快楽の種類。
晴れ。最近日記をサボっていた。いや、言い訳みたいだが本当に忙しいのだ。今週は24時前に帰れたことがなかった。そして、今日は徹夜である。一昨日は目眩がし、昨日は鼻血が出てきた。今日は目が真っ赤である。テレビと出版業界で働いた私にとって、今まで、こんな上司や同僚を何人も見てきた。「何がそこまでさせるんだろう、自分はああはなりたくないなあ~」なんて思ったものだ。まるで人生=仕事みたいなのが、カッコ悪く見えていた。じゃあ、何で自分は今そうなっているのか。ただ目の前には、ここから逃げ出すか逃げ出さないかの選択肢しかなく、そこで逃げると「自分が気持ち悪い」からやっているのだ。かといって逃げ出さないのが気持ちいいわけではないし、うまくいかなかったら気持ち悪いんだろうけど、それに比べて結果も出ないうちから途中でやめるのは、最高に気持ち悪い。この単なる自分への意地が、寝不足→体調不良と導く。でも、そういう「マゾ的な発想」には、それなりに自分に酔っている場合があるのも否めない。自分を痛めつけて、「がんばってる自分」に満足しているのだ。そこに自分の価値観を見出す場合も少なくない。そして、そういう習性は、一旦身に付くとなかなか直らないモノなのである。その生態を探ると、このテの人間には、食や遊びといった嗜好的なものに関心がなくなっていく傾向があるのだ。そして、私もすこぶるメンドーになってきていることがある。具体的には、毎週二度は銭湯に通い、サウナで汗をかくという行為や、土日は自炊して野菜を食べるようにする行為などがもう本当にどうでもいい行為なのだ。24時30分に帰宅、シャワー、寝る。以上。ってな生活が続いている。それ以外に何も興味が湧かないのだ。なんとらしくない!と思われそうだが、遊び・食・旅・温泉!みたいな快楽への興味がこれほどまでになくなるということが、自分にもあり得るのだなあと驚いてしまった。ある「マゾ的な発想」人間に、「そんな遊びでの快楽は薄っぺらいものなんだよ。人間、努力や苦労の先に最高の快楽があるんだ。オレはそういうデッカイのが欲しいんだよ。」と語られたことがあった。快楽人間の私を批判して言ったその言葉に、ムムッ・・・と答えに詰まった。確かに、手っ取り早い快楽はちょっと動けば簡単に手に入る。しかも、マスコミ業界というのは、「自分の身を削るからこそ人に感動を与えられる」的な要素があり、それがメディアを通じて人に伝えられたときの快感は・・・ほんとにスゴイものがあるのだ。それを一度知ってしまったら、自分の自己満足範囲での快楽は、二の次になるんだとうというのも分かる。その影には、やはり、日夜「マゾ的な発想」で働くという行為があるのだ。う~ん、そこまでとことんやってみることに私はあこがれてしまったのかもしれない。現実は目の前の原稿の束。さあ、ぼちぼちやらねば、夜が明ける・・・。