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映画デスノート後編
『DEATH NOTE デスノート the Last name』を見てきました。 http://wwws.warnerbros.co.jp/deathnote/ 【ネタバレあり】なのでこれから見る予定の人は読まないで下さい。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ まず、面白かったかどうかで言えば面白かった。 全12巻に及ぶ漫画を映画2本にまとめるという事で Lが死ぬあたりでオチをつけて終わるんだろうなと思っていた。 でも、その場合、L死亡、ライト勝利という結末になるため 原作者の意図と全く違った作品になってしまう。 そこらへんをどうするのか興味があった。 結末から言うと、上記予想は半分当たり。半分ハズレ。 Lが死ぬところでオチをつけるというのは当たっていた。 が、そこからやや強引な展開で原作後半のニアメロ編での結末に近い終わりに持っていった。 映画2本でまとめて、結末も原作に近いところに持ってくには ベストに近い答えだったんじゃないかと思う。 個人的にも原作のヨツバの話や、メロニア編はいまいちで冗長すぎだなと思っていた部分はある。 デスノートの真髄は結局のところLとライトの対決だと思うからだ。 原作での印象深かったシーンを映画2本にしっかりまとめていたし 強引な内容の変更も、よく言えば、無駄を省いたと言えると思う。 リュークら死神のCGもそんなに違和感なかったし 少年漫画の実写映画化で、期待していなかったのに 全体を通して面白いと思えるのは意外だった。 気に入らなかった部分もある。 これは前編の話になるけど、南空なおみの殺し方はおかしかった。 デスノートは他人を巻き込んだ死に方はさせられないはず なのに拳銃を撃たせて他人を殺して自殺した。 いくら、誰に向けて発砲すると書かなくても いくら誰に撃たれて死亡すると書かなくても これは明らかに他人を巻き込む死に方であり 本来あってはならない死に方だった。 後編は、高田に火口の役割をやらせた事。これは特に否定しない。 よくもまあ、強引にそこに持って行ったなと関心したくらいだ。 気に入らなかったのは、Lが自分の名前をノートに書いていたこと。 これはおかしい、原作では火口からノートを捕獲したあと ライトはLが犯罪者等を使い実験しないよう見張るという意味で一緒にいたのではなかったか? もしそうでなくても、Lがノートを使うのを黙って見過ごした捜査本部の人間は無能すぎる。 そしてミサのノートをニセモノにすり替えたという事実。 すり替えたのはまだいい。 おかしいのは偽の番組を流してさも犯罪者達が死んでいったように見せかけたという事。 偽の番組は放送されたのか?それともミサの家だけに流したのか? 偽の番組を流したとしたら、人が死んだというデタラメを報道できるわけがないし ミサは死神の目を持っているのだから、殺したあとに犯罪者の写真を見れば 寿命が見えるか見えないかで生死の判断はつくはず。 ミサの家だけに報道してたとしたら、このご時勢にTVだけで犯罪者報道を見るというのは愚かすぎだし ネットや新聞では見ないのか?という事になる。犯罪者の死亡を確認するのなら その時に顔写真を見る可能性が高いと思う。 どちらにしろ、ミサをキラと断定して、ノートすり替えや偽番組の放送なんて ライトと行動を共にしていたLに出来るわけがない。 ここらへんはとにかく強引すぎだと思った。 もう一つ言えば、Lが自分の名前をノートに書いたあと レムから見ればLの寿命が見えていたのではないか? さらにLはなぜあのタイミングで死ぬフリをしたのか? とにかく、ミサのノートをすり替えておいたというのと 自分の名前をノートに書いたというのは、ライトや捜査本部全員があまりに間抜けすぎるという事だ。 この辺は、無理やり原作の最後に合わせようと無茶しすぎだと思う。 多分、Lが先に自分の名前を書いたので、あとから書かれても死なないという作戦は すごい!うまく考えたぞ!なんて思ってたんじゃないのか。 残念ながら矛盾たっぷりだと思った。 もう1回まとめる ・Lがノートを使える状態にするのはおかしいし。無能すぎ。 ・ミサのノートをすり替えたというのは都合よすぎ。 ・レムから見たらLの寿命があと20日になってる事がわかってたはず。 3番目は致命的じゃない? 以上、修正して再放映するように!m9っ`Д´) 多分、アラを探せばまだまだあるんだろうね。 「デスノート」の教科書 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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僕は原作知らないので、結構よかったなぁ^^。
Lの最後のシーンがよかった。 Lが、実は病気で余命いくばくもない。とかだったら、自分の名前を書き込んだってのも一つの安楽死という意味ではすんなり受け止められたかも。 ていうか、甘いもん食べすぎw (Nov 24, 2006 07:46:16 PM)
●Latenonさん
自分も面白かったんですけどね~ あとから考えたら。あれ?っと思うところがあったとです。 少年漫画の実写化としては良いデキだったと思います。 映画館でパッケージ無しの銀紙だけの板チョコが売ってたのがちょっとうけました。 (Nov 26, 2006 07:00:32 PM)
今更なんですが映画版デスノート、見ました。
凄く納得のいかない点があったのでちょっと誰かにご意見を求めようと思い書き込ませて頂いております。 最後にミサが月に渡したノートは偽物だったんですよね? じゃあ月にリュークの姿は見えないはずなんじゃ・・・。 前に触ってるから、とかいう適当な感じなんですかね? (Jun 17, 2007 07:56:34 PM)
確かに矛盾たっぷり
(Jun 23, 2007 04:04:37 PM)
デスノートでLが自分の寿命を縮めていても死神に見えるのは本来の寿命です。
(Dec 21, 2007 12:40:55 PM)
直訳で死のノートだったら、death notebookでは?
