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遥かな山を見上げてーかよ清らかな谷間

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KAYO7854

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2024.02.06
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カテゴリ:ニュース見聞録
久しぶりの楽しい年末年始に胸躍らせて






珠洲市に単身赴任で勤務していた石川県警珠洲署、警備課長がいました。大間圭介さん(42歳)です。

年末年始には、金沢に住んでいる妻と子ども3人を珠洲市の実家に呼び寄せ、久々に家族5人や親戚のみんなと楽しく過ごす予定を立てていました。

それまでは、週末に圭介さんが金沢に戻り、家族と暮らしました。みんなと会える土日が楽しみで仕方ありませんでした。

大間さんも珠洲市出身。

妻のはる香さんとは恋愛結婚。
優しく、芯の強い人でした。



勉強熱心な優香ちゃん




(軽快で明るい音色の木琴
ピアノのように音階が決まっている)


長女は11歳の優香ちゃん。おしゃれが楽しい
年頃になり、お気に入りの黒いリボンをつけて歌やダンスを披露してくれました。


圭介さんに似たらしく、熱心な頑張り屋
さん。勉強も、いつも夜遅くまで打ち込み
ました。

学校では吹奏楽部に入り、木琴を担当。
楽譜には注意点をびっしり書き込んで
いました。


優しい泰介ちゃん





長男は泰介(たいすけ)ちゃん、9歳。
お父さんとのキャッチボールで弱い体を
鍛え、丈夫になっていきました。

泰介ちゃんは、自分が欲しい物を買った
ことがなく、家族にプレゼントが好きな
子でした。
最初に買ったのはお父さんへのトレーナー。
お小遣いを貯めて買ったのです。

「お前、たまには自分が欲しい物を買えよ」 

そう言っても、家族に買って、その喜ぶ顔が
見たいー圭介さんの優しい面を受け継いだ
優しい男の子でした。


末っ子湊介ちゃん





3年前には、次男の湊介(そうすけ)ちゃんが誕生しました。みんなから、「そうちゃん」 と呼ばれていました。

3歳になり、言葉も少しずつ増えてきた頃でした。
圭介さんに、湊介ちゃんは甘え、よく「高い高い」をしてもらい、幸せにすくすくと育っていました。

平凡ながらも仲の良い家族の暮らしが
ありました。

平凡ながらも楽しい年末年始をみんなで
楽しみました。


令和6年元旦午後4時10分








(トランプや百人一首の楽しさはお正月
ならではの思い出に)


大間さんたちは、年末年始はトランプや百人
一首、ダーツなどに興じました。

元旦の4時頃は、妻のはる香さんが子供たちと「人生ゲーム」 を楽しんでいました。
そんな時、今までにない強い揺れに襲われた
のです。

昨年、珠洲市に滞在した時も、強い揺れが起こり子供たちは地震の揺れに敏感になっていました。

みんな、お母さんにしがみつきました。

圭介さんは警備課長の任務のため、仕事着に
着替えました。
今の揺れで、被害が出た箇所を調査するため、外出する必要があったのです。

優香ちゃんは、不安な表情で圭介さんを
見つめました。
圭介さんは、子供たちの背中にそっと
手を添え、安心させようとしました。

「ごめんね、お父さん、お仕事に行かなきゃ
いけないからね」

そう言って、外に出ました。
しかしそのあとすぐ、強く激しい横揺れに
襲われ、聞いたこともない異様な音が響いた
のです。

土砂崩れが家を潰し、自分の方へと向かって
来ました。圭介さんは必死で田んぼの方へと
走りました。

振り向くと、みんながいる家は崩れた土砂に
すっかり埋もれていました。

「助けて下さい!家族があの中にいる!
みんな死んでしまう!」 

圭介さんは大声で助けを求めました。
完全にパニック状態になっていました。
その前後のことは記憶にはっきりと
していないそうです。



避難所で夜を明かした圭介さん





その日はすぐに家族全員を救助する時間
がなく、捜索は2日からとなりました。

圭介さんは避難所で横になりましたが、
家族のことが頭から離れません。

「みんな、寒くないだろうか。苦しいん
じゃないかな。服が泥まみれで冷たいん
じゃないだろうか」

そんなことばかり考えていました。
圭介さんは、家族全員が何とか生きて
救助されることを祈っていました。

避難所にひとり過ごす夜が長く
感じられたそうです。

あまりの土砂の量に、捜索は難航しま
した。しかし圭介さんの祈りも虚しく、
4日にははる香さんと優香ちゃん、
5日には泰介ちゃん、湊介ちゃんとが
発見されました。

みんな、もう無言です。
そんな家族を、圭介さんは金沢の自宅に
連れて帰りました。

圭介さんにとって愛しい四人の家族が、
冷たい遺体となって並んでいる。

圭介さんには受け入れ難い現実でした。



朝にはおはようと声をかけて





(写真はイメージです)


