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にほんブログ村 13代目片岡仁左衛門 人と芸の巻(中・下)を観た。 「若鮎の巻」「人と芸の巻」上はこちら 芸談語るのも地下鉄や電車に乗るのもお好き、奥様とウナギやどぜうを召し上がりに行く。こちらは早朝から2本続けての鑑賞で空腹でたまらない(笑) こけら落としに舞う三番叟 のお稽古、踊りのお師匠さんから指導を熱心に受ける。 6代目菊五郎から受けた薫陶は大川橋蔵と同じで興味深い。 橋蔵は女形だったので裸で両足の間に紙をはさんで落とさないように踊るのだったと思う。レモンをかじらせて甘いと言うまで稽古させられたと。 仁左衛門も裸で背中に竹くくり付けて稽古させられたそうだ。 それを楽しげに話される。社交ダンスでも聞いたことがある。 ほめてもらうのでは、身に付かない、叱られてどなられてこそと。 褒め殺しというのもありますからね。 四谷怪談の話。ここから出ますよと言うようにスポットライト当てたらちっとも怖くない、暗がりにしてどこから出るかわからないようにして…お化けよりその芝居を受ける役者が上手くないとダメなど。 仁左衛門丈はお若い時よりダンディーで品があってとても立派な御顔。検索してみたら実父は安田善三郎、オノ・ヨーコの叔父! 1988年歌舞伎座百年記念公演「通し狂言菅原伝授手習鑑」。 緑内障で目が見えなくなってきていて舞台の階段上り下りして体に覚えさせたり階の幅を広くしてもらったり。この舞台の主人公菅丞相(菅原道真のちの天神様です)は二男秀太郎の苅屋姫との別れの場面は名場面。私は今仁左衛門と玉三郎のコンビで録画鑑賞。お父様よりきれそうな菅丞相。この役をやるには精進潔斎すると聞いた。 梅幸さんの覚寿。母は梅幸を昔よく見たせいか贔屓していた。 「妹背山婦女庭訓」入鹿の公家悪、立派。 以下の青字はWikipediaよりの引用です。 安田財閥の金が恒常的に流れてきたため、少なくとも財閥解体まではまったくお金に困らなかった。これが彼の芸に強い影響を及ぼしている[要出典]。性格的に屈折したところがなく、高貴な役どころがぴたりとはまった。由良之助役者としても知られたが、七段目では、豪遊ぶりがいかにも自然で、それはまさしく普段から自分の金で現実に豪遊しているからだという評があるほどである。実生活でもコセコセしたところがなく、どんな人に対しても人間のいやらしい部分、卑屈な部分を見せることがなかった。 略歴1966年、歌舞伎座で演じた『廓文章』(吉田屋)の伊左衛門が好劇家から高い評価を受け、それまでどちらかといえば独特な持味はあるものの、手堅いだけとされていた仁左衛門の演技に変化がおとずれる。仁左衛門の芸は、驚くべきことながら七十代の後半から八十代に至って飛躍的に深化し、一躍、名優の列に加えられることになった。最晩年の滋味あふれる品格高い演技を賞賛する者は今でも少なくない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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