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2023年05月22日
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カテゴリ:音楽
先週末、このところ弱っていた母が他界し、急遽福岡市の実家に戻っていました。享年92、眠るが如き大往生だったとのこと。

昭和一桁生まれ、農家の四人兄弟姉妹の三番目だった彼女は、その当時女性が就くことができる数少ない職業の一つだった看護師の道を選びました。もちろん、当時も今も看護師の経済的な立場は弱く(コロナ禍でも随分と話題になりました)、とてもそれだけで真に「自立」するのは困難なことだったと想像されます。が、結婚後も(途中何度か中断はあったものの)、定年まで現役の看護師として働いていた理由は、単に家計を助けるためだけではなかったと思われます(実際、この件で亡父とはよく衝突していたことが思い出されます)。

上記のような背景もあってか、彼女は子供の早期教育にも熱心だったらしく、亭主は幼稚園に上がった頃に近所のヤマハ音楽教室に連れていかれることに。当時の様子はよく覚えていませんが、まもなく子供部屋の片隅にヤマハの「エレクトーン」(電子オルガン:調べたところL-2というモデルらしい)が出現。亭主にしてみると、音楽を習ったというよりはこの新しく大きなオモチャとよく遊んだ、という記憶しかありませんが、これが音楽への入り口だったことは確かです。



(↑ネット上にあった同型機の写真)

一方で、どんな習い事もそうですが、特に子供にとっては、それが「楽しい」という感情をもたらさない限り、親がどれほど宥めすかしても長続きすることはありません。亭主も何かを強制された、という記憶はないので、多分自然に「音遊び〜音楽」が好きになったものと想像します。

ちなみに、ヤマハのエレクトーンが普及し始めた1960年代は日本の高度成長期真っ只中。巷ではカラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として宣伝されていましたが、我が家ではまもなく電子オルガンに代わってアップライトピアノ(これももちろんヤマハ製)が登場。実はこれ、小学校に上がった妹のためのもので、亭主は彼女をピアノの先生宅に送迎する役回りでした。が、レッスンの間中待っているだけなのもつまらないと直訴し、こちらもピアノを習い始めることに。(その当時、ピアノといえば女子の習い事という典型的なジェンダー・ステロタイプがあり、亡母も亭主がそのような希望を持っているとは想像できなかったかも?)

今思い返してみると、やはり当時のエレクトーンは楽器として物足りない(音色がフワフワしていて、単音では強弱もつけられない、など)と感じられ、表現力ではるかに上回るピアノを目の前にして、亭主もそちらに強く引かれるようになったのでしょう。

もちろん、オトナになった今では、どんなにチャチに見える楽器も、弾き手次第でいかようにも素晴らしい表現が可能であることは容易に理解できます。練達の演奏家にとって、楽器の違いとは表現への抵抗の強弱の違いにすぎない、とはカークパトリックの至言。

いずれにせよ、音楽への扉としての電子鍵盤楽器やピアノの役割は今も昔も変わらないものです。その扉へと連れていってくれた亡き母に、今更ながら感謝する次第です。(合掌)









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最終更新日  2023年05月22日 21時26分12秒
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