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カテゴリ:音楽
数日前の「古楽の楽しみ」(NHK-FM)で、ヴィヴァルディやA. マルチェッロといったイタリアの作曲家による合奏協奏曲をバッハが鍵盤楽器用に編曲した作品が流れていました。
ウェブ上の番組表を眺めると、「ドイツ・バロックのオルガン音楽-(4)」という標題の下、「『協奏曲 ○○調 BWV○○○』バッハ作曲」と、まるでバッハのオリジナル作品のような表記が目につきます。 もちろん、番組解説者の磯山先生は、曲の紹介の中でこれらが元ネタありのアレンジものであることを説明されていましたが、全体の雰囲気としては「バッハが編曲したことに価値がある」というような気配が漂う番組の作りでした。 亭主はこの番組を聴きながら2つのことを考えましたが、今日はこういった「鍵盤楽器へのアレンジ」作品が持つ意味について常々考えていることを少々。 鍵盤楽器にもいろいろありますが、18世紀以前の代表的なそれであるハープシコードやクラヴィコードといった楽器は、現代のピアノに比べれば遥かに軽量で、特にクラヴィコードは独りで楽に持ち運び可能なほどでした。(未音亭のハープシコードも、購入当時は普通のワンボックスカーに積まれて到着し、大人二人でラクラクと玄関から運び込まれました。) 一方、ピアノについて言えば、確かに可搬性という意味では前二者に劣りますが、その分(19世紀以降に)爆発的と言ってもいいくらい普及したので、「どこにでもある」楽器でした。 オルガンはというと、一部ポータブルなものもありましたが、基本的には教会の建物の一部という造作なので動かせません。ところが、社会の構成員全員がキリスト教徒であるヨーロッパでは、教会は生活に密着した場であり、日常的に足を運ぶ場所でした。 要するに、西洋人にとって鍵盤楽器こそは音楽の歴史を通して常に身近な「音楽再生装置」であり、管弦楽曲をそれらの鍵盤楽器用にアレンジする第一の目的は、今日におけるレコードと同じく、流行最先端の音楽を聴きたいという(編曲者自身も含めた)多数の人々の要求に応えるためだったのではないでしょうか? 冒頭のバッハによる編曲についても、当時流行していたヴィヴァルディなどのイタリアの音楽家の作品を、お抱えの楽団がいる宮廷以外の場で音になったものを聴くすべはほとんどなく、いわばその「代用品」として身近な楽器であるオルガン用にバッハが編曲して、教会で聴衆に供したと推測されます。(ハープシコードはオルガンの代用品としても機能していたことが知られていますので、この問題について両者を区別することにはあまり意味がないでしょう。) このような推測が19世紀以降についても当てはまると考えれば、例えばリストがなぜあれほど熱心にベートーヴェンの交響曲等をピアノ用に編曲したのかも分かる気がします。当時台頭して来た市民階級といえども、自前で管弦楽団をこしらえて好きな時に好きな音楽の演奏を聴く、などという贅沢を許されたものはほとんどいなかったでしょう。ところがピアノの上でなら(弾けさえすれば)いつでもそれが可能なわけです。 これは、西洋音楽において「古典」という概念が芽生えてくることとも関係していると思われます。 バッハは自分がヨーロッパでは(地理的にも音楽的にも)辺境に属することをよく自覚しており、その分熱心に当時の音楽の中心地だったイタリアの音楽を学んだと言われています。オルガンへの編曲作品も、「勉強熱心」といったバッハの人格を賛美する文脈で語られることが多いように見受けられますが、亭主にしてみれば「ひいきの引き倒し」のようにも見えて、やや滑稽ですらあります。単に勉強のためであれば、わざわざオルガン用に編曲するまでもないでしょう。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月24日 14時19分56秒
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