今、四人の家族は遺骨の綺麗な布に
包まれて、遺影とお位牌と共に
並んでいます。

捜索中に、はる香さんが嵌めていた結婚指輪、
優香ちゃんが大好きだったお洒落な黒いリボン、
湊介ちゃんがよく遊んでいた小さなおもちゃが
見つかりました。

圭介さんは、銀色のお皿にそれら遺品を大事に
並べ、遺影の前に供えています。

返事がなくとも「おはよう」 と圭介さんは
みんなに声をかけます。

あんなに賑やかだった家が静まりかえって
います。

金沢の自宅は、四人が珠洲市に出かけた
時のままです。

みんな一緒のフォトフレームを作りました
が、ひとりで夕飯の時には見ることが
できません。

しかし、そのフォトフレームは外出の際
には必ず鞄に入れていきます。

帰宅するとフォトフレームを食卓に
置き、ひとりひとりを見つめます。

みんなに 「ありがとう」 という言葉は
出てこない。
かと言って 「あの時一緒に死ねば
良かった」 でもない。

ただただ圭介さんの口からは 「ごめんね」
ーそれしか出てこないのです。

「あの時、一緒にいてあげられなくて
ごめんね」 ーそれのみなのです。



頭を巡り続ける「もしも」





夜にはみんなの楽しそうにしていた姿や
声が思い出され、眠れない辛さは日増しに
強くなっていきます。

「もしも、年末年始、みんなを珠洲市に
呼ばなかったら……」

「もしも、年末年始をこの家で過ごして
いたら……」

「もしも、最初の強い揺れで、みんな
一緒に外に出ていたら……」

圭介さんには、数え切れない 「もしも」 が
あるに違いないでしょう。

それは、地震が起きた時、みんなを助ける
方法があったはずなのに……との想いに
繋がるものでしょう。

みんな、まだまだやりたいことが
いっぱいだっただろうに……

なぜみんなを家に取り残して
しまったのか……

優香も、5年、10年すればお年頃の綺麗な
高校生、大学生になっていただろう……

泰介も、可愛い中学生、そして成人を迎え
ていたことだろう……

湊介も楽しい小学校生活の後、甘えっ子は
卒業して中学生になっていただろうに……

はる香と子供たちの成長を喜びながら、
この家でゆっくり暮らしていただろうに……

圭介さんにも、妻や子供たちと幸せに
暮らしていきたい、そんな夢がありました。



圭介さんは何も悪いことはしていません。
それでも、口をついて出るのは
「ごめんね」 ばかりなのです。



いつもそばにいる家族を大事に






私は、11年前、病気の母を実家でいきなり
亡くしました。私は自分の家に、息子とふたり
暮らしでした。

母は、いつも通り父とふたり分の夕食を
準備していましたが、たまりにたまった
肝硬変の激痛に襲われました。

慌てて父がパソコンをしていた寝室に
駆け込み、ベッドに身を横たえ、苦しい、
苦しいと唸り出し、
最後は、ああ死にたい、そう言って息を
引き取ってしまったのです。

私は父から携帯で知らせを聞いた時、
ああなぜその時、実家にいなかった
のだろう、
母が最後に作っていた料理は
何だったんだろう……

と悔やみ、涙が止まりませんでした。

もう6年前に死去した父も男泣きに泣き、

「普通にいつもいると思っていた家族が
いなくなると……こんなにも大きな存在
だったんだ」 と嘆きました。

私の母は、たくさんの病気を抱えながらも、
普段はケロリとして明るく、
私とも、死の3日前に電話を交わしたばかり
でした。



今の哀しみを癒す時はいつなのか





母の死後、私はお仏壇の前に座り、泣いて
ばかりの日々を送っていました。
人生がすべて消え去ったような哀しみに
苦しみました。

しかしその哀しみは、10年ほどの時を
経て和らぎ、少しずつ日常生活を送る
ことができるようになりました。

大間さんは、前に進もうとしながらも、
自分が今、何をしているのか分からない
とおっしゃっています。

大間さんの苦しみは、母を失った当時の
私の哀しみに比較にならない、
底なし沼のようなものに違いありません。

私は、母が亡くなった時、
なぜそばに一緒にいて、お料理を
手伝わなかったのだろうと思いました。

そして、遺影を見ると、今でも
「ごめんね」 との言葉がこぼれます。

大間さんは、元気だった家族を恐ろしい
地震で、一瞬で失ってしまいました。

大間さんの 「ごめんね」 は私の深い
哀しみを遥かに超えたものでしょう。

大間さんは毎日のように思って
おられます。

「一緒にいる家族を、それが当然と
思わずに、もっと大事にしてあげれば
良かった……」

心が痛む言葉です。

大間さんご家族皆様のご冥福を心から
お祈りいたします。

そして、大間さんの深い哀しみが
時の流れと共に癒されることを
お祈り申し上げ︎ます。


(参照記事ー産経新聞)





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Last updated  2024.04.30 03:12:31



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