|
カテゴリ:凛と生きる
不思議なご縁が繋がって発行された小冊子、
【あれがあったからこそ】 今回編集・印刷していただいた、白猫ホームズさんこと花牟禮さんと私は、 実はまだ一度もお会いしたことないし、電話でお話したことさえもないんです。 ゆとりをさんこと、近江さんを介してご縁をいただき、 私の講演CDを購入していただいてからの繋がりでした。 今回の小冊子の発行に際してもメールのやり取りでしか連絡を取っていませんでした。。。 とても不思議なんですが、でも今回の小冊子の発行は、どう考えてみても縁、 しかも、この3次元的なご縁を超えた、 つまりは時空を越えた縁での結びつきがあったからこそとしか思えないんです。。。 今回の小冊子 【あれがあったからこそ】 の最初のページにはこんな言葉が書いてありました。 謝辞 驚異的な頑張りで死の淵から立ち上がった ゆとりをさん こと 近江哲代さん。 この講演録が存在するのは、貴女のおかげです。 貴女と出会えたこと、 そして貴女との出会いを演出した 大いなる神に感謝します。 白猫ホームズこと 花牟禮○○。 誰か一人だけの力でもないし、でも誰か一人の力がかけてしまってもできなかった小冊子の発行。 それは、私自身の話自体はいわば、そのキッカケに過ぎなかったこと、 そしてそんな自分の話ももしかしたら何かの、誰かのお役に立ててるのかな??? そんなことを考えさせられる日々です。 ゆとりをさんとの出会いも、今となってしまえば、 時空を越えた、【よっぽどのご縁】以外のなにものでもありません。 そしてこうして、今日、この文章を読んでいただいている皆さんとのご縁も もしかしたら時空を越えた縁なのかもしれないなぁ。。。 そう思うのです。 死の淵から立ち上がった ゆとりをさんとの再会した時の日記が、 タカノエイサクさんの案内で見つかりました。 この文章を読んだ時、そして小冊子の 最初のページの 謝辞を読んだ時、 私は、より一層、自分自身の魂を、今生のうちに出来る限り磨いていかないといけないんだなぁ。。。 としみじみ実感しました。 いろんな人の支えの中で、生かされていていながら、時折傲慢になってしまう自分自身を 振り返るよい機会を頂きましたことを、心からお礼申し上げます。 感謝 以下、前世での日記です 【言葉の重み】 仙台空港に到着した私は、預けていた手荷物を受け取るために到着ロビーの前で自分のバックが運ばれてくるのを待っていました。 予定より15分ほど遅れての仙台到着に、迎えに来ているはずのゆとりをさんとあおねさんがきっとその出口の向こうにいてくれてるんだと思って荷物の方と出口の方をチラチラ見ていました。 自分の荷物を見つけて、出口に向おうとしたその瞬間、 私の目に飛び込んできたのは、柱の影から姿を見せている、思い描いていた姿とはあまりにもかけ離れたゆとりをさんの姿でした。 一瞬、自分の足が止まったのです。 私は、ゆとりをさんと一緒に行くはずだった、インド巡礼の旅から帰国して、 本当に神様にお祈りした通りに、意識が戻ったゆとりをさんに対して、 意識が戻っても左半身が麻痺してしまったゆとりをさんに対して、 時に自暴自棄に、電話越しに「どうしてこんなことに。。。」と泣いていたゆとりをさんに対して 言葉で簡単に 【受け容れることだよ】 と言ってきました。 電話でも、メールでも意識がハッキリした昔と全く同じのゆとりをさんに、昔と同じように、全く同じ口調で 【受け容れること】を強要してきたところがありました。 今年の初め、私との電話中に脳内出血になり、左半身が痺れ、言葉も呂律が回らなくなったゆとりをさん。。。 直接、再会するまでに電話で冗談まで言えるようになっていたゆとりをさん。。。 私の目に映った、柱の向こうで杖をついて、やっとのことで立っている、まるで別人のような彼女を見た時に、 私は最初の一歩が出なかった。。。 受け容れることだよ! とアドバイスしていた自分が、目の前の状況を受け容れることが出来ずにいたのです。 救急車で運ばれて、私がインドに経つその日になっても意識が戻っていなかったゆとりをさんは、 私が帰国する直前に、本当に奇跡的に意識が戻られていました。 インドから帰国して、成田空港で携帯電話の電源を約半月ぶりにONにしたその瞬間、留守番電話にゆとりをさんのたどたどしい声で、 「タケチャン、オカエリナサイ。。。」 とメッセージが入っていました。 私は、意識が戻ったゆとりをさんに本当にうれしく思いながらも、次第に、いつもの調子で、時に弱気になるゆとりをさんに、 「悲しんでばかりいても何も始まらないんだから、受け容れていこうよ。。。」 だなんて、簡単にいっていたのです。。。 自分で言っていた言葉、 「受け容れる」 私は、理屈でしか理解してなかったのだろうか。。。 ある時、泣き止んだゆとりをさんは、涙声で私にこう応えました。 「竹ちゃんが、今度仙台に来る時までには、自分の足で立ってみせる!自分の足で空港まで迎えに行ってみせる!!」って。。。 ゆとりをさんは、自分との約束を果たしていました。。。 あの日、その自分の置かれた状況を否定するのではなくて、本当に「はい!」と受け容れた時から、リハビリの先生も驚くくらいのスピードで回復していったそうです。。。 私も、そのことを電話や、メールで聞いていましたから、空港まで迎えに来てくれるということに、そうかぁ。。。そこまで良くなったんだね。。。と思っていたのでした。。。 ところが私の目に映ったゆとりをさんの姿は、私の想像を遥かに超えた状況でした。。。左手は全く硬直してしまい、左足も補助具がはめてあり、顔の左側も麻痺されていて、視界も左は見えなくなってしまっていて。。。 最初の一歩が出なかったとはいえ、ゆとりをさんが杖を使って、2~3歩歩くまでに、私はゆとりをさんの元にたどり着いていました。 「よかった~、生きててよかったぁ。。。たけちゃんと約束したから、だからがんばったんだよ、がんばれたんだよ、諦めなかったんだよ。。。生きててよかったぁ。。。生きることを選択してよかったぁ。。。」 涙ぐみながらゆとりをさんが私に寄りかかってきました。。。 自分は、なんて現実知らずだったんだろう。。。 この人は、ここまでくるのにどんなに自分と闘ってきたんだろう。。。 自分の知ってる言葉は、現実を見ての言葉だったのだろうか。。。 無責任な言葉を吐いてしまっていたのではないだろうか。。。 涙ぐむゆとりをさんと両手で握手しながら、自分の言葉の重みを、ずっしりと感じていました。 そして、私は、しばらくそこから動くことが出来ませんでした。。。(再編集) 感謝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|