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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2024.05.20
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私は、昭和57年4月~昭和62年8月末まで、

東証一部上場「東京スタイル」で、お世話になりました、

とても、厳しい会社でした。
平気で、ビンタで殴る。

そんな会社でした。

今は、アウトですね。
パワハラもありました。


当時の社長
高野義雄氏には、大変お世話になりました。


私の直接の上司は、

常務取締役
磯貝 勝氏でした。


退職する時に

「オマエは、乳酸菌でもあり、ばい菌でもある。」

「いいか、乳酸菌になるように、働けよ。
 そして、転職して 上場したら、俺をパーティーに招待してくれ。」と
退職日の最後の日。
8月31日に言われました。

退職理由は、生まれ故郷である
名古屋に帰省して、名古屋の会社に勤める。

出来れば、一宮市にあった東京テキスタイルと言う
子会社に転籍を希望していましたが、
それが、通らず、転職する。

そんなストリーでした。

でも、本当は、昭和60年の秋ごろに

茨城県にあるロコレディという会社から、
お声がかかったのです。
約20回
面接、面談が

故羽富 正三(ロコレディ創業者)から
声掛けがありました。

私の将来の義父になるとは、夢にも思いませんでした。


月日が流れ、

その後

東京スタイル事件がありました。
マスコミも、騒ぎました。

村上ファンドから、猛烈に叩かれたのです。


当時は、もうすでに
私は、妻と結婚して、

婿養子になっていました。


東京スタイルの本社に
手紙を書いてFAXを流しました。


その前には

磯貝勝常務取締役に

ハガキも書きました。

もちろん、返事など期待していませんでした。



言いたいことも、たくさんありましたが、

封印していました。


すると
ある日突然


企業作家
黒木亮氏から、メールが届いたのです。



会いたいです。
ぜひ、取材に・・・・・・・。


ここから、先は、本をお読みくださいませ。


伊勢丹本店担当の同期も、紹介しました。


私の投影が、ビンタで殴られた。

売れ筋の商品を地方のデパートに納品。

ラルフローレン事件の部分などなどです。

東京スタイルの創業者
住本保吉氏がごはんに味噌汁をかける部分は、

私の先輩から聞いた話しを情報として
提供しました。


時代背景や、登場人物に成り代わって
ぜひぜひ、お読みくださいませ。

堀川利幸は、4人の情報を基に、登場しているようです。






https://www.ibaraki-gyosei.or.jp/kouhou/pdf/250/09sinkijuku.pdf





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最終更新日  2024.05.20 08:18:29
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