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ソチのオリンピックが終わらないと落ち着きませんね。 と言っても、ライブは夜中から朝方にかけて行われますので、それにはお付き合いできず、結果をどきどきしながら朝のニュースで見ているところです。 テレビ中継を見ることが出来ないのは、何も夜中だけのせいではないのですけどね。 自分が見ていると、良くない結果になりそうな気がするからなのですよ。 本当は全く関係ないのですけどね。
この数日間での結果から、ジャンプでは葛西選手がオリンピック7回目にして悲願の銀メダルを、そして団体では4人の絆で見事に銅メダルを獲得してくれました。 長野から16年もかかった日本の団体のメダルでしたが、それぞれが身体に事情を抱えての今大会だったようですね。 皆さんに「おめでとう!」「ありがとう!」と言いたいですね。
間もなく、女子のフィギュアも始まりますが、メダルを意識せずに、ともかく練習してきたことを全て出し切れるように頑張って欲しいと願っています。
----------- 忙しい毎日を送っているりえばぁですが、いつもの冬場の病気が出て来てしまいました。 それは「編み物したい病」です。 で、休みの今日は今朝から編み始めているところです。
りえばぁは気が多くて、多趣味の人です。 若い時からあれこれ欲張ってやりながら人生を過ごして来ました。 そのあれこれの中で、子どものころからごく自然に行って来たのがこの「手編み」です。 今はユニクロにでも行けば、安くて暖かく、また軽くて丈夫なフリース衣類が簡単に買えますが、昔は毛糸のセーターがあたたかい衣類の一番手でした。
りえばぁの子供時代の秋田は、外は雪が多かったため、大人はみんな家の中で手仕事をして過ごしていました。 刺し子認定技師の母は冬場の内職として、浅黄の木綿地一反に自分で図案を引いて、白い木綿の糸で細かく丹念に縫っていました。その姿は今でもはっきりと思い出されます。 りえばぁには12歳上の姉がいまして、その姉が洋裁、和裁、編み物と何でも上手で、りえばぁも学校から帰ったらその母や姉に習いながら一緒に時を過ごしていました。
その手作り生活の中で一番多くしていたのは手編みだったかと思います。 手軽に出来たからでしょうが、その時からのが今でも趣味として自分の生活の中で残っています。 ちょっと昔は、一冬に家族のセーターを1枚ずつ編み、そのほかに“お世話になったあの人へ!”と言う風に、親せきや知人、友人への分を編み、その枚数は10枚以上もという年もありました。 今ではせいぜい1~2枚というところですが、今年の冬はまだ1枚も編んでいませんでした。 もう2月も半ばになりましたので、今年は1枚も編まないで手編みの季節は終わってしまうかな?と思っていたのですが、テレビで見る関東の雪の様子が編み物をしたい気分にさせられたという感じで、今初めているところです。
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