所蔵NO.48☆OPTIC LIFE (前半)
こんにちはエルです。今回は、坂本龍一氏が1999年9月1日に公演した※オペラ「LIFE」そのダイジェストビデオ「OPTIC LIFE」のご紹介です。※朝日新聞創刊120周年記念/テレビ朝日開局40周年記念坂本龍一氏が、地球環境、愛、救い、共生をテーマに手掛けた総合舞台芸術OPERA『LIFE』この公演内容を説明するのはとても難しいのですが、例えるなら、各国の航空会社などが、自国の文化や観光地をアピールするようなプロモーションビデオがありますが、あれの"地球版の壮大な歌劇"と思っていただければ少しイメージ出来るかもしれません、、、オペラは2部構成で前半、後半を通して約3時間強その前半/後半の冒頭のモノローグに村上龍氏の詩が朗読されます。文のタイトルは「Monologue of the dead letters postman」このオペラ公演が、アメリカ同時多発テロの2年前の同日にあった事が偶然とは思えなかったので、今回はこのビデオと、村上龍氏がこのオペラの為に書き下ろした詩を、前半/後半に分けてご紹介します。Monologue of the dead letters postman (The first part)膨大な量の手紙が私の腕の中で眠っている。私は、まるで生まれたばかりの赤ん坊を抱くようにその手紙の束をこうして抱いている。たぶんまだ、あなた方には見えていないはずだ、その手紙の束も、そこに書かれている多種多様な国の文字も、様々な筆跡も、まだあなた方には見えていない。二十世紀に書かれ、相手に届く事のなかった無数の手紙。ある時、私は列車に乗っていた。列車は平原を走っていた。彼方には黒々とした丘陵が横たわりきっと明け方だったのだろう、地平線が薄いブルーに染まっていて霞がたなびき、放牧に向かう羊や、空を舞う鳥それにかすかな風に揺れる花々など、生命の鼓動も感じられた。それは美しい景色だったと思う。私は兵士として、機関士として、またあるいは旅行者として、その列車に乗り合わせていた。私はその時、遠くへ行こうとしていたようだ。どこへ行こうとしていたのかは解らない。ただ私は、これが後戻りできない旅だということを知っていた。その列車は一つの方向へだけ進むことが許されていた。時間、という方向である。私は列車の中で、ある人物に手紙を託された。「この手紙を届けてくれないか」その人物は言った。今では、そのい人物が着ていた服も、その顔も、その表情も思い出すことが出来ない。老人だったのか、若かったのか、女だったのか、裕福な人だったのかあるいは迫害を受けて逃亡する途中だったのか、思い出せない。私にその手紙を手渡し去っていく時に、その人物は言った。「その手紙は音楽と反応する。」私はその手紙を手に取り、その人物が言った事を反芻してみた。「その手紙は音楽と反応する。」その後列車は平原を抜け、砂漠を横断し山脈を越え、港に着き、数え切れないほどの都市や、町や、村をそして無数の戦場を通過した。その間に私の旅行鞄は手紙でいっぱいになっていった。あらゆる人々が私に手紙を託した。ある操車場の出来事を、私はよく憶えている。その操車場は見渡す限り貨車が並んでいた。線路沿いにある倉庫のような建物の中に閉じ込められ整列した大勢の人が見えた。人々は暗い電球の下で体を寄せ合って恐怖に耐えているようだった。彼らはやがて線路沿いを貨車に向かって歩き、乗り込んだ。胸にダビデの星を縫いつけた人々彼らはその操車場で、袋一杯に詰まった手紙の束を私に託した。また当方の国で全てが燃え上がりすべてが焦げついている都市を通過した事もある。水を求める人達が、私の列車に近づいてきた人々は一様に全身に火傷を負い、背中の皮膚が剥げ、顔の一部が溶けてしまっていた。その中の一人の女の子が焼け焦げた手紙の残骸を私に手渡した。その女の子は戦場にいる父親に、手紙を書いたのだった。それを投函しようとしている時に彼女の町は巨大な炎に包まれたのだ。焼け焦げた手紙「お父さん、元気ですか、私は元気です。」私が抱えている手紙を、今からあなたに託したい。私の役割はもうすぐ終わろうとしている。この手紙の束を、次に受け取るのは、あなた方だ。OPTIC LIFE(1999年9月11日の日本武道館公演から、ベスト・テイクを収録のビデオ。)曲目: ビデオ: 1 1.ドアー・オープン 2.オーヴァーチュア 3.ウォー・アンド・レボリューション ビデオ: 2 1.エボリューション・オブ・ライフ 2.ヒストリー・オブ・ガイア 3.アート 4.レスポンス 5.ライト VHS/ NTSC(日本、米国、カナダ向け) ¥7,000レーベル:ワーナーミュージック