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カテゴリ:メディア鑑賞★本★映画★テレビ★その他
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どうにもないことを どうにかするには 手段を選んでいる暇はない 「 羅生門 」 を書いたのは、芥川龍之介 23歳の時の作品 揺れ動く人間の心の危うさを丹念に描いている いくつもの死体 そこに老婆がいた 老婆は女の死体から一本ずつ髪の毛を抜き出す その老婆を見ていると 恐怖が無くなって、憎悪が湧いてきた 下人は、逃げる老婆を押し倒して聞く 何をしておったのだ カツラを作るため さらに、飢え死にしないためには悪いことでもしていい という老婆の言葉に刺激を受ける 場面に応じて、視点を変えていく書き手 老婆の話を聞いているうちに、下人のなかで何かが崩れて 悪への道を歩み出します 老婆の着物をはぎ取った 下人は京都の町へ強盗を働くために急ぎ足であった 下人の行方は誰もしらない(終わりのくくり) ●●芥川龍之介●● 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 文学賞 作家 詩人・小説家 その他作家 芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家。号、澄江堂主人、俳号、我鬼。芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - 1981年10月28日)は、日本の俳優で芥川龍之介の長男。次弟・多加志は第二次世界大戦で戦死、末弟・也寸志は作曲家。芥川龍之介には3人の子供がいた。 芥川の作品の多くは短編で、『芋粥』『藪の中』『地獄変』『歯車』など、『今昔物語』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。『蜘蛛の糸』『杜子春』など、童話も書いた。 1927年7月24日未明、友人にあてた遺書に「ただぼんやりした不安」との理由を残し、田端の自室で雨の降りしきるなか服毒自殺。35歳という若すぎる死であった。使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた、同じ漱石門下で親友の内田百聞によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。のちに、芥川の業績を記念して芥川賞が設けられた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 芥川龍之介といえば日本を代表する作家。 彼の本は学校の教科書を通して以外の世界では 滅多に触れたことはなかった。 昔の物書きにありがちな、どこか繊細で物憂い そんな雰囲気が漂う男に感じていただけだった。 昔、なんとなく触れた本を 改めて手にとってみるのも また違った趣を感じ取ったり、今度は深読みをしてみたり あの時よりは成長した自分の視点で読み直してみることができて 味わい深いのではないでしょうか。 ●皆さんは、古典的文学はお好きですか? 現代小説も面白いですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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