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2011.07.12
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カテゴリ:海外一人旅
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コモ湖のエステ荘の写真はこちら
[http://blogs.yahoo.co.jp/kawachikakekomian/4899890.html 模型飛行機さん]、[http://blogs.yahoo.co.jp/sayuri2525maria みみさん]がアップされている

小出先生[http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/05/mainichi-jul-4/ 田中正造は私がもっとも敬愛する人]や

[http://ameblo.jp/sataka/entry-10926571217.html 佐高信原発文化人50人斬り]

気になっています。

私も{{{足尾銅山の鉱毒と闘った 田中正造と当時の渡良瀬村の人々}}} を尊敬しています。

今、水俣病、この足尾鉱毒事件も原発事故で再認識されているのではないでしょうか。

朝日夕刊の{{{「水俣は問いかける」(先日は尊敬する澤地久枝と「苦界浄土」の石牟礼 道子)「ジャーナリスト伝」}}} 、勉強になります。

随分昔に本読んだり、有難いフィールドワークに参加したり,(正造の家、禿山となった山並み、{{{足尾銅山の鉱毒で禿山となったのに、足尾銅山には何も書いてない!}}} 山に植林しているけど。渡良瀬川、秩父事件関係、「原爆の図 丸木美術館」など見学)

[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/31180018.html 三國連太郎の田中正造の映画]ビデオ購入したりしました。

{{{正造の「権力はウソをつく」}}} という言葉が忘れられません。

教育テレビでは{{{小池朝雄}}} (最近なくなったコロンボの声担当されていました)が田中正造役でした。お二人とも適役です。

映画{{{「襤褸の旗』}}}はちょっと物足らなかったですがそれでも映画が出来てよかった!

{{{松下竜一『砦に拠る』は緒形拳さんが映画にしたい}}}といわれていましたがその前にお亡くなりになってしまいました。

[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32475480.html 一人でも動けば世の中変わる伊藤千尋講演会]

息子さんの{{{緒形直人さんは戦場に咲く花・草の乱・郡上一揆}}}など社会的な映画にご出演!

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エステ家の紋章ですね。刺繍花壇でしょうか。

この世の名残にと思って出かけたイタリア庭園巡り、過去の記事を見ると3年ぐらい前から行きたいと言っていました。

風前のともし火のような気分です。

ティボリのエステ荘に行く前に[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32641519.html ハドリアヌスの別荘]に行きました。
その写真は前にちょっとご覧頂いたので、先にコモ湖のエステ荘をご紹介します。

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エステ荘入り口の薔薇はもう、終わり、残念。

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ここはレストランに入るか泊ましか見学できません。
イギリスの[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/24036262.html バーンズリーハウス]と同じです。

チャールズ皇太子の園芸の先生のお庭ですが、私はアフタヌーンティを頂いて見学、そのときはマナーハウスに泊まるなどとは考えもしませんでした。
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今回もエステ荘に泊まるなんて大それた事を考えていたわけではないのです。

ミラノから電車に乗りコモ湖へ向かいました。もう珍しい食堂車でくつろいでいたら絶景の連続で、気がついたらスイス領(苦笑)あわてて引き返しコモ湖へ、ドロミテも行く事出来なかったし‥

冷たい雨が降っていて、降りた駅は街のはずれ、私鉄の駅はコモ湖沿岸に近いのですが。
タクシーが並んでいたのでついついエステ荘ヘ。

つく頃には天気になってきました。

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外国でタクシーってなかなかないときがあるのです。

イギリスの湖水地方に行ったときも駅に降りたらあっという間に人影もなくなりました。
タクシーが一台あったので、乗り込んだら、日本語のホテル案内が置いてあったのでそこで泊まりました。
可愛いホテルで食事も美味しかったです。でもやはりシャワーしかありませんでした。

[http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/32647184.html ビィッラデステのあじさい]

