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カテゴリ:素晴らしい絵画
画家に関するクイズです。
1834年ー1917年 1839年ー1906年 1840年ー1926年 1841年-1919年 1853年ー1890年 1867年ー1947年 ゴッホ Vincent Van Gogh、 モネ Claude Monet、 ボナール Pierre Bonnard、 セザンヌ Paul Cézanne、 ドガ Edgar Degas ルノワール Pierre Auguste Renoir はどの年に当てはまるでしょう。 意外と知らないものなんですよね。 解答は下記の通り。 自分もまた忘れるとは思うのですが。 1834年ー1917年 ドガ Edgar Degas 1839年ー1906年 セザンヌ Paul Cézanne 1840年ー1926年 モネ Claude Monet 1841年-1919年 ルノワール Pierre Auguste Renoir 1853年ー1890年 ゴッホ Vincent Van Gogh 1867年ー1947年 ボナール Pierre Bonnard 印象派時代というのは大体1864年から1883年までの絵画運動だそうです。 日本に憧れた画家と言えば、何と言ってもゴッホ、モネやボナールがいます。 ドガって一番若いと思っていたが、意外にこの5人の中では古株なんですね。 ドガは19世紀のフランスの画家の中でもデッサン力は抜群です。 色彩とデッサン力を同等の魅力で見せる画家は少ないのですが、 ドガはその点がほかの画家と一線をひいているように思えます。 さて長い間、私はセザンヌにはデッサン力はないと思っていました。 しかし南仏の光を浴びた松の木のある道を描いた絵のポスターを 偶然見てその写実力に改めて驚かされました。 セザンヌのアトリエは今でも南仏の大都会エックス Aix-en-Provence 市内から 徒歩で訪問することができます。やはり、北側に大きなガラス窓があり、 大作を運べる工夫がしてありました。 セザンヌは南仏エックスでは大変な英雄扱いです。 どうも、若い時に、セザンヌが物は三角や円錐形やなんかでできているような ことを言っていたらしいという話を聞いて興味が半減してしまってから 好きになれなくて。しかし絵ってもっと神秘的なものだろう、と。 今、南仏に住んでいるので、セザンヌが描いた聖ヴィクトワールの山も たまに見る機会に恵まれるのですが、本物の山を見るまでは 「聖なる勝利の山」は三角の形をした山だろうと思っていたんですが、 本物は結構長く伸びた山でした。ものすごく雄大です。 うーん、そりゃ富山県の剣岳などの立山連峰にはかないませんが。 それでもかなり迫力のある美しい山です。 風景に敏感な人は雄叫びあげるでしょう。 エックス市内の大型バスに乗ってサン・マクシマン・ラ・サント・ボーム の町までくると、雄大な山の横顔を見ることができます。 余談ですが、 海沿いのサント・マクシムに行こうとしていたイタリア人カップルが バスを間違えてサン・マクシマン・ラ・サント・ボームに漂着して 何時間も別のバスを待っていました。まぎらわしいです、確かに。 サン・マクシマン・ラ・サント・ボーム Saint-Maximin-la-Sainte-Baume サント・マクシム Sainte Maxime セザンヌに比べて、あのモネのアトリエのある場所は小さな村で ずっとひっそりしている感じです。 しかし、美しい小さな村ジヴェルニー Giverny のモネのアトリエは 雨の日でも世界中から人が集まります。 アトリエ公開をしていない4月か3月後半に一度行った時ですが、 モネの庭の一部が外から見えるのですが、チューリップや水仙が満開で 観光客が来なくても庭師が楽しんでいる感じがしました。 パリ生まれのモネは最初、アトリエを探してヴェルノンに列車で来て、 この小さな緑の町に惚れてしまった。ヴェルノンに住もうと思いつつ、 その美しさに誘導されるようにジヴェルニィの村まで来てしまったそうです。 公開されているモネのアトリエには私が行った時は確か原作はなく、 驚かされたのは日本の版画家たちの作品群です。 古い白黒の写真があり、画家モネの横に着物姿の日本女性が 写っています。一体誰だったのでしょう。 モネのアトリエを大事に保護した人の中に彫刻家のダニエル・グピル Daniel Goupilさんがいます。若い彫刻家は誰もいなくなっていたモネの アトリエにそっと潜りこんでそこで制作活動を行っていたこともあるそうです。 俺にはデッサン力がないんだ、と悩んでいたというボナール。 確かにそんな感じがしますが、実はなかなか優れたデッサン力を 見せる彼の絵には逆に何故か魅力が少し減っているような気がしました。 で、もしかしてデッサン力ないの、と思える絵のほうが色彩も美しく 魅力にあふれている感じがするのです。 日本のことをフランス語ではジャポンと呼びますが フランスでは「ジャポナール」というニックネームも持っていたボナールは 日本に憧れた画家の一人です。「ナビ派の画家」として知られています。 どちらかと言えば、北のほうで生まれ、今でもヴェルノンからそう遠くない ヴェルノネという村には彼のアトリエが残っているそうです。 