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カテゴリ:デザイン、アートのおはなし
偕楽園散策を兼ねて行って参りました、初めての水戸芸術館。
恐竜のシッポのような高さ100メートルもあるタワーと、子供が水遊びしたりかけっこできるようなカスケードや広場の空間が非常に心地よく、磯崎新氏らしい素晴らしい設計(故郷・岡山の奈義町現代美術館を思い出してしまった!)だと感じた。水戸の美しい街並みや、その建物の風情を味わうだけでも十二分に遠出をした価値はあったと思ったが・・・。 久々に、胸倉をズンとつかまれたような、強い強いショックを感じた展示だった。あまりにも衝撃が強いので、途中でちょっと気分が悪くなるくらいに。 まるで、「スターウォーズ」など、SF映画のテーマかと見まごうようなタイトルは、実はフィクションの話ではなく、20世紀中盤以降の我々が生きてきた時代=現代という時代の現実そのものの露わな姿なのだ。「ダークサイド」は、現代社会に深く深く巣食う闇。 この企画展、通常、いろいろな美術館で開かれている展示とはその構成はかなり異なっていた。通常の美術展では、現代美術か古典美術かを問わず、美術品のみを展示するケースが多いが、この展示会では、アート(美術)、報道写真、テキスト(文学)を混在させ、多様な目線でダークサイドの恐怖をあぶりだす。 会場に入室してまず、1室を埋め尽くしているマイケル・ライトの原水爆実験のドキュメント写真の数々に打ちのめされる。巨大なキノコ雲。日本に原爆が投下された後も、繰り返された核実験。掲示された文書には、「アメリカは1945年から1992年までの間1054回の核実験を繰り返し、1148回の核爆発を起こしており、ソ連は1990年までの間715回の核実験を繰り返し、769回の核爆発を起こしている」云々と書かれている。 原爆の悲惨な被害を見ていながら、核の投下地点からわずか3キロメートルの所に兵士を配置したこともあったという非道さ。未だにビキニ環礁には人が住めなくなっている、という恐ろしい事実。 隣室のマグダレーナ・アバカノヴィッチの首と手のない人形を見て、益々陰鬱な気分に見舞われ・・・。 第4室の橋本公の、世界で原水爆実験が行われた場所を世界地図上で点滅させるインスタレーションが、恐怖、怒り、悲しみ、絶望、困惑に拍車をかける・・・。 この展示会の特筆すべき点の第1は、この、導入部分のインパクトの強さだろう。後でご紹介するが、既に展示を見られたブロガーの皆さんの多くも、その点に心を揺さぶられたようであるが、私自身もそうだった。正直、途中で出たいな、と思うくらいでしたからね。 第5室。ジェームズ・ナクトウェイ、広河隆一という報道写真家の写真が登場する。この2人と、第6室の長倉洋海、この3名は、戦場や原発事故の現場、貧困に苦しむ発展途上国の現場を一貫して写し続けている、という共通項があるが、作風にはかなり違いがある。写真のセレクションを工夫し、その点をうまく浮き彫りにしている、というのが、特筆すべき点の第2。 ナクトウェイ氏は悲惨な現場に対してとことん接近し、リアルに事実を映し出す手法だ。それに対し、広河氏は、悲しみに満ちた被害者や家族の顔をクローズアップすることで、間接的に戦争の悲惨さをあぶりだしている。長倉氏は、戦場の光景と同時に、貧しくともたくましく生きようとする庶民の写真を数多く写してきている写真家だが、この展示会では後者の写真を中心に構成してあった。 必ずしも戦争、ということだけがテーマではなく、原発事故やエイズ、先進国で疎外される人間の問題など、多様なテーマが含まれているが、全体として途中までは、やはり、20世紀の後半から今に至るまで、世界には東西対立や民族紛争などを発端とした戦争があまりにも多かったのだ、ということへの憤りと悲しみが満ち満ちている内容になっていた。それが頂点に達するのが、第6室、オノ・ヨーコの作品だ。 日頃は霧島アートの森に常設されている「絶滅に向かった種族2319-2322」。4人の家族と1匹の犬が見た夢を暗喩に、人類へのメッセージを託そうとした彼女・・・。 しかし、この辺りから、展示の内容が徐々に反転する。人類の未来、人間の良心に、希望を託そう、というアーティストや写真家達の表現だ。写真家のユージン・スミス、前述した長倉洋海、メディア・アーティストのシリン・ネシャット。 ユージン・スミスの写真は去年写美(東京都写真美術館)の企画展でも見たような記憶があるが、展示会のコンテクスト(文脈)が違うとこんな風に見え方が違ってくるものか、と感心した。シュバイツァーや、「田舎医者」シリーズのヒューマニズムに、すごくほっとさせられる。 最初にネガティブな表現を徹底して見せて観客の心を揺さぶっておいて、最後にポジティブな方に揺り戻す、という流れは、非常に良かったと思います。それがこの展示会の特筆すべき点その3。 更に、最初に書いたように、この展示会は、報道写真の生々しさ、アートの情感の深さに加えて、文学的な思考と意思の表現を、敢えて要所要所に盛り込んでいる。『世界がもし100人の村だったら』、詩人の谷川俊太郎、茨木のり子、オノ・ヨーコ、そして、トルストイ。 かなり有名なテキストばかりで、手垢のついた印象を与える可能性もある彼らのテキストを加えることで、この展示会のキュレーター、主催者は、結論を観客のみに委ねるのではなく、より明確ではっきりと強い形の自らの意思、方向性を示しているように思える。これは、アートの展示会にとっては、かなり勇気のいることだったのではないか。その勇気が、この展示会の特筆すべき点その4。 この世界に悪はない。悪はすべてわれわれの心の中にあって、これを滅ぼすことは可能である。 トルストイ 昨今の現代美術の作品や展示会は、特に先進国発の作品は、商業広告や企業のCI活動などに基盤を置いたものが多く、ポップアートだったり自己の内面や超自我にまつわるものが多く、社会との関わりを真剣に見据えたものが減少傾向にあるように思う。前者は前者で、世の中にとって必要なものだし、質の高いもの、楽しいものも多いんだけどね。しかし、それだけじゃやはり駄目だと思うんだ。人間にはサニーサイドとダークサイドが存在するんだから。「戦争反対」って言うことは、やはりすごく大切ですよ。 このような骨太な企画を、しかも公立の美術館さんが実現された、ということは、高く評価されてしかるべきではなかろうか。 今日、連休だからということもあるだろうが、水戸という地方都市にも関わらず、かなり数多くの観客、特に若い方が入場しておられたのを見て、広域からの集客と、足元商圏のファン固めの双方がうまくいっておられるのではないかと感じた。そういう、美術館運営のあり方、という点についても、第三セクターで企画に携わっている私にとってはよい勉強になった1日でした。 最後に、この展示会は5月7日(日)が最終日なので、既に数多くのブログがエントリを挙げておられる。先にご覧になられた皆さんの感想も、非常に参考になりました。敬意を表しつつ、いくつかご紹介(リンク&トラックバック)させて頂きます。 ◆artholic days ◆蒼天儀 ◆レレレのれ ◆葛飾の地域運動を語る ◆現代アート道楽の日々 ◆SIESTA通信 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月05日 23時49分41秒
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