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歴史の回想のブログ川村一彦

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2024年05月23日
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カテゴリ:安土桃山時代




元和
6年(1620)12月8日、筑後久留米に21万石を与えられ国持ち大名となった。


元和7年(1621)3月18日、久留米に入部した。前藩主・田中氏の統治の際に、支城の一つであった久留米城は一国一城令により破却されており、豊氏は久留米城の修築や城下町の整備を進めながら領国経営を開始する。久留米城修築に際しては、榎津城・福島城など廃城の資材が転用された。


また、同年には、丹波福知山の瑞巌寺を久留米に移し、梅林寺を建立している。


寛永14年(1637)11月に島原の乱が勃発すると、豊氏は当時江戸にあり、老齢であったが自ら島原まで出陣している。


島原の乱では久留米藩から6300余人が出陣しており、戦死173人、手負い1412人を出している。


※「島原の乱」(しまばらのらん)


天草一揆ともいう。寛永 14 (1637) 年から翌 15年にかけて肥前島原と天草島のキリシタン信徒が起した一揆。この地方は,キリシタン大名有馬晴信や小西行長の領地で,住民にもキリスト教徒が多かったが,関ヶ原の戦いののち,天草の領主は小西氏から寺沢氏に代り,さらに元和1(15) 年島原の領主が松倉氏に代った。


松倉氏は農民に対して過重な年貢の負担を強制し,滞納する者には過酷な刑罰を課した。また江戸幕府の禁教政策におけるこの地方のキリシタン弾圧は特にきびしかった。


このようななかで寛永 14年 11月有馬村で代官と農民の衝突が起り,これをきっかけに島原半島一帯の農民が蜂起した。


これに商人,手工業者,船頭なども加わり,さらに天草の農民がこれに呼応して蜂起し,豪農益田甚兵衛の子四郎時貞 (→益田四郎時貞 ) が首領に推され,小西家牢人 (浪人) や村落代表によって指導部が構成された。


一揆は松倉藩兵を破り城代家老を戦死させ原城にたてこもった。幕府は同 12月,鎮圧のため板倉重昌を派遣し近隣諸藩の兵を指揮させたが,一揆の勢力は強く,その数3万 8千人であったといわれる。


翌年元旦,総攻撃をかけたが落ちず,重昌は戦死した。幕府は,老中松平信綱を派遣し,信綱は十数万の包囲軍による兵糧攻めや,一時的ではあったがオランダ商船『レイプ』号に依頼して海上から砲撃させるなどしたが,農民は頑強に抵抗した。


しかし,食糧や弾薬が尽き,ついに2月末,幕府軍の総攻撃によって陥落した。幕府は 40万両余の費用と数千の武士を失い,一方松倉重次を処刑し,寺沢氏の所領を没収した。以後禁教は一層きびしくなり鎖国を促進した。】


寛永19年(1642)閏9月29日、74歳で死去。跡を長男・忠頼が継いだ。豊氏の死後、近侍の2名が殉死しており、のちに豊氏の廟の傍らに葬られている。明治10年に篠山神社が創建されると、豊氏も祀られた[3]



年譜


日付=明治4年までは旧暦


·        文禄3年(1594)6月、従五位下玄蕃頭に叙任。


·        文禄4年(1595)、豊臣秀吉に仕え、3000石。


o   8月、遠江国横須賀の地に3万石。


·        慶長3年(1598)8月、豊臣秀吉薨去後、徳川家康に組し、徳川家の御伽衆となる。


·        慶長5年(1600)


o   6月、徳川家康の養女連姫と婚姻。関ヶ原の戦いでは東軍に従軍。


o   12月13日、丹波国福知山で6万石。


·        慶長7年(1602)8月以降、父則頼の遺領であった摂津国三田2万石を継承し、合計8万石。


·        元和6年(1620)閏12月8日、筑後国久留米に転封し、21万石となる。


·        寛永3年(1626)8月19日、従四位下に昇叙し、玄蕃頭如元。


·        寛永11年(1634)7月16日、侍従兼任。


·        寛永19年(1642)閏9月29日、卒去。享年74。法号:春林院殿如夢道長大居士。


·        大正5年(1916)11月15日、政府より贈従三位。






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最終更新日  2024年05月23日 06時21分48秒
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