「7月31日・朝日新聞日曜書評より」
今週、興味を持ったのは下記の2冊だが、いずれも分厚い本なので書評の記録に留める。 1.ブレイン・ハーデン〈著〉『金日成と亡命パイロット』評・市田隆(本社編集委員) 朝鮮戦争が休戦した直後の1953年9月21日、北朝鮮軍パイロット盧今錫(ノクムソク)が、ミグ15ジェット戦闘機で北緯38度線を越えて韓国の金浦基地に着陸、米国への亡命を求めた。 米国人ジャーナリストの著者は、歴史に埋もれたこの亡命劇の主人公に光をあて、彼の半生と金日成(キムイルソン)の権力掌握の軌跡を対比させながら、不毛な戦争の意味を問い直すノンフィクションだという。 盧は、米国での生活にあこがれ、共産主義を嫌悪していたが、処遇の不満を漏らしただけの同僚が処刑される過酷な環境の中で、「熱心に共産主義者を演じる」ことで生き残りを図った。 開戦を決断した金日成は、戦時中に人民を困窮させ多くの犠牲者を出した戦略について、何の責任も取らなかったと、著者は厳しく批判。 さらに、本書には「戦争時におけるアメリカ空軍による空爆のひどさを伝える」意図があり、「アメリカ軍は朝鮮戦争で三万二〇〇〇トンのナパーム弾を落とした。それは一九四五年に日本に落とした量の二倍」。 中国軍参戦で劣勢となった米軍は焦土作戦に転じ、多数の民間人が犠牲となった都市爆撃を繰り返した。 爆撃への怒りが広がり、金日成の権力確立を手助けする結果となったのは歴史の皮肉だという。 2.子安宣邦〈著〉『「大正」を読み直す 幸徳・大杉・河上・津田、そして和辻・大川』評・武田徹(評論家・ジャーナリスト) 大正時代に戦後民主主義の萌芽をみる大正デモクラシー論の「常識」に著者は異を唱えるという。 大正とは不特定の社会的集合体である「大衆」を成立させた時期だったのであり、そんな大衆が「迎合し、喝采する国民」として動員された結果、大正デモクラシーはむしろファシズムや総力戦体制を用意する温床となったのではないか。 そうした問題意識のもとで著者は幸徳秋水や大杉栄、津田左右吉、大川周明らを読み直してゆくという たとえば大杉は吉野作造を厳しく批判していた。 国家主義の圧力に晒され、最大多数の最大幸福を実現する国家共同体との両立を認めることで民本主義の生き残りを図った吉野こそ、大杉にしてみれば個人的自由を生贄に差し出して民主主義を殺めた下手人だった。 そんな大杉の見方は大正デモクラシーに民主主義の夢を見ようとする甘ったれた姿勢を拒絶する。 確かに現代日本と大正時代は似るが、それは議会制民主主義が個人の自由と尊厳を平然と踏みにじろうとしている現状のルーツが大正時代に遡れるという否定的な意味においてなのだという 「民主主義はこれだ」と喝采の声を熱狂的に合わせるよりも、歴史を訪ね、覚めた批評的検証を静かに重ねることこそ民主主義の軸足を確かにするのでは。 「急がば回れ(フェスティナレンテ)」の格言を改めて思った一冊であったと評者はいう。