「日本人として知っておきたい近代史(明治篇)」中西輝政氏著・PHP新書・4の4
日本人として知っておきたい近代史(明治篇) 私:明治の三太郎とは、桂太郎、児玉源太郎、小村寿太郎のことだが、この3人が日露戦争を勝利させ、これにより、列強と肩を並べるまでに日本を育てた功績は大きい。 しかし、3人とも日露戦争が終わってわずか7年以内に若くして亡くなっている。 日露戦争による過労だろうか。 歴史にイフはないが、もし、この3人が長生きしてくれたら、日本は昭和で馬鹿な戦争をしなかっただろうと、中西氏はいうね。A氏:児玉源太郎は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で有名になったね。私:この本では、乃木大将が児玉源太郎と比較され「坂の上の雲」の203高地の戦いで愚将のように言われているのは、不公平だとしているね。 日本海軍では、旅順港のロシア艦隊を早く潰すために、203高地の占領を要求するが、陸軍はそれを相手にしないで、独自の戦略を立てる。 陸軍内の対立が、海軍と結びついていた。A氏:君のブログの「それでも、日本人は戦争を選んだ」では、当時のロシアの軍事専門家が、旅順の戦いは、陸海の両軍の協調の成功だとしていたが、事実は、陸海の仲は良くなかったんだね。私:三太郎の次の小村寿太郎は、明治8年、20歳でハーバード大法学部に入学する。 彼は、明治11年、ハーバード大法学部を最優等で卒業する。A氏:今の日本人の若者でハーバード大で最優秀で卒業できる学生はいるだろうかね。 英語会話学校などないのに、やはり、明治の人間は国のために目的意識が明確だったんだろうね。 だから、英語の学習能力も今の若者より高かっただろうね。 これは、このブログの「サムライと英語」の3日間シリーズでふれている。私:寿太郎は明治13年に帰国するまで、ニューヨークで約3年間、弁護士として働く。 次の3番目の三太郎は、桂太郎だ。 中西氏は、日本の近代史で今こそ、再評価し、実像に迫る必要のある人物としトップにあげるのが、桂太郎だという。A氏:桂太郎というと元老山縣有朋の使い走りで、ニコポン的な凡庸な人という評価が一般的だね。私:桂太郎は、22歳で、私費で3年間ドイツに留学し、近代軍事を学ぶ。 帰国後、ドイツから学んだ、参謀本部を創設するんだね。 最後に、中西氏は、明治時代を日本人は誤解しているという。 明治時代が輝かしいのは、いち早く西洋の合理主義、技術をわがものとして日清、日露という大戦争を勝ち抜き、列強に肩を並べたからではないという。 本来の「日本人のこころ」のあり方をつねに見つめ、「誠」を貫くことこそ、己の生きる道だと信じた人間が、次から次へと多数現れた時代だったから、輝かしいのだという。 だから、むしろ、西郷、乃木のほうに中西氏は「日本のこころ」を見ているね。 そして、第一次大戦頃から、日本人は「日本のこころ」を失い、金儲けに走り出す。 先週のTVで、新党「たちあがれ日本」に関係した石原慎太郎都知事が「政治理念より、こころだ」というようなことを言っていたが、同じような考えなのかね。A氏:児玉源太郎の「こころ」はどうなのかね。私:俺は乃木将軍より、児玉源太郎の「近代的日本的知性」が受け継がれなかった日本が問題だと思うね。 児玉源太郎は海外留学すらしていなし、薩長閥でなく徳山藩の出身だ。 日露戦争における児玉源太郎の活躍はすごいものだ。 児玉源太郎の神社は江ノ島に渡ったところにあるが、俺はかって、「坂の上の雲」を読んだ後、この神社を知って訪れたが、人気はなくポツンとあるだけだ。 乃木大将には乃木神社という立派な神社が東京赤坂にあり、今も賑やからしいが、この違いが、昭和の軍部による日本崩壊を象徴的に予告したと思うね。 俺たちの小学校時代でも、乃木将軍はよく出てきていたし、児玉源太郎よりも東郷平八郎がよく出てきていたね。A氏:俺は、現代は、日本人はハングリーでなくなったのが問題だと思うね。 太平洋戦争で負けたときは皆、ハングリーでアメリカに技術を学び、これを追い越し、高度成長を成し遂げたが、日露戦争に勝った後のように、バブルとなり、崩壊して、無気力になっているような気がする。 歴史は繰り返すだね。私:もう一度、なんらかのトコトンまでの危機が来ないと日本人は動かないのだろうか。 だから、「たちあがれ日本」なのかね。 しかし、乃木将軍のほうにたちあがるのか、児玉源太郎のほうにたちあげるのか分からないね。