(Dec 21, 2007 12:45:20 PM)
もう一つ言えば、Lが自分の名前をノートに書いたあと
レムから見ればLの寿命が見えていたのではないか? さらにLはなぜあのタイミングで死ぬフリをしたのか? これは、Lが偽者とすり替わっていたからです。 (Feb 7, 2009 07:13:31 PM)
たぶんですけど、死神の目には、
その人間の本来の寿命が見えて、デスノートによって 決められた寿命は見えないのでは? 間違ってたらすいません。 (May 27, 2011 08:31:34 PM)
さらに、偽ノートを持ってきたミサがビルに入ってきて、偽ノートを触ったのに何故かリュークが見えるようになった。
それに、レムのノートでLが死ななかったのならレムも死ななかった筈。ワタリはレムが殺したとしてもミサの寿命に営業はなかったと思う。ミサの寿命に影響があるのはワタリよりもLの方だろうし。 (Apr 12, 2015 06:34:43 PM)
・Lがノートを使える状態にするのはおかしいし。無能すぎ。
→警察・月が使わせないように監視していたのは高田が持っていたノート。Lは秘密裏にミサミサのノートをすり替えておいたので、Lとワタリ以外には知る術がない。高田のノートが持ち出されていない以上、誰もLがノートに名前を書くなど想像しないだろう。月はあくまでLを私的に監視しているため、 Lに月の眼を盗む隙が全くないとは考えにくい。 ・ミサのノートをすり替えたというのは都合よすぎ。 →そもそも原作が監視が甘すぎる。たとえ13日ルールを信じたとしても、ミサミサはキラとして十分疑わしいわけだから、解放後も尾行されていないとは限らない。よってその後のミサミサがノートを掘り返す瞬間もLにバレていると考えてもなんらおかしくない。偽の情報がおざなりだというが、本編でのセリフには「偽のニュース」としかなく、それがどのように報道されたかについては明かされていない。つまりネットのニュースだけで報道したのかもしれず、その際顔写真は載っていないかもしれない。ミサミサの能力では顔写真がないことに不審がることはないだろう。そもそも死ななければ報道されないわけだし、ネットで死亡が報道されればそれでミサミサは満足するだろう。 ・レムから見たらLの寿命があと20日になってる事がわかってたはず。 →デスノートで死を操られた者の寿命が死神の目にどのように映るかは、私の記憶が定かでないが、仮に20日に縮んでいたとしても、ミサミサはまさに今捕まりそうという瞬間に、Lの寿命が縮まったことにレムが気づいたとしてももはや関係ない。気づいていたとして、ミサミサに「Lもう死にそうだから書かんでもええで」と伝えてもそこにワタリがいるわけだから、その行動はミサミサの容疑をさらに強めること以外に効果がない。極め付けにレムがノートを燃やしたためそこにワタリ以外に誰の名前が書いてあったか月は確認できなかった。もしかしたらレムはLがデスノートに自分の名前を書いたことを知っていて Lを今すぐ殺すことはできないと知っていたが、少しでもミサミサを助けるためにワタリの名前だけ書いたかもしれない。そしてなぜLが死んだふりをしたか、これは簡単、だって死んだふりをすれば月が勝利を確信し、ミサミサのデスノートで総一郎が持ち出したノートを回収することは明白であるし、その行動は月がキラである決定的な証拠になるから。 以上記事に述べられていた矛盾点を矛盾ないように考察したわけだが、投稿者は劇中でここまで説明されることを欲するのだろうか?私だったら聞いているだけでイライラしてくると思うのだが。まあ劇中で描かれているのが全てだと思うのは間違いだろう。足りない部分は鑑賞した人が補えばいいのだから。この楽しみは全ての芸術に言えることだろう。 私としてはこの結末を見て、「原作を超えたな」と思わざるをえなかった。 (Oct 15, 2015 02:51:20 AM) |