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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2024.08.14
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「はとみさんは、なぜ、一部上場の会社を辞めて、

中小零細の小売店に
転職したのですか?」

...
​​​

という質問を先日、受けました。

自己資本比率75%の会社でした。
超優良企業の東京スタイルさんに勤めていました。

(現在は、TSIホーリディングスになりました。)

大学生時代から、まったく、まったく
アパレル業界には、興味は、ありませんでした。
洋服のことを友人たちと話したことは、まったくありませんでした。

就職課で、勧められるままに企業訪問をしました。


東京スタイルさんに、入社してまる3年ごろから、
転職を意識しました。


転職に関して、2年以上悩みました。
(昭和60年~62年春ごろ)

当時、故羽富 正三(しょうぞう)との面接は、20回以上だったと
記憶しております。



では、どうして、「転職」・・・そう思ったのか?

それは、私が、仙台の藤崎百貨店を担当していた時です。
(昭和59年ごろです)

親子連れ、今度、短大を卒業する一人の女性とお母さんが、東京スタイルの

売り場(仙台の藤崎百貨店の2階)に来て、

会社面接のセット・アップ(スーツ)を探していました。

私が、まだ髪の毛がふさふさ時代ですから、




感じがよく感じたのでしょう。

お買い上げ頂くことになりました。



その時に、そのお母さんが、衝撃的なことを私に言ったのです。


「東京と仙台のキャベツの値段が、

違うのに、どうして、同じメーカー、
同じ品番の商品の
洋服が、全国共通の同じ値段なの?」

と聞かれました。




わたしは、「えっ~、」と思わず、言ってしまい、

答えることが出来ませんでした。

出張が終わり、課長にその時のことを報告すると、

「おまえは、バカか?

何故、洋服と食べ物を

一緒に考えるのだ。

一緒にするのではない。」

と言われました。




私は、どうしても、納得できませんでした。

コピー機も、電話料金も、保険料も、何故

日本全国、同じ価格で、販売になるのでしょうか?

物価は、仙台と、東京・・・全然違います。



ガソリンの値段、ネギの値段、

その地域によって、違うのに、どうして、

洋服の値段は、同じなのだろうか?


もう、卸しの仕事に、矛盾を感じてきました。

辞めよう、もう辞めよう、

大企業の営業マンは、歯車のほんの1つのパーツだ。




私でなくても、他の人でも、良いのだ。

紙切れ1枚で、人事異動。

いろいろな人に相談しました。



先に東京スタイルを辞めた同期の営業マンにも、相談しました。

反対も、多かったのも事実です。

親戚は、ほぼ、全員反対。

「茨城みたいな田舎に行って、小売業?

メーカーにいなさい。死んだオヤジさんも、嘆くぞ。

せっかく、一部上場会社に、入って、なぜ、茨城だ?

名古屋へ帰って来い。」と言われました。

当時の故羽富 正三との面接で、「なぜ、メーカーを辞めたいと思う?」

と聴かれ、いろいろなことも、言いましたが、今でも、

覚えているのが、

「仙台に出張に行った時、なぜ、キャベツの値段が、日本全国
値段が違うのに、同じメーカー、同じ品番の洋服の値段が、全国同じ値段か?

このことについて、お客様に聴かれ答えられなかった自分が、情けない

と思いましたが、

羽富 正三さんは、どう思われますか?」と

聴いたのです。

それは、昭和60年の秋か?昭和61年の春だったと記憶していますが、

何せ、28年以上前の話しです。時期は、定かでは、ありません。

でも、今でも、その光景は、覚えています。



「そうですか~、凄い体験をされたのですね。

あなたのような真剣に考える人が、是非わが社で欲しい。

実は、わが社は、将来、あなたが悩んでいることを解決したい店の

品揃えを強化していきたい。

私も、あなたと同じ考えです。洋服の値段が、何故、全国共通の値段が
不思議だ。

メーカーで決めた価格ではなく、

本当に、本当に、本当に
同業他社とは、価値が違う満足価格を

推進する店作りを将来考えている。

オリジナル商品の開発も、考えている。

でも、わが社には、まだそのノウハウが無い。

是非、力を貸して欲しい。」と言われたのを覚えています。




私は、悩みました。悩みました。悩みました。

この社長故正三が、将来の私に義父になるとは、夢にも、思いませんでした。

今、転職を考えている人たちに言いたいです。


今勤めている会社の悪口を言うような人は、

転職しても、成功の確率は、低いと思います。

でも、長く同じ会社にいれば、良いという意味ではありません。

もう、会社に、ぶら下がる考えや、現状維持や、休まず、遅れず、

・・・このような考えは、通用はしないと思います。



もし、自分(あなた)が、社長としたら、

今の自分(あなた)を
採用しますか?

自分で、採点してみろ。

・・と東京スタイルの磯貝常務取締役(当時)に
よく、言われました。




いつまでも、会社にぶら下がるな。定年まで、いようと思うな。

自分をもっと、高く売れ。

故高野義雄社長にも、新入社員時代に、よく言われた言葉です。





また、東京スタイルの入社式に、

「いいですか?
みなさんは、一部上場の会社に入社された。

でも、最初は、この会社も、小さかった。


この会社を、無借金経営の会社にした。・・・と故高野 義雄社長様から聞きました。



私は、先代の社長の住本さんとは、姻戚関係ではない。

お前達も、社長を狙(ねら)え。」とも言われました。




当時、まだ一人も、東京スタイルには、定年退職者は、いませんでした。

それぐらい、厳しい会社でした。



給料日を忘れる

くらい働きました。

私だけではありません。

ほとんどの同期の営業マンが、給料日の明細をもらって

「あっ~、今日 給料日だ。」と言って、みんなで、笑ったものでした。


営業マン(大学卒)が、72名入社。

1年間に、同期の新入社員が、3分の1辞めました。

3年間で、半分以上辞めました。



そして、お世話になって、5年半。東京スタイルを退職しました。

昭和62年8月末に、
有給休暇(40日)と振休残も、要らない。
・・・・と思って、円満退職しました。



10月2日に亡父親の法事を終えて、10月3日に、軽自動車に乗って、
名古屋を朝4時ごろに出て、茨城県の水海道に、引越ししてきました。




ロコレディという会社に入門することになり、

商売の基本を故羽富 正三から教わることになったのです。

小売業の世界に飛び込んだのです。


もちろん、毎日が、失敗の連続。

悩みました。苦しみました。

でも、自分で決断したので、後悔は、しませんでした。


でも、3回も退職届(ロコレディ)を書いて、

涙を流しながら、
当時の社長故羽富 正三の前で、破りました。

もちろん、独身時代の出来事です。

悩みました。親戚も知人もいない。


仕事が、うまくいかない。
独身の私です。

昔付き合っていた彼女からも、電話がありました。
でも、「また、会いたい。」と言われましたが、

丁重に、丁重に、断りました。
なぜか?


今の自分自身に、自信が、持てなかったからです。


でも、創業者

故羽富 正三は、いつも、いつも、親切に丁寧に応対してくれました。

決死、甘い言葉は、ありません。

親切でしたが、商売には、厳しい人でした。

この私が、

後継者になるとは、夢にも思っていませんでした。

姻戚関係でもないのに、

本当に、本当に、本当に、わたしのことを
氣にかけてくれました。


そして、ある日
「商売が、好きか?」と聞かれて、

「好きです。」と答えたら、

「後継者として、やってくれないか?」と言われました。











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最終更新日  2024.08.14 06:50:24
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