昭和天皇の即位の礼は京都で行われました。
京都の古家の実家は厳密に言いますと京町屋ではありません。 しかし戦前までに建って一定の条件を満たしている家は京町屋の範疇に入れるらしく、町屋の記録を残す作業の対象となって新たに図面にしたりすることに協力しています。昨日も、その一環で調査される方が来られ古い書類、写真などをひっくり返していますとこんなものが出て来ました。 父親が昭和天皇の即位の礼(御大典とも大礼とも言う)の警備のボランテイァに参加したらしくその感謝状のようです。昔、祖母が京都で盛大に行われたと言っていましたが詳しいことは全く知りませんでしたのでウイクぺディアで『大礼』を検索すると昭和天皇の大礼について、次の様に書かれていました。昭和天皇の即位の礼・大嘗祭 1928年11月1928年(昭和3年)11月6日、昭和天皇は即位の礼を執り行う為、宮城を出発し、京都御所へ向かった。京都へ向かう天皇の行列は2名の陸軍大尉を先頭に賢所の神鏡を奉安した御羽車、昭和天皇の乗る6頭立て馬車・皇后の乗る4頭立て馬車・皇族代表・内大臣(牧野伸顕)・内閣総理大臣(田中義一)の馬車と続いた。全長600メートルにも及ぶこの行列は、1分間に進む速度が86メートルと決められていた。11月10日、即位の礼当日の参列者は勲一等以上の者665名、外国使節92名他、2,000名以上の参列者があり、式典では内閣総理大臣・田中義一が万歳三唱した。天皇は紫宸殿の儀を終えた後、11月21日に伊勢神宮を親拝し、即位の大礼に係る一連の儀式を終えた旨、奉告し、帰京した。帰京後は宮中晩餐会、夜会などの祝宴の他、観兵式・観艦式等が執り行われた。昭和の大礼の総予算は当時の金額で1968万3637円50銭5厘という。 同じくこんなものが出て来ました。 私が使っていた計算尺です。 この世の中に電卓が登場するまでは、この計算尺とタイガーなど手回し計算機(勿論ソロバンも) で計算するしかなかったのですが・・・・。 誰が考案したのか知りませんが本当に便利でした。計算尺・計算機を使った世代はいつごろまでなのでしょう???