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2019.03.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
あの大震災から8年になるが、ここ2~3年は年に1回くらいしか
行かなくなったが、当初は1カ月に1回は行っていたが、
最初から見ているが、本当に復興するのか疑問を感じながら
行っていたが、私は外からしか見ていないでも、復興の遅れは
感じている。

昨年も行ったが、毎年行っているが、復興は多少は進んだが
人口の減少や高齢化で町の雰囲気が違っている。
一昨年も行ったが、仮設で障害がある方が亡くなったので
連絡が来て葬式では無かったが、その方が私と晴れた日には
車椅子で散歩をしていたので、私を友達だと思っていたから
親族の方から連絡が来たので線香を上げに行った。

その方は私よりは10歳以上年上で、良くお母さんとも話を
していた事を思い出す。
私が行った時には、お母さんも喜んでくれていたし、
私は殆ど個人的に行っていたので、ご飯をご馳走になったり
色々気を使って貰ったことを思い出す。

昨年もお母さんと話して来たが、今は家を建てたので
仮設では無かったが、私が月1回行く時は仮設の集会所で
寝泊りしていたのであるが、その向かいが、その方の家族が
入っている所で、私が朝起きると必ず挨拶をしに行っていた。

また、寝ていても頑張り屋のお父さんは、自分で歩く事を
行っていたので、朝の仮設の廊下を私も一緒に歩いていたのである。
それと天気が良い時は車椅子で別な仮設の集会所に
行ったりしていた。

その頃は私の住んでいる所で、高齢者の障害のある方の病院の
付き添いなどで車椅子を押していたので、それなりに慣れていた。
ただ、仮設は高台にあったので坂道がキツカッタが、
天気が良い日は、お互いに話しながら、お母さんと一緒に
散歩をしていたのである。

前にも書いたが、仮設に入っている方は、同じ被害に会っているので
互いに分かりあえる部分があり、助け合っていたと思うが
年月が経つ毎に家を建てたりして、居なくなる方が
多くなったのであるが、それでバラバラになる事の
寂しさが出始めていた事も思い出すし、本当に明るい
お母さんであるが、昨年行った時は、寂しそうな部分も見えた。

私も昨年は病になったが、今でも友達と思って貰っているので
毎年行く事にしているが、夜行バスで行くので多少は辛い。
夜行バスで仙台まで行き、そこからまたバスで南三陸まで
行くのであり、被災から5年は毎月1回行っていたが、
皆さんがバラバラになったので、行く回数も減った。

今でも私の事を心配してくれて、電話を貰うし、ワカメなどや
さんまが送られて来るので、病になる前はワカメを
配って歩くのが大変であった。

時が過ぎて震災から8年であるが、復興には程遠い状態であるが
私は新たな友達が出来たと思っている。

だが、被災にあった方の心の中は復興していないと思うし
仮設での互いに励ましてあっていたのが、バラバラになって行き
その悲しみから抜け出せない方が多くいる事も知るべきである。





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Last updated  2019.03.11 08:13:56
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