カテゴリ:歴史ウォーキング神戸
こんにちわ
前回は生田川についてまとめてみました。 今回は、その生田川の付け替え工事をした加納宗七像がある東遊園地についてアップデートしました。
毎年12月におこなわれる『神戸ルミナリエ』では、この東遊園地のグランドが終点の会場となっていますので、神戸以外にお住まいの方でもルミナリエに来られた方は思い出していただけると思いますが、東遊園地には旧生田川ゆかりのものだけでなく、旧居留地ゆかりのものもあり、いろいろな歴史を伝承していく大切な場所になっているんですねぇ。
ではどうしてこの公園ができたのでしょう・・・・・ また何故東遊園地という名前なんでしょうか? 慶応3年12月7日(1868年1月1日)神戸村に港が開港され、貿易を行うために外国人が移り住むようになり、それに合わせて開発された所が外国人居留地です。 東遊園地は1868年に外国人居留地に住む外国人によって、日本で最初に造られた西洋式運動公園で、外国人居留遊園の名称で開園し、開園当初は外国人専用の公園であったとのことです。 この公園の名称については様々な呼び方がされていたそうですが、1922年に『東遊園地』と呼ばれるようになっており、旧居留地の東にあることがこの名称の由来となっています。 では何故公園ではなく遊園地という名前が付たのでしょう。 開園当時に付いていた『遊園』がそのまま残ったと思われ、「遊園地」といっても今日の日本語での一般的な遊園地の意味とは異なり「公園」と同義で使われているとのことです。 それでは、現在東遊園地内に存在するものを紹介します。 写真の記念碑はA・C・シムの記念碑です。 A・C・シムはスコットランド人でK・R・A・C(神戸レガッタ・アンド・アスレチック倶楽部)の創設者で、今は、懐かしい"ラムネ"の発明者でもあります。 《 A・C・シム記念碑 》
もともとこの東遊園地があった場所は、旧生田川の河川敷で砂地や畑だったようです。 外国人専用の運動公園として開発されてからは、外国人らが、野球、サッカー、ラグビー、ボーリングなどのスポーツを行ったことで、これらのスポーツが日本に広まるきっかけとなったわけです 《 ボーリング発祥の地の碑 》
そういう意味で、神戸はゴルフだけでなく、他にも、マラソン、野球、フットボール、ラグビー、ボクシング、乗馬、スキー、スケートといろんなスポーツの発祥の地でもあるわけですねぇ
そしてもう一つ発祥の地としての碑が東遊園地にあります。 《 近代洋服発祥の地の碑 》
明治2年(1869)英国人ガベル氏が元居留地(現神戸市役所東遊園地附近)一六番館に洋服店を開業したのが神戸に於ける洋服商の始まりです。 1890年には東遊園地内に神戸倶楽部が建てられたことで、外国人の社交場となり外国人居留地はますます華やかに発展していったようです。 神戸倶楽部は1869年(明治2年)設立された社交クラブ"ユニオンクラブ"を前身とし、施設内にはボウリング場やビリヤード場が備わっていたそうです。 東遊園地にアメリカ領事館が建てられることになり、トアロードの最北のトアホテル跡地に移転して新施設には神戸初のスカッシュコートが設置されたそうです。 《 トアロード北端にある現在の神戸外国倶楽部》
この居留地が造られた場所は、当時の神戸の中心地からすると東のはずれにあたり、旧生田川の河川敷で水害の恐れを常に抱えているような場所だったようです。 そのような土地を居留地として祖国のように見事に造り上げ、その居留地の生活の中でこの東遊園地は、ビジネスやスポーツを通しての交流や憩の場として、その当時の外国人にとって非常に重要な役割を果たしていたんだと思いますねぇ。 そして、東遊園地は今『阪神・淡路大震災の慰霊と復興』の場所となっています。 『マリーナ像』 阪神・淡路大震災発生当時の時刻のまま停まってしまった時計を抱える『マリーナ像』があります。阪神・淡路大震災でこの像は倒れ、時計も大震災の当時のままの時刻でとまっていました。 現在、像は修復されていますが震災を忘れないためのモニュメントの一つとして時計は当時の停まったままの状態で保存しているそうです。 三宮に行かれたときには、ちょっと足を延ばして東遊園地に行ってみてくださいね
次回は外国人居留地についてアップしますね。 それではまた お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/01/27 05:22:04 PM
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