お孫さんもヴェルノンで絵画鑑賞会をセーヌ河の遊覧船を活用したりして 頑張っていらっしゃると、この冬聞きました。 ボナールは晩年は南仏に引っ越したそうです。 ル・カネ le Cannet という小さな愛らしい町で南仏で家探しをした時に 行ったことがあります。 でも、南仏ってヴェルノンのあの神秘的な鉛色の曇り空や豊かな緑が ないのでボナールも最初は北仏が恋しかったんではないだろうか、 って勝手に思いました。 強烈に日本に憧れた画家と言えば、ゴッホ。 彼はオランダの生まれです。寒い国です。 絵は独自に学び、教会の息子として生まれ、彼自身も 牧師になったことがあったようですが、自分の服を貧しい人に あげ、ぼろばかり着ていたので牧師らしくないというのが 原因だったのか、教会を追われたりもしています。 若い女の人に恋して、彼女の家に行って彼女の父親に お嬢さんに会わせてくれなければ自分はこの暖炉の中に自分の手を 入れると脅かしたそうですが、それやっちゃストーカーですよね、 なんて逸話が残っていますが。ゴッホの展覧会に行った時、 実は編み物が好きで赤い毛糸も展示されていました。 オランダも寒い国ですから、編み物しちゃいますよね。 たぶん、男だって。 そのゴッホが日本の版画を油絵で見事に描いている絵が パリのオルセイ美術館 Musée d'Orsay のゴッホの展覧会 で展示されていることがありました。 ああ、ゴッホ、ここまで日本に憧れてくれたのか、と 感動せずにはいられませんでした。 ゴッホは点描主義的な描写を研究した絵も残していて、意外に 研究熱心な画家ですし、フランス人のラングレ氏が油絵の技法の 本の中だったか、それとも新聞の記事だったか、 ゴッホの絵にはひび割れがまったくない、と絶賛していました。 ちなみにひび割れの原因は白色だそうです。 いえ、チタニウムでも鉛の白でもなく、白亜の色です。名前忘れた。 そう、情熱の画家ゴッホですが、油絵を描く際の樹脂の使い方には すごく気をつかったいたはずなのです。 出身がなんといってもオランダですからね。 北欧の完璧主義者的な血というのはあったのではないかと。 オランダは伝統の絵、よく緻密に描いた静物画で見事な作品を 描く画家たちの絵で有名です。 現代でもロマン・レイシンガー Roman Reisinger という画家が 思わず息をとめて眺めたくなるような伝統の絵画を披露しています。 オランダというか、ベルギー、フランスにかかる地方フランドル で14世紀末に開花するフラマン絵画、別名フランドル絵画の画家として 知られるヴァン・アイク兄弟が有名ですね。 弟の方はジャン・ド・ブリュージュ Jean de Bruge、 ブリュージュのジャンの呼び名で油絵を開発した画家として有名です。 Jan Van Eyck と同一人物です。 彼が油絵を開発した話は有名でも、実際にはすでに存在はしていたようですが、 普及に貢献したといったほうが近いのかも知れません。 それまではテンペラ画が主流だったとされています。 アムステルダムの美術館でヴァン・アイクの本物を見ましたが、 もう絵じゃなくて陶器みたいな画肌でした。 ヴァン・アイクの絵画技法は今でも謎とされているようです。 画家希望の人や美術批評家になる人にはぜひ一度見てほしい絵です。 でも、あの絵をみて画家やめたろか、と筆を捨てる画家がいても 不思議ではないけれど、みんなそれぞれだから絵の世界はいいので そんな簡単に筆捨てんなよ、なのです。 ルノワールと言えば、銀座のルノワールですよね。私も好きでした。 なんちゃって。画家のルノワールの絵も好きです。 たぶん、ゴッホと一緒に展示されていたのを見てやっぱり違う、 ルノワールにはほのぼのするような暖かさが伝わってきました。 ルノワールの父親は息子の絵を見て、 「あいつは中途半端な絵ばかり描きおって」と呟いていたそうです。 さて、別のクイズです。 「印象派」という呼び名を軽蔑的に使った愚かな批評家がおり、 それを価値あるものとして別の視点から眺めたのが実は アメリカ人でした。彼らが「印象派」を救ったのです。 それまでは「印象派」展に妊娠した妻を笑わせようと誘う夫たちも いたくらい嘲笑の的とされたようです。 それで、最初にこの「印象派」と形容された絵を描いた画家は 誰だったでしょうか。 実はこの絵、一時期、パリのマルモッタン美術館から盗まれて なんと日本で見つかったことがあったそうです。 Soleil levant 「日の出」を描いたクロード・モネです。 面白いのは Soleil levant という題名ですが、 フランス語で聖徳太子の「日いずる国」もこの le pays du Soleil levant になります。 この時代の画家と言えば、ほかにもゴーギャンやヴュィアールや ベルト・モリソやたくさんまだいると思います。 2017年12月はヴェルノンの町を少し歩いたのみで ジヴェルニーの村には残念ながら行っていません。 この三枚の写真はヴェルノンの町の中にある美術館で 小さいながらボナールの絵も置いてあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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