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「寿限無」 ひこさんの一言さん

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2021.11.13
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カテゴリ:人生での悟り
            魂を輝かせながら生きる人と魂を汚しながら生きる人との差は何か?
     ~ 魂は、誰しも備えもっている。それは生体の器だからだ!  ~

 宗教家にあらずも魂の存在は、誰しも認めるところだ。その魂は、命と身体の器で

ある事は論を待たない。

 だが、生き方により、その魂を輝かせながら生きて素晴らしいオーラを発する方々

もあれば、その魂を汚しながら生きる事で修羅の顔つきにまで変化させてしまう方々

も存在する。

 そこで、その相違についてここでは、考察してみよう。

 まず、「魂を輝かせる」と言う事は、「如何なる結果なのか」について語ろう。

魂は、肉体にとって可なり厳しい事に直面しようとも、それが他人を救済する事に結び

付いていれば、魂の光沢を増す事になると言う。つまり、捨身施そのものによる行動

だからだ。そうした行動ができる事は、日頃から他の方々に対する慈愛を含む思いを

馳せていればこその話し。

 一方、魂を汚しながら生きる人々は、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の言葉に

代表される様に他人の幸は、常に後回し。邪魔する人間を最大限排除しながら突き進む。

もともと「今だけ」「金だけ」「自分だけ」との思いは、第二次世界大戦終了後の戦後

食糧難の時、街に放り出された戦争孤児らが、その日の命をつなぐために念頭にあった

思いなのだ。それが、今や利権漁りの輩達を揶揄する事に使われている。

 即ち他人の事には、一切思いを馳せる事もなく、ただ自身を護り・利権を護る事に

専念している行為を揶揄しているわけである。そうした輩達の顔には、必ずそうしたもの

が表出してしまうものである。それは、魂の汚れを意味しているのだ。

 如何にヘチャ顔であろうとも、魂の輝きある方と汚れた魂の持ち主とでは、天と地の

開きが自ずから生じる。

 その典型的な姿には、魂を汚して生きて来た人間の顔は、歪み・光沢を失いながら

眼も濁り世の中に対するうしろめたさが滲み出る。

 一方、魂の光沢を高めて生きて来た方々の目には、慈愛が宿り、顔には穏やかなふくよ

かさが宿るものであり、黙っていても魅力に裏付けられた高貴なオーラを発するものである。

 人間この世に生まれたからには、せめて高貴なオーラを纏って旅立ちたいものである。











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Last updated  2022.01.22 11:27:19
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