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歴史の回想のブログ川村一彦

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2024年06月30日
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カテゴリ:江戸後期




翌永禄4年(1561)には
里見氏の家臣・正木信茂の侵攻を受けて、臼井城小弓城を奪われる。同年、上杉謙信が11万の大軍を率いて小田原城を攻めたときは、後北条氏に援軍を派遣した。


しかしその後和睦して、鶴岡八幡宮で行われた謙信の関東管領就任式に参列。小山高朝と諸将の首位の座を争い、謙信の仲裁によって胤富が首座となった。


永禄5年(1562)、後北条氏の支援を受けて正木氏に奪われた臼井城や小弓城を奪還する。


臼井城合戦では謙信を撃退。その後は里見氏との交戦が続き、元亀2年(1571)には小弓城で里見義弘と戦っている。天正7年(1579年)に53歳で死去した。


胤富は後北条氏との関係を深めることで上杉謙信、結城氏や里見氏などの侵攻を撃退。武田信玄、謙信、義氏、佐竹、里見等と合戦して勝利を収め(『千葉大系図』)、千葉宗家の勢力を保った。


*「千葉 良胤」(ちば よしたね)は、戦国時代武将千葉氏の第28代当主。第27代当主・千葉胤富の長男(次男とも)。第29代当主千葉邦胤双子の弟だったとされている。


彼の存在は一部の系図類が伝えるのみで『千葉大系図』(ただし同系図は邦胤の子・重胤が校訂したとされており、その辺を差し引く必要がある)など千葉氏の主要史料などに記されておらず、また発給文書も伝わっていない。


また、彼が当主であった天正元年(1573)より同3年(1575)には既に邦胤が当主であった事が確認されており、戦国時代初期に武蔵国に実在した同姓同名千葉良胤(武蔵千葉氏の千葉自胤の別名とも自胤の子である千葉盛胤の子(自胤の孫)とも言われる)を元にした架空の人物であると説もある。


ただし、江戸時代中期以後に千葉氏嫡流を名乗って家名再興に動いた人々が通説で末期の宗家の当主とされている千葉邦胤・重胤父子の末裔ではなく良胤の末裔と名乗っている事は留意すべき点である(勿論、浅草鳥越神社宮司家の様に邦胤の子孫を名乗る家も存在する)。


実在説を唱える史料によれば、親北条氏を唱える父・胤富と違って北条氏との距離を置いて、台頭してきた織田信長とも通じたためにこれに危機感を抱いた原胤栄(実際には隠居である胤富の命か?)によって下総国公津城(現在の千葉県成田市)に幽閉され、後に脱出して奥州に逃れたとされている。


だが、現存の発給文書を追うと、千葉胤富から邦胤への当主交代が行われたのは元亀年間と考えられている。


折りしもこの元亀年間には甲相駿三国同盟が崩壊して仇敵同士であった北条氏康上杉謙信武田信玄に対抗するために一時的に同盟越相同盟)を締結した時期にあたる。


この時、北条・上杉両氏が互いの思惑から関東地方の勢力圏を勝手に分割したために親北条方の千葉氏は勿論、親上杉方として千葉氏と戦ってきた里見氏佐竹氏などにも動揺が広がった時期にあたる(実際に里見義堯と武田信玄の間で同盟(甲房同盟)が締結されている)。


つまり、千葉氏を巡る対外関係は混乱状態にあった。この時期に千葉氏の嫡男あるいは当主であった良胤が北条氏の姿勢に不信感を抱き、従来北条氏一辺倒であった千葉氏の政策の見直しを行おうとし、これに反対した胤富や重臣達がこれを廃して代わりに邦胤を擁立した可能性については否定できない。


天正18年(1590)の小田原征伐で北条氏に与して千葉氏が改易されると、良胤は下総に帰還して同国で死去したと言われている。


*「千葉 宗胤」(ちば むねたね、? ~文化4年(1807)は、江戸時代後期の千葉氏第37代当主。第36代当主・千葉紀胤の子。


宗胤は幕府千葉介家再興を嘆願したが、聞きとげられる前に亡くなった。墓所は千葉県香取郡神崎町武田の高源院。



千葉氏歴代当主平忠常平忠頼の子、千葉小次郎と名乗る?


平常将(忠常の子、千葉介?)平常長(常将の子、千葉大夫?)平常兼【初代】(常長の子、千葉大介?)平常重(千葉常重)【二代】(常兼の子、実質上の千葉氏初代)千葉常胤【三代】(常重の子、下総国初代守護)千葉胤正【四代】(常胤の長男)千葉成胤【五代】(胤正の子)千葉胤綱【六代】(成胤の長男)千葉時胤【七代】(成胤の三男、胤綱の長男説もある千葉時胤#時胤の系譜の問題千葉頼胤【八代】(時胤の子)千葉宗胤【九代】(頼胤の長男、九州千葉氏の祖)千葉胤宗【十代】(頼胤の次男)


千葉貞胤【十一代】(胤宗の長男)千葉一胤【十二代】(貞胤の長男、正式な家督継承前に戦死)千葉氏胤【十三代】(貞胤の次男)千葉満胤【十四代】(氏胤の子)千葉兼胤【十五代】(満胤の子)千葉胤直【十六代】(兼胤の子、康胤に討たれる)千葉胤将【十七代】(胤直の長男)千葉胤宣【十八代】(胤直の次男、康胤に討たれる)千葉康胤【十九代】(満胤の次男、初め馬加氏)千葉胤持【二十代】(康胤の子)千葉輔胤【二十一代】(康胤の庶長子?千葉孝胤【二十二代】(輔胤の子)千葉勝胤【二十三代】(孝胤の子)千葉昌胤【二十四代】(勝胤の子)千葉利胤【二十五代】(昌胤の長男)千葉親胤【二十六代】(利胤の子)千葉胤富【二十七代】(昌胤の次男)千葉良胤【二十八代】(胤富の長男)千葉邦胤【二十九代】(胤富の次男)千葉直重【三十代】(北条氏政の子)千葉重胤【三十一代】(邦胤の長男、北条氏の人質生活を送り、滅亡後に零落する)


千葉俊胤【三十二代】(邦胤の次男、初め粟飯原氏、続いて鏑木氏)千葉定胤【三十三代】(重胤の子)千葉知胤【三十四代】(良胤の孫)千葉英胤【三十五代】(知胤の子)千葉紀胤【三十六代】(英胤の子)千葉宗胤【三十七代】(紀胤の子)千葉倚胤【三十八代】(宗胤の子)


·        千葉胤邑【三十九代】(倚胤の子)以下略






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最終更新日  2024年06月30日 08時51分55秒
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