知的漫遊紀行

2018/01/19(金)19:22

「デジタル通貨の行方 経済学者・岩井克人氏へのロング・インタビュー・18日朝日新聞・「インタビュー」欄

私:仮想通貨・「ビットコイン」がマスコミを賑わしているが、独仏は、ビットコイン規制をG20財務相会合に共同提案し、中国政府が「ビットコイン」の取引所を閉鎖するなど、各国での規制の動きが出ているね。  どうも「デジタル通貨」や中央銀行、国家の関係の意味がピンとこないね。  その点、このインタビューは分かりやすい。   岩本氏は、2009年の「ビットコイン」登場以来、ひょっとしたら貨幣になるかもしれないと考えてきたが、人々が「貨幣になるかもしれない」と期待と興奮の中で値上がりを目的に買い始めたことが、逆に貨幣になる可能性を殺していて、この1年で考えが変わり、もはや、貨幣になる可能性は極めて小さくなってしまったという。   A氏:岩本氏は、ある「モノ」が貨幣として使われるのは、それ自体に「モノ」としての価値があるからではなく、誰もが「他人も貨幣として受け取ってくれる」と予想するから誰もが受け取る、という予想の自己循環論法によるものだという。   実際、もし「モノ」としての価値が貨幣としての価値を上回れば、それを「モノ」として使うために手放そうとしないから、貨幣としては流通しなくなるわけだ。   私:ところが「ビットコイン」は、数が限られて将来価値が上がるという期待感から、それ自体が「値上がりしそうな資産」という一種の価値ある「モノ」になってしまった。 事実、この1年で大変な投機の対象になり、値上がり益を期待して手にする限り、誰ももうからないから、それを他の商品との交換手段などにしない。   A氏:貨幣が貨幣になるまでのプロセスは複雑で、様々な可能性があり、ただ、多くの人が交換手段として受け取ってくれるという安心感がじわじわと広がらないと貨幣にならない以上、非常に長い時間を要する。  例えば、日本の「和同開珎」も、8世紀にいきなり朝廷が流通させようとしたが、定着しなかった。 ところが12世紀になり、日本海側で中国や朝鮮との貿易が広がると、「唐銭」や「宋銭」といった中国の貨幣が日本でも流通し始めた。   世界の基軸通貨も、米国が19世紀末に国力で英国を超えた後も、しばらくは「ポンド」のままで、半世紀かけて、世界中の人が他の人も「ドル」で決済をしていると安心するようになったからこそ、第2次世界大戦後には基軸通貨が「ドル」になった。   私:現代では、人々を一つの貨幣圏に囲い込むことで、国内市場を統一し、政府や中央銀行の統治力を高める効果もある。 日本でも、明治政府が「藩札」を廃して単一通貨としての「円」を導入したことが、国内市場の形成に大きな役割を果たした。 中国政府が「ビットコイン」の取引所を閉鎖したのは、「人民元」を通した自国の統治力を守る動きにほかならないという。   A氏:「ビットコイン」は、ネット上で取引記録を共同管理する仕組みなので、通貨の管理者だった「中央銀行」が不要になるとも言われていた。   たしかに、「デジタル通貨」にとって課題だった偽造や二重払いの防止を、「ブロックチェーン」と呼ばれる革新的な技術でクリアしており、機能的には貨幣に求められるものをすべて備えていて、しかも、紙幣や硬貨より送金コストが低く、預金の管理費用も低くなった。   しかし、それでも岩本氏は、貨幣価値の安定には「中央銀行」のような公的な存在が必要であり、「中央銀行」を不要とすることを目的とした「ビットコイン」は、万一貨幣になっても長期的には滅びると考えているという。   私:「貨幣になったとしても滅びる」という意味は、貨幣は、誰れもが「他人も貨幣として受け取ってくれる」と予想するから貨幣として受け取る、という自己循環論法で価値を持つ。 従って、その予想が危うくなると誰れも受け取ろうとしなくなり、その時、貨幣は貨幣でなくなり、滅びる。   このような不安定性は貨幣の原罪であり、貨幣経済に生きる限り、その可能性から絶対に逃れられないから、有事に経済を制御する「中央銀行」のような公共機関が絶対に必要。   A氏:だから、岩本氏は、「中央」を排除するために生まれた「ビットコイン」は、まさに「中央」を持たないがために、仮に貨幣として流通したとしても必ず滅びるという。 もちろん貨幣になる前に「モノ」になって滅びる可能性がはるかに高いという。   岩本氏は、「ビットコイン」の設計者としてのサトシ・ナカモト氏は尊敬しているが、残念ながら彼は、貨幣の本質を十分には理解していなかったという。   サトシ・ナカモト氏の正体は誰もわからないといい、日本人かどうかも不明。   私: 国境を超えた「世界通貨」が生まれる可能性について、岩本氏は、今は「ドル」が世界経済の主役だが、一国の通貨が世界の基軸通貨でもある仕組みは、基本的に不安定だと考えているという。  もし、米国中心主義のトランプ政権下で米国の中央銀行が内向きな金融政策をとり続けると、「ドル」が信頼をなくし、基軸通貨の地位を失う危機が来るかもしれないという。 その緊急事態の中で新たな基軸通貨が生まれるとしたら、紙幣を新たに刷る時間がないから、「世界銀行」的な「中央」によって管理される「デジタル通貨」である可能性が高いという。 だから、「ビットコイン」の技術を生かしつつ自由放任主義的な思想は補正して、より効率的に「中央」が管理する「デジタル通貨」の研究は、次の時代の予行演習になっていると思うという。   A氏:「中央」が「デジタル通貨」を持つと、売り買いを把握される「監視社会」になる懸念があり、「ビットコイン」的な技術は両刃の剣。 今は個人の匿名性を守る構造だが、少し設計を変えれば「中央」が全ての取引を把握できる超管理社会の道具としても使えるようになる。   ところが市場経済、そして民主主義的な社会がうまく機能するには、個人の自由が確保されなければならないから、そのためには例えば複数の機関が役割分担して分権的な形を取りつつ、かつ全体の供給量は調節する、そんな匿名性と安定性を両立できる仕組みが望ましいと岩本氏は指摘し、それがうまくいかないなら、現在の通貨のままの方がいいかもしれないといい、自由放任主義の「ビットコイン」がだめだからといって、次は「中央」による「デジタル通貨」だと、極端に振れる必要はないという。   私:人間は貨幣さえ持っていれば、共同体的な束縛から解放され、身分や性別や人種を超えてだれとでも取引できるという「自由」を与えられた。   だが、貨幣を使う経済は本質的に不安定で、安定性のために公共機関を絶対に必要。 自由と安定性、個人と公共性のバランスを、どこに置くのか、個人が完全に匿名となる自由放任主義的な貨幣経済を演じようとした「ビットコイン」劇場は、そのような根源的な問題を、私たちに考えさせてくれているのかもしれないと岩本氏は指摘する。   まぁ、「デジタル通貨」問題が身近になるのは、まだまだ、先のことのようだね。

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