呪縛の幻想”反原発”の社会派運動・市民運動の論理
「反原発」の社会派運動・市民運動の論理今回の地震による原発事故は第一原因は地震で、その対応の不備が人災と考えらえられる。今回の事故で反原発運動が甦り増幅しでツイッターによってデモの広がりを見せた。世界中で今尚建設、計画の流れの中、日本の「原発」は頓挫、悪の刻印を押されてしまった。安全神話が崩れた。想定外では済まされる。元々原発の安全神話なんてなかった。言葉だけが都合よく一人歩き、それを逆手にとって原発の不完全を言わず、原発の存在を否定する。この世界に完全なもの存在しない、絶え間ない研究と改善に有る事を歴史が証明する。想定外の事故に「想定ガではない」想定外は地球上の出来事に予測できるものなんて一点もない。日本の原発は世界でも先行する技術力は評価は高かった。米国を始めロシア、中国から、イラン、北朝鮮まで核保有国になりつつある中、日本は人を殺傷する為でなくエネルギーに活用、人類の英知が兵器から電気に平和利用をしょうとする。そんな理想の英知は平和の加担者以上に酷評される「平和運動家」「社会・市民運動」に悪利用される本末転倒は未来に禍根を残すことは明白である。原因追求もせず、このまま消し去って良いものか,良識ある日本人は、こんな政治的背景を持つ運動に惑わされることなく、冷静なる歴史的史実として記するべきである。