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2011年03月13日
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私は3週間に一度のカウンセリングの日でかかりつけのクリニックの待合室にいました。
県庁近くの建物の3階です。
ゆっくり大きく揺れだしたので二日前の地震の余震だろうと思ったのですが
どんどん揺れが大きくなり「余震のレベルを超えている」と直感しました。
揺れは数分にわたって続きドライフラワーの花瓶が倒れ停電。
看護士さんたちと一緒に物が倒れないように支えました。

しばらくたって診察室から先生が出てきて「今日は診察できない」
「処方箋は停電が復旧次第すぐ出せるように手配する」というお話でした。
待合室には私のほかに二人の患者さんが待っていたのですが
そのうちの一人は「今日は本当に具合が悪くてどうしても先生に診てもらわないと困る」と
言っていました。でもレセプトも処方箋も出せない以上診察はできません。
それに先生は県の医師会の中でも重鎮で災害援助協定を結んでいる隣県の岩手県から
緊急援助要請が来るはずだからその対応をしないとという話でした。
実際その要請は私がクリニックにいる間に来て地震発生当日の夜には
D-MATという緊急災害医療チームが秋田から岩手に入りました。

揺れが落ち着くまではクリニックにいてもいいということだったので
とにかく余震が収まるまでは皆さん留まることにしたようです。
私はすぐにでも家に帰りたかったのですがやはりすぐに出るのは危険だと思ったのと
「具合が悪い」と言っていた方が動揺していたので少し話し相手になりました。
私自身も患者なので聞き上手ではありませんが話すことで落ち着くこともあるかと思って。
そうこうしているうちに余震も落ち着いてきたのでクリニックを出ました。
地震発生から一時間弱だったでしょうか。

信号は「山王十字路」という交差点以外はすべて消えていました。
既に警察の方がたくさん出て交通整理にあたっていました。
バスが止まりタクシーもつかまらないので家まで2キロちょっとの距離を歩いて帰りました。
吹雪だったのでかなりきつかったです。
通称「新国道」と呼ばれる幹線道路を北上して帰りましたが
車は渋滞していても皆整然と警察の手信号を守って通行していて
混乱している様子はありませんでした。

家に着いてまず水道とガスが生きているか確認。幸いどちらも無事でした。
家の中を確認しましたが倒れたり落ちたりしているものはありませんでした。
汚部屋で散らかっているから倒れようがなかったのかもしれません。

問題は停電です。
うちはファンヒーターとハロゲンヒーターしか暖房手段がないので
停電になると全く暖をとる手段がありません。
懐中電灯とろうそくはあったので灯りは確保できましたがとにかく寒い。
6時過ぎに帰宅した主人とカップめんで夕食を済ませ
(二人ともカップめん好きなので結構買い置きがあったのが幸いしました)
起きていても寒いだけなので7時過ぎには布団に入りました。
私は寒さと疲れと不安と恐怖とラジオから聞こえてくる惨状にガタガタ震えて
ほとんど眠れませんでした。
こんなことを言うと今も不自由な避難生活を送られている方々に申し訳ないのですが
あれほど恐ろしい夜はありませんでした。
目を開けても閉じても全く同じ暗黒の闇。
「ほんの100年前まではこれが当たり前だったのだから」と必死に自分に言い聞かせますが
不安と恐怖は消えません。
主人は布団に入って割とすぐ寝てしまいましたが
本人いわく「細切れにしか眠れなかった」そうです。

朝が来て明るくなって暗闇への恐怖はなくなりましたが
「これから私たちは、日本はどうなってしまうんだろう」と不安は増すばかり。
とにかく食料と生活必需品の確保ができないかスーパーや電気店などを回りました。
停電の中お店の方たちは店内の在庫を手書きレシートで売ってくださったり
単三か単四の電池に限ってではありましたが無料で配布してくださったり
ご自身も被災した中丁寧に対応してくれました。
ここで確保できたお肉と野菜を使って明るいうちに大量の豚汁を作りました。
日が落ちてまたろうそくと懐中電灯だけが頼りの暗闇の、しかも凍えるような寒さの夜が来ます。
日中はあわただしく動いて少し気を紛らわせていましたが
ろうそくの灯りで豚汁の夕食を食べているとどんどん恐怖がよみがえって
「食べなきゃ」と思っても胃が受け付けてくれません。
こんなことは大学で単位を落としそうになった時以来です。
親が死んだ時も食欲は落ちなかったのに。
結局食べきれなかった分は主人に食べてもらいました。
片づけて「またすぐ布団に入らなきゃ、こんなことがあと何日続くんだろう」と
かなり極限状態になった時に電気が復旧しました。
その時の気持ちはとても言葉では言い表せません。
嬉しい、安心、ありがたい、しあわせ。やっぱり足りません。

こうして被災とは言えないほどの小さな災難の27時間は過ぎて行ったのでした。





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Last updated  2011年03月17日 00時30分44秒
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