれの嫡流当主が歴代通称とした官途の唐名を元に、「斯波武衛家」(代々左兵衛督)、「細川京兆家」(代々右京大夫)、「畠山金吾家」(代々左衛門督)と称し、それぞれ管領(斯波、細川、畠山)家または(斯波、細川、畠山)管領家とも呼ばれる。


三管領の3家はそれぞれ分裂し戦国時代を激しく戦ったが安土桃山時代まで生き残り、それぞれ残った当主の細川昭元畠山昭高斯波義銀織田信長の親族と縁組をし信長の義兄弟・準義兄弟となることによって政治的にも重要度を回復した。後に豊臣政権に移行した後も、高貴な家柄の末裔として厚遇されることとなる。


江戸時代高家として江戸幕府に仕える家や、大名家の家老職として地方に下る家など、独自の運命を辿った。



北畠四管領


室町時代に伊勢国に勢力を有した国司大名北畠氏の一門かつ重臣の中で特に有力な者を四管領と称した。北畠四管領伊勢四管領とも。


 


3、「斯波 義将」(しば よしゆき)は、南北朝時代から室町時代武将守護大名斯波氏5代当主。室町幕府創業の元勲である斯波高経の4男で室町幕府初代、3代、5代、7代管領越前越中信濃守護。


幼少より父・高経の偏愛を受け、父の後見と推薦もあって13歳にして幕府管領職に就任する。後に父の失脚と同じくして自身も都を追われたが、まもなく復権し、政敵の細川頼之康暦の政変にて失脚させると管領に再任。


以後、足利義満足利義持と2代の室町将軍を補佐し、およそ30年間にわたって幕府の重鎮であり続け、斯波氏の最盛期を築いた。


l  斯波 高経(しば たかつね)は、南北朝時代武将守護大名越前若狭越中守護。足利氏の有力一門斯波氏(足利尾張家)4代当主。


l  元弘3年(1333)の足利尊氏の挙兵に従って鎌倉幕府に反旗を翻し、建武政権において越前守護職を得たが、後に尊氏が建武政権に反するとこれにも従って北朝軍の有力武将となる。


l  北朝では北陸方面の司令官として活躍し、南朝軍の有力な司令官であった新田義貞を討つ功績を上げた。


l  やがて観応の擾乱が起こると足利直義陣営に属して尊氏と戦うが、この間に尊氏、直義両陣営の間で離反と帰参を繰り返した。尊氏の死後、一時室町幕府の最高権力を得たものの、まもなく佐々木道誉らの策謀により失脚。洛中を落ちて越前杣山城にて失意の中病死した。


l  斯波氏は足利宗家4代当主の泰氏の長男・家氏から始まる名門で、成立当初より「足利」の名字を公称し、家氏以降の代々の当主が尾張守を称したため足利尾張家と号するなど、他の足利一門とは一線を画す高い家格を有した。


l  このため「足利家の分家、庶流」というよりは「足利家の別家、別流」の扱いであり、高経も足利尾張守高経と表記されることもある。また足利本家から独立した御家人であったため、高経の「高」字は尊氏の初名である「高氏」とおなじく北条得宗家の北条高時の偏諱とみられる(高経と尊氏は同年生まれ)。


l  室町幕府が成立すると4男義将管領となり、高経はその後見をつとめた。本格的に「斯波氏」を称するのは義将以降のことである。以後、室町時代を通して三管領の筆頭となった(詳細は斯波氏を参照)。


 


 


 


 


 






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最終更新日  2023年07月13日 13時19分57秒
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