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昨日(23日)は、お知らせさせて頂いた通り、火野正平のNHK番組「心の旅」の放送で我が町のそれもりえばぁが住む「青木地区」からの放送でした。 朝は15分、夜7時からは30分間と拡大番組になっていて、それに期待して朝は予告的な感じで見ていました。 写る景色、写る景色が毎日のそれ! 夜はAさんや息子と一緒に、「そうや、そうや!」「あの家はだれそれの家、あそこを曲がればどこそこ!」などと、毎日見ている景色のはずが、画面ではそれぞれの目に懐古の気持ちを持たせるもののようでした。 変なものですね。 その場所は町への行き帰りに通る場所でもあります。 今日、その場所を通りましたので、ここかと思われるところで車を止めて見ました。 ここ、コンクリートの畦に座って手紙を読んでいましたね。
そして、この景色を火野さんはじめご一行さんが見て行った景色ですね。
さて、この日は火曜日。 本来は夕方からのスポーツ少年団、その後の書道教室のために 仕事も入れていない日にしていました。 けれど、その二つも今日はお休みさせてもらいました。 りえばぁは定年までTという紡績会社の社員でした。 そちらは本社が大阪にあり、りえばぁの会社は工場として糸や布を生産していました。 その昔、そちらに織布部門の部長として来られていた方が会社の社長になっておられ、9年間という長い期間会社を運営されてこられました。 この4月にその席を退任され、会長職に就かれたことで少し自由になり、かねてからの念願だったという来町が果たされることになったということ。 そこで、当時部長の配下にいた方や私たち事務所勤めの数人を集められ、会食しましょうと1か月以上も前から計画されお誘いを受けていました。 生産現場の事は事務関係にいたりえばぁにはわかりませんが、テニスを始めたのも、この方が起こしたテニス教室がきっかけでしたし、当時工場繁栄のために尽くしてこられ、今は雲の上の人になったとはいえ、工場の食堂で同じ釜の飯を食った人。 尊重と尊敬の念で、 誘われるままその席に参加させてもらいました。 就任されていた社長時代は 、紡績産業の危ない時期に加え、見通しがついてあとひと踏ん張りのころに起きた東北地震などで、危機は続いたとのこと。
「帰来の冷静な判断力で見事に乗り切られて、おかげでもう会社は大丈夫!」と一緒に来られた方や、後で参加された偉い方が話しておられました。 社長を退いた4月からはNTTの会長と共に、関西経済界の副会長職に就かれたとのこと。 りえばぁ、テーブルの一番端でみなさんの話を聞きながら、ときどき会話にも参加させてもらっていました。 会食の場所は、工場の昔からのご贔屓のお寿司やさんの二階でした。 こちらの経費はすべて会長さん持ち。 ご招待するはずの私たちが反対にご招待された形になり恐縮至極と言った感じでしたが、それはともかくとして、美味しい、楽しいひと時を過ごさせてもらいました。 ほたるいかの刺身
この刺身の器は 氷でできた舟でした。こちらに盛られた刺身はずっと新鮮で “きときと”でしたよ。
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