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2024年01月08日
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カテゴリ:音楽
正月早々いきなりの大地震と飛行機事故で、思いっきり往復ビンタを喰らったような新年が明けて、はや1週間が経ちました。

この週末の関東は典型的な冬晴れとなり、南面するリビングルームの日溜りでネコのようにヌクヌク。窓の外ではすっかり葉を落とした木々の枝が寒風で揺れるのをボーっと眺めながら、(地震の被災者の困難に思いを馳せつつも)ようやく正月らしいのんびりした気分を味わえる心境を取り戻しつつあります。

それにしてもヨリによって元日に大地震、翌2日には羽田空港での大事故と、自然災害や事故には盆も正月もなく、人間の都合には一切お構い無しに突然襲いかかって来るものだ、という教訓を突きつけます。(まさに「板子一枚下は地獄」です。)というわけで、年始早々思いもかけず「恐怖」という強い感情を味わうことになった亭主、昨年末に読んだスピノザの話に否応なく引き戻されてしまい、國分功一郎氏の本をまた手に取ることに。

ちなみに「コナトゥス」についてはウィキペディアに秀逸な記事があるのを発見するとともに、その訳として「元気」がピタっと来ることに思い至り、一人悦に入っている亭主ですが、いずれにせよこれを機に、今年は「感情」をキーワードにして世の中の諸事を眺め直す年になるかも。

   *     *     *     *     *     *

ところで正月二日目、普段は某所で単身生活をしている家人が使える古道具があるかもしれないということで、暇つぶしを兼ねて一家で千葉県の西端にある連れ合いの旧実家を訪ねることに。あるじが居なくなって5年余りが経過し、季節柄冷え切っている家の中はまるでタイムカプセルのよう。少しづつ片付けは進んでいるものの、数多の昭和レトロな家財・調度品が始末されるのを待っている状態です。

中でも目を引くのがリビングに並んで鎮座する2台のアップライトピアノで、ワインレッド(臙脂色)の1台は連れ合いが小学生の頃に(当時北九州にあった実家で)弾いていたもの。もう1台は当人が大学入学で上京した際に別宅用として入れたものとのこと。(その後実家は現在の地に移り、このピアノも引き取られて2台揃い踏みの状態に。)処分するにはピアノの型番などの情報が必要になるとのことで、この機会に恐る恐る天板の蓋を開けてみることになりました。

まず臙脂色の方、筐体上部を覆っていたピアノカバーを外すと、正面右側に「YAMAHA」のブランド・ロゴが現れます。このロゴ、今のアップライトピアノでは鍵盤の蓋の内側にしかないので、これだけでも年代を感じさせます。さらに天板を開けると、弦を張った鋳鉄フレームには「NO.U1 NIPPON GAKKI S.K.K.」という浮き彫りが見えます。現在の「ヤマハ株式会社」の前の社名が「日本楽器製造株式会社」というのは亭主も知っていましたが(社名変更は1987年)、これまで「ニホンガッキ…」と読むものとばかり思っていたので内心で舌をペロリ。








さらに中を見回すと、古い調律記録が残っているのを発見。出荷に関わる諸作業の日付が36年4月26日とあることから、昭和36年(1961年)に購入されたことがわかります。製造されたのはこれより前、およそ63年も経過している昭和レトロなピアノと知れます。調律記録によると、最後に調律されたのが昭和46年とあり、おそらく持ち主が小学校時代の終わり頃に対応しているとのこと。その後は弾かれなくなったので調律もされなくなり、ほぼ半世紀前の状態を封印していた(?)ということになります。




型番の欄にはU1Dとあるので調べてみると、末尾のDは本体の色=マホガニーを表しているようです。(当時の家庭用ピアノは調度品の意味合いも強く、こういう和箪笥のような色に人気があった?)製造番号がシリアル番号だとすると、当時ヤマハで15万台目ぐらいに作られたピアノでしょうか。U1Dは1959年から1965年まで製造されていたモデルだそうです。ヤマハは1965年にアップライト専用の工場を稼働させ、どうやらその際にモデルチェンジを行ったようなので、それ以前のピアノという点でも希少品かもしれません

一方、もう1台の方のフレームには「U3」の浮き彫りとシリアルナンバーの印字があります。印字の先頭にあるHと合わせて型番U3Hで調べたところ、1972年から1980年まで製造されていた最もポピュラーなモデルだったことが判明。シリアル番号は7桁で287万台に達しており、当時累計で300万台近くのピアノを製造していたことが知れます。このピアノが購入された1970年代末といえば、日本国内のピアノ製造がピークを迎えた頃に対応しています(下図)。年間35万台という数もさることながら、そのうち半分強をヤマハが占めていた、というのは今から聞くと驚きの数字でもあります。(ちなみに亭主が20年ほど前に購入したヤマハのC3Lの製造番号は600万台と、こちらもすごい数です。)




さて、家に戻ったところで、これらのピアノにいったいどの程度の値打ちがあるのかネット上で調べてみたところ、驚いたことに還暦をとっくに過ぎたU1Dにも数万円といった買取価格が付いており、中古ピアノとしても結構な値段で売られていました。U3Hに至ってはまだまだ現役、という感じで買取が10万円程度、中古の販売価格は30万円〜40万円もしているのにも驚かされます。

ところで、この10年ぐらい新聞でよく見かけるのが中古ピアノ買取業者の大きな広告です。国内のピアノ市場がどんどん縮小する中で、中古ピアノ業者が元気な理由はなんといっても海外市場の活況、中でも中国の旺盛な需要にあるようです。昨年秋に亡くなった財津一郎さんのテレビCM「ピアノ売ってちょうーだい!電話してちょうーだい!」で有名になったタケモトピアノは年間2万5千台の中古ピアノを捌いている(?)とのこと。

いずれにしても、弾かれなくなったピアノが再生されて、リーズナブルなお値段でリサイクルされることは「三方よし」で、「持続可能な社会」に貢献していると言えるでしょう。









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最終更新日  2024年01月08日 20時40分41秒
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