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2011.06.22
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カテゴリ:独り言・・

 今日の内容は febの気持ちの整理のために書きました

読まれた方で 辛くなる方もいらっしゃると思うので

最後まで 読んでいただかなくていいです

 

 

 

 

19日に センターの伯母さんが亡くなられました

つまり、 義母さんのお姉さん。。。

70歳は超えられてるけど
今の時代、70歳代でも 亡くなられるには早い年齢ですよね?


今年の2月ごろ 体調を崩されて 診断の結果『癌』
余命は 6か月と宣告されたそう・・・です

後の日々、
入退院しながらの治療、家族との時間

残りの時間、少しでも楽しく 穏やかに過ごせるようにと
心を尽くされたとのこと
家族の方の心情が 手にとるように伝わり 胸が痛かったです 

 

febとこ 父がそうだったから・・・

 


こんな時  

痛みを取るか  延命のための治療を優先させるか  は
家族の判断に任されます

  

痛みを取ることを優先すれば 確実に終わりが早まります
少しでも 長く生きていて欲しいと願えば  痛みに耐えなければならなくなります

 

家族としては 本当に辛い選択です


 

febとこ父の場合

肺がんの中でも 腺がんと言う死亡率が高い癌でしたし
分かった時には 手の施しようがない状態で
すぐに家族が呼ばれ 余命3か月の宣告と治療についての選択を迫られました


febは 母からの電話でそのことを聞かされましたが
実際に医者から 説明を聞いた母と弟の衝撃は 相当のものだったと思います

 

癌治療のためには 本人への告知が重要だそうで
父には 癌だけど 治療をすれば大丈夫だと告げたそうです

そして 入院を勧めた母に
仕事のことが気になった父は 通院しながらの治療を希望したそうです


通院して 抗がん剤の点滴を受ける・・・

実際には 抗がん剤を打っても効果はほとんどなく
副作用と食欲不振で 辛かったようです 

 

一番父を苦しめたのは 
息を吸っても吸っても 血中の酸素濃度が上がらず 息苦しいこと

そして、腹水・・お腹、肺のあたりに水が溜まること

ガン性腹膜炎を起こして 水が溜まるのですが
腹水が溜まるから息が辛いのだと 父は思っていたようで
息苦しくてたまらなくなると 入院して腹水を抜いてもらっていました


入院中は チューブを鼻に装着するので
息がだいぶ楽になるし 腹水のことや抗がん剤の副作用のこともあるし
入院していてほしかったのですが

治ると信じていた父は
仕事もあるし 通院しながら治療できるのに・・と 入院を嫌がりました

心細くて家族の見える所 
家にいたかっただけなのかもしれませんが・・



幸いだったのが
癌は 骨にまで浸潤していたらしく
癌による痛みがほとんどなかったこと

癌細胞が脳や脊椎にまで達していたおかげで
本来あるはずの癌による痛みが
癌のおかげでわからなくなっていたことでした


だから 家に帰ることが出来たのかもしれません



 入院すると
退院したら 家族であそこに行こうとか
あのレストランに行こうとか 言っていました

一度も一緒には行けませんでしたけど



何度目かの入院をしたときに はじめて死を意識したようで
自分の墓は  家の見える山の斜面に作ってほしい
こんな形にして 墓石には こんな文字を入れてほしい と言いました


父が生きることを諦めたような気がして
この時が 一番つらかったですね

 

 このころ 家のこと子どものことが気になっていたfebは
週末にしか 父に会いに来れませんでした

食べたいというものも食べられなくなって
来るたびに 細くなっていく身体

苦しくなるたびに 病室に来る医者に
「先生 助けて。 助けて。」と

弱音を吐いたことのない父の言葉に 泣くことしかできませんでした

 

そして 最後の時・・・

母一人が病室で ちょっとトイレに立った時に
父の 母を呼ぶ声・・ 三度

ちょっと待ってよ と答えた母の声が父の耳に届いたかは分かりません



誰も・・・ 父の最期を看取れなかった

でも、 父が最後に発した言葉が母の名前でよかった 
と思います

 


父が亡くなって 早7年・・・
父の余命宣告が ちょうど この時 
思い出さずにはいられませんでした

 febの中ではまだ 最近のことのようで
父が亡くなってからも 父のことで泣けずにいた


でも、昨日の伯母さんのお葬式で
やっと 
あぁ、もうずいぶん前のことなんだなと思うことが出来ました


父との思い出は
辛かったころのことも 全部  思い出として
いつまでも心の中に



 ずっと吹っ切れてなかったんだけど
今日 こうやって文字にしたら
ちょっとだけ 心が軽くなった気がします


最後まで読んでくださった方
febの思い出に付き合ってくださってありがとうございました








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Last updated  2011.06.22 17:01:37
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