所蔵NO.42☆電脳カーニバル/CG装画
~ブログ"音楽の海岸"に捧ぐ~ 作品ギャラリー&新メルマガ発行記念号「電脳カーニバル」横尾忠則 1994/4/20 平凡社解説/村上龍 語り/松任谷由実 写真/篠山紀信☆今回のご紹介は、芸術/村上龍作品を装丁で彩る "もう一つの芸術"横尾忠則作品のご紹介です。「愛と幻想のファシズム」「フィジーの小人」「五分後の世界」「ヒュウガウィルス」などの村上龍文学作品の装画や、サンタナのレコードジャケットなどを思い出す方も多いのではないでしょうか。村上龍文学の装丁を彩ってきた装画のなかでも、特に"破壊、突破"というキーワードに相応しい装画は横尾さんならではです。この休日は「聴く(サンタナ)見る(横尾)読む(村上)」で五感に刺激を(^^)v でもかえってクタクタかも、、、、笑五分後の世界(解説/本誌より) ※今回は勝手ながら、精度重視の為、解説全文を掲載します。瀧、速度、歓喜 - 村上龍WATERFALLS,SPEED,JOY BY RYU MURAKAMI横尾忠則のCGの作品を初めて見たのは去年の春、場所は世田谷の氏のアトリエだった。アトリエを訪れたのは2度目で、最初の時は私の『愛と幻想のファシズム』という単行本の装画の打ち合わせに行ったのだった。リサ・ライオンのビデオの写真集から2作品を使わせてもらう為に行ったのだったが、当時の横尾さんは個展の為の巨大なタブローを製作中で、それがアトリエに何点か置いてあって、私は終止その絵に圧倒され続けた。 それは確か『黙示録シリーズ』で、終末的な地獄のような絵で、当然の事だが、美しかった。そんな絵は見たことがなかった。うわっ何という絵だ、と思いながら、淡々と装画の話をするのは本当に疲れた。いくつかの絵は制作中だったので、オーラの強さも特別で、アトリエを出て成城の駅に向かう時クタクタになっている自分に気付いた。成城の、昼下がりの平和な街並みが何かペンキで描かれた銭湯の背景画のように、リアリティがなかった。まともな自分を取り戻すのにかなり時間がかかった。2度目に訪れたのは、私がプロデュースするキューバのバンドのコンサートの、ポスターの製作をお願いに行った時で、そのときはCGの『瀧シリーズ』があった。用件が済んで、アトリエの外に出ると、ホッとしたが、成城の街並みがまた薄っぺらいペンキ画のように見えてしまって、自分の神経がバリバリに尖っているのに気付いた。駅へ行く道がわからなくなって、その辺を歩いていた小学生に、ねえ坊や、と聞いた。シカゴ・ブルズのキャップを被っている、いかにも高級住宅街で育ちましたといった、本当に生意気そうな子供で、私が道を聞いているのに、知らんふりをして歩き続けたのである。この野郎、かわいくねえガキだな、待て、と追い続けると、走って逃げ出した。私も、走って追い駆けようとしたが、連れに止められた。「ちょっと待って下さいよ、リュウさん、いったいどうしたんですか? あの子、怖がってますよ」連れは私のスタッフで冷静な男だった。私はそんなに子供を怖がらせたのだろうか?「目が変ですよ、この辺は高級住宅街だから子供はみんな変な人にかかわり合いにならないように、ちゃんと教育されているんですから、落ち着いて下さいよ。」 オレ、変だった?「口調もトゲトゲしかったし、『ダーティハリー』に出てくる変質者みたいでしたね」 そう言えば、アトリエから出て、ホッとしたにもかかわらずひどくイライラしてしまったことを思い出した。 街全体がペンキ画みたいだと思わないか?「あんなすごい絵を見た後だから、しょうがないですよ」 いや、なんて汚い、薄っぺらな風景なんだろうって、突然バッドになってしまったんだ、ほらLSDでガクンと落ちる時みたいに、それでガキにあたってしまったのかな、しかし生意気なガキだったなあ。「止めて下さいよ、警察でも呼ばれたらどうするんですか」 しかし考えてみると、そういう経験は他にない。美術館や画廊に横尾さんの作品を見に行く時、私達は無意識のうちに身構えている。強烈な反応をイメージして、あらかじめ、「ショックを受けるぞ、受けるぞ」と自分に言い聞かせて、作品を見る。日常とは切れた世界だということを前提にして作品に接する。アトリエで見るのは違う、もちろんそこが製作の現場だということが大きい。横尾さんが目を血走らせて、鬼のような形相でCGを作っているわけではない。逆だ。横尾さんはいつもの優しそうな微笑みを浮かべて、淡々と、絵を見せてくれるだけだ。しかし、アトリエにはオーラが充満していて、私の神経はヘトヘトになる。F1のレースの決勝を第1コーナーで最初から終わりまで見続けるような、そういう感覚を味わう。そうF1ととてもよく似ている。ある種のスピード感に圧倒されたのである。それはCGの作品の時により鮮やかに私を襲った。成城の街並みが、廃墟のように見えてしまう度合いがCGの作品の方が強かった。イメージを具体化するスピードがCGの方が速いということではない。 昔、ゴダールにインタビューした時、彼は「私は何かを作っているわけではない」と言った。「ただ組み合わせているだけだ」と。 それが絵具と筆を使ったものであろうと、コンピュータを使ったものであろうと、「組み合わせ」という点ではかわるところがない。 求められるのは、より厳密な組み合わせである。横尾さんは特別な絵具を使っているわけではないし、他の人とは違うコンピュータで違う操作をしているわけでもない。ただ横尾さんによって成された正確極まる「組み合わせ」が、圧倒的なスピード感を生む。それは俗に言えば直感や本能いったもので行なわれるが、結果的には論理性の極致を示してしまう。 作られたものではなく、もともとあったものをどこからか切り取ってきたような気がするし、その作品の中だけではなく、平面的な額の中だけではなく、その外側にもえんえんとその世界が続いていることをし自然に納得してしまう。 イメージそのものが別のイメージを生むことはないと一般的にはそう信じられている。映像そのものには映像喚起力はない、という言われ方をする。だが、イメージそのものは何か別のイメージを捜していて、その二つのものを正確に結びつける為には、何万という組み合わせを吟味しなくてはいけない。三つ、四つ、五つ、という風にイメージの組み合わせが増えていくと吟味の必要性は何兆倍にもなる。スーパーコンピューターを使っても何万年とかかることを、天才は数秒で行なう。 横尾さんのCG作品は、その、奇跡のようなスピードがより明確になっているのだ。「ね、これ、瀧の水が動くんだよ」と横尾さんがアトリエで言って、実際に水が動いた時、私は自分の神経が一瞬の畏怖の後に歓喜震えるのがわかった。そして、その震えが収まらないうちに、成城の街に出て歩いてしまったのだ。実際の風景は、まったく現実感がなかった。なぜ自分はこんな醜い場所にいるのかと腹が立った。 『瀧』には、足りないものも、余分なものも、何一つしてなかった。この次にアトリエを訪ねるときは、その後、しばらく目を閉じたまま成城の街を歩こうと思っている。 ☆1973年発売「ロータスの伝説/サンタナ」の22面体ジャケットが、2006年に「アナログLPにおける22面という最大の面数」としてギネス世界記録として認定されました。「ロータスの伝説」 ギネス世界記録認定記念 「横尾忠則氏書き下ろしポスター」認定記録内容「アナログLPにおける22面という最大の面数」