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コモ湖(Lago di Como)、またはラーリオ湖(Lario)はイタリアのロンバルディアにあるイタリアで3番目に広い湖。深い所では410メートルもヨーロッパで一番深い。

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概要 [編集]ヴァルテッリーナ渓谷を流れてきたアッダ川からの流れを主にしている。 形は逆Y字形に分岐していて、東南部分は湖畔にレッコが有る事からレッコ湖と呼ぶ。 レッコ湖の部分から再びアッダ川が流れ出ている。ローマ帝国の皇帝やユリウス・カエサルが保養のために訪れたと言われている。現代でもヨーロッパきっての避暑地として知られ、湖畔にはヨーロッパの各王室や富豪等が建てた豪奢な別荘が立ち並んでいる。湖のほぼ中央に位置する半島にはベッラージョと呼ばれる村があり、湖畔には多くのホテルが軒を連ねている。G.H. VILLA SERBELLONIという5つ星の最高級ホテルも存在する。近年では、中近東からイタリアに密入国した者がスイスへ密出国するための中継地になっているようである。wikiより

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船上から見たエステ荘

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女王様が泊まる別館

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メインガーデンのカスケードや、ホテル内部は次回です。

足尾鉱毒事件は
足尾銅山の精錬時の燃料による排煙や、精製時に発生する鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)、排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオンなどの金属イオン)は、付近の環境に多大な被害をもたらすこととなる
鉱毒による被害はまず、1878年と1885年に、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。1885年10月31日、下野新聞が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。

被害の拡大 [編集]
次に、渡良瀬川から取水する田園や、洪水後、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出した。これに怒った農民らが数度に渡り蜂起した。田中正造はこのときの農民運動の中心人物として有名である。なお、この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、江戸川を経由し行徳方面、利根川を経由し霞ヶ浦方面まで拡大した。田畑への被害は、特に1890年8月と1896年7月21日、8月17日、9月8日の3度の大洪水で顕著となった。

1892年の古在由直らによる調査結果によれば、鉱毒の主成分は銅の化合物、亜酸化鉄、硫酸。

1901年には、足尾町に隣接する松木村が煙害のために廃村となった。このほか、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村もこれに前後して同様に廃村となった。

対策の節で述べる工事が1897年から1927年にかけて行われると、表だった鉱毒被害は減少した。しかし、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなかった。他の地域と異なり、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県山田郡毛里田村(現太田市毛里田)とその周辺では、大正期以降、逆に鉱毒被害が増加したと言われる。1971年には毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され出荷が停止された。古河鉱業はカドミウム被害は認めていないが、群馬県がこれを断定した。

1899年の群馬栃木両県鉱毒事務所によると、鉱毒による死者・死産は推計で1064人。これは、鉱毒被害地の死者数から出生数を単純に減じたものである。松本隆海は、すべてが鉱毒が原因だとはいえないかもしれないが、当時の日本は出生数のほうが多いにもかかわらず、死者数のほうが多いのは、鉱毒に関連があるとしている(実際には、鉱毒が原因で貧困となり、栄養状態が悪化して死亡した者が多く含まれていると考えられるが、田中正造や松本はこれらも鉱毒による死者とすべきだとしている)。
また、元谷中村村民の島田宗三は、自身の父と祖父は、鉱毒水を飲んで胃を冒されて死亡した、と主張している。Wikiより

谷中村村民は強制移住させられ、最後まで抵抗した住民の家屋は破壊された。
今に通じる話です。

{{{城山三郎「辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件」(1962年)

林竹二「田中正造の生涯」

井上幸治「秩父事件」自由民権期の農民蜂起

松下竜一「砦に拠る」ただ一人で国家と拮抗し、ついに屈することなかった蜂ノ巣城主室原知幸

井出孫六「秩父困民党群像」

大河ドラマ菅原文太・加藤剛主演の 「獅子の時代」}}}





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Last updated  2011.07.12 21:51:10
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